日本財団 図書館


海洋文学賞部門佳作受賞作品
仲馬 達司(ちゅうま・たつじ)
本名=板倉孝敬。一九三八年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。電子機器メーカー、自動車関係業界紙勤務を経て、現在デザイン会社統括責任者。毎日新聞主催論文で文部大臣賞受賞。
 
 見上げるような大男の一団が立ったまま、底抜けに明るい声で、缶ビールを片手に談笑している。鮮やかな黄色のTシャツに明るい緑のパンツ。オーストラリアから来たクルーだ。身振り手振りが大仰なのは国民性か。
 その向こう側にはこれまた鮮やかなブルーを基調にしたポロシャツのニュージーランドのクルーが軽食のサンドイッチを頬張りながら、こちらは静かに今日のレースを振り返りながら飲んでいる。その他にも、夕食前に一杯やろうという日本はもちろん、イタリアやカナダ、フランスのクルーもいて、レースの終わったハワイ・ヨットクラブのクラブハウスは様々な国の言語が飛び交い大混雑。
 「ハロー・・、ハウ・アー・ユー」
 右手のバドワイザーの缶を目の高さに掲げるようにして、事務局長の小西攻(こにし・つとむ)は、クルーの一人一人に挨拶の目配せをして、自分の背丈には少しばかり高いカウンターのとまり木に、伸び上がるように腰を掛け、あらためてクラブハゥスの様子を一渡り見て、思わず微笑を浮かべた。
 今日のレースも、大きなトラブルなしでどうにか無事に済んだ。やれやれ、という気持と明日も何事もなく、と願う安堵と願望の入り交じった複雑な心境の毎日が続く。
 一日一日の積み重ねがこれほど貴重に感じられる日々はない。こうした生活を経験して十年。正確に言えば、レースは隔年開催だから、五回体験することになる。
 そして、今回が最後だ。
 小西が勤務するシャーウッド社が、不況による業績不振を理由に、このレースのスポンサーを下りることになったからである。
 小西も、このレースを最後に社を去る。
 ハワイ出発前に、小西は、人事部長から直接くびを言い渡された。
「君はあまりにもこのレースに首を突っこみすぎた。それがアダになったな」
 社がスポンサーを下りる、そうなればこの会社にお前の居場所はない、だから辞めるのは当然だ、という三段論法のようだった。
 しかし、その仕事を「全力でやれ」と命令したのは会社だ。全精力を注ぎ込んだ結果が「すぎて、アダになった」というのは辞めさせるために作りだした屁理屈にすぎない。
 会社は、後腐れがないような退職の理由を捻り出そう、としたらしいが、そんな「理論武装」や配慮は小西の場合には無用だ。
 「スポンサーを下りることが決まった時点で覚悟はしてました。本当に永い間有り難うございました。お蔭様で思いっきり好きな仕事に注力する事が出来ました」
 皮肉ではなく、本心からそういった。しかし、人事部長はそうは取らなかったようだ。
「じゃ、退職することに異存はないね?」
 疑り深そうに何度も確認した。それ以外の返事は無用ということのようだった。
「もちろんです」
 二つ返事に、人事部長が我が目を疑っていた。
 「ホントか?」。
 薄気味悪そうに、笑顔で立ち上がる小西をジッと見送っていた。
 この仕事なしに、この社にいても仕方がない。それが結論だ。妻も納得しているというか、「仕方ない」と諦めているというか。
 でも、最初から好きだったわけではなかった。ヨットなど、金持ちのボンボンが道楽でやるもので、一生無縁なものと思っていた。
 葉山や江ノ島でたまに遠目に見かけるぐらい。触ったことすらなかった。
 その男に、社が主催するヨットレースの事務局という仕事が回って来た。
 シャーウッド社の、当時の会長の趣味がヨット。その縁で、十年前の初春、業績不振でスポンサーを下りた航空会社に代わって、メインスポンサーに推されたのだった。
 といっても、拝み倒されてなったにすぎない。だから、社内でも重要人物には任せられない。失敗して傷ついても大丈夫な、という条件で小西が選ばれた。それが真実だろう。
 さて、スポンサーを引き受けたものの、会社自体が右も左も分からない。小西にしてから、ヨットレースといっても、「沖に白帆がチラチラ揺れる」程度の印象しかない。
 こんなド素人にどこまでやれるのか、と疑問に思ったことも再々だった。はみ出し者だからって、こんな妙ちきりんな仕事を押しつけやがって、と会社を恨んだこともあった。
 だが、ヨットの関係者と接し、サブスポンサー探しやマスコミヘの売り込み等に深く関わるようになって面白みが沸いてきた。
 何より、関係者の多くが、純粋にヨットを愛し、その為に出来ることなら何でも協力する、という姿勢であったことに感動した。
 会社のためというより、この人たちのために働いてみようと思った。
 サブスポンサー探しの過程でもいくつかのノウハウを覚えた。すなわち、ヨット部を持つ企業、ヨットを所有する人物や経営者をまず攻略すること、日本企業よりヨットに理解の深い外資系を狙うこと、などなど。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION