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吟剣詩舞の若人に聞く 第53回
多田和晃(かずてる)さん(二十八歳)●大阪府在住
(平成十四年度全国剣詩舞コンクール決勝大会剣舞青年の部優勝)
宗家:多田正満さん(大日本正義流剣舞術総本部)
目立ちたがり屋が、本当に目立った優勝
 
多田和晃さん
 
 既成の枠を超え、自分の思いをぶつける舞がしたいという多田和晃さん。その熱意が優勝へとつながった彼に、父であり宗家の多田正満さんを交えて、お話をうかがいしました。(昨年十一月、日本武道館で取材)
 
−剣詩舞コンクール剣舞青年部の優勝、おめでとうございます。まず、優勝されたご気分はいかがですか?
多田「はい、優勝すると思っていなかったので、少し面食らっています(笑)。ただ、今回の詩舞は少し悔いが残る部分もありましたから、優勝できたことに驚いています」
−その悔いというのはどういう点ですか?
和晃「コンクールの舞台、例えば今日のような武道館の舞台は全然雰囲気が違います。またコンクールは減点がありますから、失敗をすると点を引かれます。だからきちっとした踊りが求められます。そのきちっとした踊りを破ってみて、自分の思いをぶつける踊りができたかというと、今回はおとなしかったのではないか、もうひとつひねりみたいなのができたら良かったかな、と思っています」
−父親でもあり、師匠でもある宗家から見て今回の息子さんの踊りはいかがでしたか。
正満「今回は失敗がありませんでしたから、後は自分の気持ちを踊りにうまく表現できたらいい成績が残せるとは思いました。しかし、優勝するとは思ってもみませんでした。いつもと比べて失敗がなかったので、後は審査員の先生方がいい評価をして頂ければな、と思いました」
−それは、父親という立場からですか、それとも宗家という立場からのお気持ちですか?
正満「両方なのですが、私も役職についている関係上、審査員でございますから、あからさまに自分の子供だからといっていい点を付けるというわけにはいきません(大笑)。審査員長が分かりますので、そういうことは実際できません(笑)。審査員がどう評価するか、特に今回は衣装が中国風だつたので、その点をどう評価されるかが気になりました。」
−おいくつから剣舞をはじめられたのですか?
和晃「四歳の頃からだそうですが、私には記憶がありません。中学、高校の頃はあまり踊りをしていませんでした。大学生の頃に二回目のデビューをして、現在まででちょうど十年です」
−大学生になって二回目のデビューをしたのは、どういうわけですか?
和晃「心境の変化とでも言うのですか、五月五日の名流大会に人数がたりないから、お前、出ろと宗家に言われまして、それに出たのがきっかけです」
−最初は数あわせだったのですね?
和晃「はい、数あわせでした」(笑)
−出ろというのは作戦だったのではないのですか?
正満「そうではないですが、小さい頃、幼少年時代に私の弟子に負けていまして、コンクールも悪い成績ばかりで、なかなか大阪大会をパスできない状態でした。名流大会に数あわせで出しましたが、会のトップクラスの弟子たちと一緒に大会へ出ることによって、こういうものが踊りなのだな、というのが少し分かってきて興味が持てたのだと思います。ほかのメンバーに比べて、和晃は若いですから、覚えもはやく短時間で上達できました」
−和晃さんの剣舞の特徴といいますか、資質についてはいかがですか?
正満「うまい、下手というのは、あくまで周りが決めることで、もちろん、自分でも感じていないでしょうけど、やはり思い切りの良さですね。和晃は、負けず嫌いのところもありますし、当然、父親がライバルですから、私がおかしいな、と少し首を傾けると、自分なりに一生懸命に考えて稽古しています。私と違って、和晃は稽古熱心です」(笑)
和晃「そんなことないです(笑)。宗家も稽古熱心です」
−宗家の場合は後を継がなくてはいけないと、小さいときから思いませんでしたか?
正満「環境としては、そうですが、初代と約束したのは三代目、つまり私までは継がせるが、四代目、ひ孫の代は分からないと言っておりましたから。本人の自由意志に任せていたのですが、代理で名流大会に出たのが運のつきとでも言うのですかね」(笑)
−他流派の剣詩舞の若い人たちとの交流は盛んですか?
和晃「私より少し年上なのですが、他流派に同年代が多いのですよ。愛知県の入倉昭山先生とか兵庫の青柳源太郎先生とかいらっしゃいますし、話がしやすいですし、話の内容は雑談もしますが、舞台上でこうしたら、もっと面白くなるのではないかとか、飲みながら話すというのも楽しいですね」
−踊っている時は何を考えているのですか?
和晃「本人は自覚していないのですけれど、目立ちたがり屋みたいです(笑)。どれだけ見ている人を惹きつけられるかということを考えています」
正満「そこは父親と違うところですね」(笑)
和晃「そんなことないですよ(笑)。私も宗家も目立ちたがり屋だと思います。これは血です。流儀で目立ちたがり屋なのです」(大笑)
 
武道館大会リハーサル中にインタビュー。写真右より多田和晃さん、左、師であり父である多田正満宗家
 
−自分の踊りに対して、今後どこを良くしていきたいとお考えですか?
和晃「そうですね、現在のところは勢いで保っているところがありますから、これから先はこの勢いをどうもっていくかです。渋い演技ができ、舞台背景とか状況が見えるような踊りをしたいですね。まだ時代背景が見えるような踊りはできていません。剣舞だけで出ているので、気迫は出ていると思いますが、手の仕草とか表情という芝居的なものは勉強不足だと感じています。もうひとつは宗家の息子として、もし後を継いだ場合、剣詩舞をどう見せていくかというテーマがあります。剣詩舞以外の芸能、日本で言えば、能、狂言、歌舞伎、世界に目を向ければ、オペラ、ミュージカル、ダンスなどを見ながら勉強していこうかなと考えております」
−コンクールで優勝される前は、なかなか勝てなかった。何度か挑戦されてますね?
和晃「私は本番に弱いのです(笑)。やり過ぎてしまうのです。練習以上の力を出そうとするのです。回りすぎて、回転で方向を間違えたり、肩に力が入りすぎてイメージ通りに行かないとか、目立ちたがり屋が逆に行き過ぎて失敗し、点数を引かれるというのがあったかなということです」(笑)
−出られる前に宗家はご覧になるのですか?
正満「見ていますし、アドバイスもします。自分の得意技というのですか、うまくいけばいいが、と思って見ていると、今まではみんな失敗していました」(大笑)
−それは宗家の息子だという意識が強くて失敗したのでは?
和晃「それよりも、そこまでしないと優勝できないということがあります。コンクールのレベルで言えば、中部地区はレベルも高く、中部地区で勝とうとすると近畿地区大会のレベルでは、恐らく勝てない。それ以上を目指すわけですから、まず目標が高いわけです。練習不足もあるのでしょうが、自分の描いている、勝てるイメージに体がついていかないので、失敗するのだと思います。」
正満「失敗することは少しも悪いことではないと思っています。いまの年齢しかできないことがあるわけですから。ある年齢に達しますと必ず基本の大事さというものが分かってきます。ですから、和晃が中部地区に勝つために自分なりに考えて新しい試みをするということはいいことだと思います。今後のことを考えると、自分なりに苦しんで考えて稽古したことが、結局自分の身に付くことですから。和晃には新しい時代の剣舞を模索してもらいたいです」
−最後に何か付け加えることはありますか?
和晃「とにかくがんばって、剣詩舞を続けていこうと思っています」
−本日はお忙しい中、ありがとうございました。今後のご活躍を期待しております。
 
武道館大会の控室で。写真(右)多田和晃さん、(左)師の多田正満宗家
 
武道館大会控室で。写真右は多田和晃さん、左、師であり父である多田正満宗家
 
多田和晃さん







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