日東第一形勝(にっとうだいいちけいしょう)―鞆の浦
鞆の浦では、福禅寺(対潮楼)が通信使の高官(正使・副使・従事官)の宿舎となっていました。第8回目の朝鮮通信使の高官たちは対潮楼でいこいながら、対馬から江戸までの景色でどこが一番すばらしいかという話になりました。結局、鞆の浦が一番美しいという結論になり、従事官の李邦彦は「日東第一形勝」の書を残しました。今でも木の額に仕立てた「日東第一形勝」の書が対潮楼にかかっています。これ以後、通信使をはじめ多くの人たちに「日東第一形勝」の景勝地として知られるようになりました。また、対潮楼と名付けたのも第10回の通信使の高官で、そのときの書がやはり木の額にしてかかっています。
その他にも通信使の漢詩や残していった品物がたくさんあり、対潮楼は「朝鮮通信使の博物館」と呼ばれています。
朝鮮通信使の書(福禅寺蔵) 対潮楼からの眺めを日本で第一の景勝と賞賛した。
対潮楼(国史跡)
本蓮寺
清見寺
国史跡は全国に3ヶ所 朝鮮通信使の足跡は全国にたくさん残っていますが、特に当時の姿をよくとどめる3ヶ所が国の史跡に指定され、大切に保存されています。その3ヶ所は、福山市の福禅寺(対潮楼)、岡山県牛窓町の本蓮寺、静岡県清水市の清見寺です。
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