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イカ釣り漁法
 
撮影:昭和42年
 
 
撮影:平成7年
 
 
イカ釣り漁法の変遷
 イカ釣りは、明治以前は各々自家製の漁具を使い、磯船に乗って海岸近くで行う小規模なものでしたが、明治後期に北陸地域の漁民によって、進んだ技術がもたらされて大きく発展しました。イカが深い所にいる時は「トンボ」、浮かんでくると「ハネゴ」を使用し、泊でも昭和25年頃まで使用されました。昭和26年に八戸の浅利研究所、トンボの左右の糸の先に、ヒラキという棒をつけることを考案すると、糸が絡みにくくなり、1本の糸に8〜10本の針をつけることが可能になりました。深い所と浅い所のイカが一度に釣れるようになり、ハネゴやトンボは使われなくなりました。この釣具は「アサリシキ(浅利式)」と呼ばれ、全国に広まりました。
 昭和30年代に、手巻きイカ釣り機が登場します。円筒形のクルマ(泊ではタイコ、タルとも呼ぶ)に針を50本ほどつけた糸を巻き、1つのタイコに1人がついて、ハンドルを手で回します。糸は1本巻きと2本巻きがあります。泊地区では昭和40年頃に普及し、飛躍的に効率があがりました。タイコは八戸の行商が売りに来て各自で購入しました。
 昭和40年を過ぎると、手巻きが機械化され、モーターで巻き上げるようになりました。現在はコンピューター制御の自動巻き上げ機であるため、乗組員は、船の操船とイカの箱詰め作業を行う程度の、少人数で出漁できるようになりました。
 
 
スルメづくり
 
 
 
撮影:昭和50年
 
 
 イカは、現在のように生売りでなかったため、「船に乗らない人」は、いやおうなくスルメづくりを強いられました。
 家のまわりや、空地という空地、学校の校庭にもイカが干され、どこもかしこも「イカのカーテン」だらけで、においが町全体にただよったといいます。
 雨が降ると、干しているイカにシートをかけたり、小屋の中に入れなければならず、人手はいくらあっても足りません。イカが多くとれると、女性達は、「また大漁か・・・」と話してため息をついたといいます。しかし、このスルメが泊の住民の、生活のもとになっていました。
 スルメづくりは、まず獲れたイカを、ハセがけします。ハセとは、木の棒を立てて縄をはったもので、これにイカをきれいに並べて生干しします。
 夕方まで干して水が切れると、6尺の棒に、イカの足を結んで、2日間干して乾燥させる作業(シボリ)を行います。基本的に野外に仕掛けを作って干しますが、小屋(貯蔵庫)のなかにも同じような仕掛けをつくり、雨が降るとちょうど洗濯物を取り込むように棒ごと移動します。
 この後、棒から取り外して室内に積んでおき、スルメに加工します。干して縮んだイカをきれいに広げて、10枚ずつ束にして商品にします。まずイカのヒレの頂点を口にくわえて、両端を手で引っ張ってのばし、次にヒレを足で押さえて、胴体の両端を手で引っ張ってぴんとのばします。はじめは白い色をしていますが、しぱらくおくと、きれいなあめ色に変わります。







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