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'04剣詩舞の研究(一)
幼少年の部
◎石川健次郎
剣舞「西南の役陣中の作」
詩舞「清明」
剣舞
「西南(せいなん)の役(えき)陣中(じんちゅう)の作(さく)」の研究
佐々(さっさ)友房(ともふさ)作
 
 
〈詩文解釈〉
 作者の佐々友房(一八五四〜一九〇六)は熊本藩士の家に生まれ、青春時代には維新の現実を目の当たりに見た。明治七年西郷隆盛らの征韓論が破れると、友房は薩軍熊本隊の小隊長として西南の役に加わり、明治十年田原坂の決戦に破れた。
 この作品はその時の戦場の激しさと敗北感を対比して訴えたもので、詩文の意味は『砂を吹き上げる激しい風や雨が軍服にふりかかり、山や川は見渡す限り荒れはてて、家も僅かに二、三軒しか残っていない。大きな企て(征韓論のこと)は挫折し、戦い(西南の役)にも破れた現在、自分はこわれた橋のたもとで、馬上から花の散るのを見て無念の思いに打ち沈んでいる』というもの。
 
田原坂激戦(錦絵)
 
〈構成振付のポイント〉
 “雨は降る降る人馬はぬれる、越すに越されぬ田原坂”と歌われた田原坂の激戦は、明治十年三月三日から二十日まで雨の中の戦いが続き、西郷軍は主力を集めて政府軍の攻撃を防いだ。しかし政府軍は死傷者三千人の損害をだしながらも新型銃八千挺で雨あられと銃弾を浴びせかけ遂に田原坂を突破した。
 このときの西郷軍の銃器弾薬は比較にならぬ程不足して居り、更に旧型のため降り続く雨の戦場では火薬がしめって使いものにならなかったと云う。そのため西郷軍の主戦法は抜刀斬り込みしかなく、両軍の戦力には大きなへだたりがあった。
 まず前奏と起句は激しい銃撃戦と刀法を見せる。起句の詩文は雨のように撃って来る弾丸、突風の如く攻めて来る敵と考えてもよい。従って前奏から抜刀して雨の中を走りながら登場したら、斬りつける様々な型を見せその途中に敵の銃弾をうけて手負いになるような段どりを見せる。承句は戦場の荒れ果てた情景を詠んでいるが、これも傷つき倒れた兵士たちの状況に置き変えて見るとよい。転句からは志(こころざし)が果たせなかった口惜しさを扇や刀で見立てた抽象的な表現で見せ、結句は取り落としそうになった刀を取り上げて恨みの心でかざすと、詩文では”落花”となっているが季節的には桜の花が散ってきた情景を見せるのがふさわしい。また馬の扱い方も詩文上の指定はないが、共に戦った馬を労ったり、さらに馬上に乗って落花を見るなど、おさまりのよい振付を選ぶ。
 
田原坂民家の弾痕 
 
〈衣装・持ち道具〉
 黒紋付または稽古衣か、または両者の重ね着に、鉢巻・たすきを使って、戦闘の激しさを見せる。扇を使う場合は銀無地など地味なものがよい。
 
田原坂戦場跡







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