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吟詠家・詩舞道家のための漢詩史 21=完=
文学博士 榊原静山
清代(その三)
−清朝から近代中国へ−
 
 乾隆帝の末から嘉慶年間にかけて黄景仁(こうけいじん)、呉錫麒(ごしゃくき)、張問陶(ちょうもんとう)、陳文述などの人々が出ており、中でも李白の再生といわれる張問陶が傑出している。
 
張問陶(一七六四−一八一四) 字は仲冶といい号は船山、四川遂寧の出身で、詩が面白く『白髪三千丈』と詠った李白に対して、『十二万年この楽しみなし』などと最大限の誇張語を使ったり、『大呼す前輩の李青蓮』と詠じ、大声で遠い古(いにしえ)の先輩李白を呼び起こして、ともに楽しもうなどといい、清代蜀中詩人の冠といわれ、船山詩文集がある。
 
酔後口占 張問陶
(語釈)口占・・・口吟で、口ずさむこと。
錦衣玉帯・・・にしきの着物に玉飾りのついた帯、つまり大礼服のこと。衣冠束帯。
十二万年・・・誇張した言葉で、永久の意。
李青蓮・・・李白のこと。
(通釈)大礼服を着たまま酒に酔って雪の夜に眠れば、私の魂は天上に上ったかと思われる。このような楽しみは永久にあるまい。愉快なあまり大声で先輩の李白を呼び出してともに楽しもう−と、幾百年も前の李白をなつかしんだ詩である。
 さらに清末には曾国藩、鄭孝胥(ていこうしょ)、陳三立、王運(おうかんうん)、などの詩人がそれぞれの詩風で知られてはいるが、作家も乏しく、詩運もあまりふるわず、わが国の明治初年に公使館員として赴任し、わが国の風俗を詠じて“日本雑事詩”やら“日本国志”四十巻を著して日本の姿を中国に紹介した黄遵憲(こうそんけん)という人がある。
 
黄遵憲(一八四八−一九〇五) 字は公度といい号は東海公、法時尚任斉主人とか水蒼雁紅館主人ともいい、広東省嘉応州に生まれ、幼い時から文才をあらわし、十歳位で立派な詩を作ったといわれ、二十九歳で官吏になり、間もなく日本を振り出しに、アメリカ、イギリス、シンガポールなどを歴任して歩き、外交官の生活をして世界情勢にふれ、近代的新思想にもとづいて新しい事象を新知識で詠じて、近代的詩風を打ち出し、清朝詩壇の最後を飾った詩人である。詩集に人境盧詩草がある。
 このように永くつづいた清朝も、西紀一九一一年、孫文の率いる(ひきいる)中国革命軍によって倒され、中華民国になり、広範囲の文化運動の一部と考えられ、郭沫若(かくまつじゃく)のロマン的な詩や、聞一多の象徴的な詩が目立ってはいるが、全体として教育界も口語体に統一され、王朝風に栄えた伝統的詩という考え方が後退し、さらに一九四九年、中華人民共和国になってからは非専門家の作として、それまで顧みられなかったいわゆる民間の秧歌(やんごう)、新民歌が多く掘り出され、編集され、曲と踊りが中央に紹介されつつあるが、現在は唐、宋、清の詩壇の絢欄たる時代におよぶべくもない。むしろ現在わが国にこれほど多くの人々が漢詩を愛し、詩を吟ずる人口三百万といわれる日本詩吟界の繁栄振りを思うと寂寞の感がある。しかし中華人民共和国の郭沫若氏が、日中国交が回復した最初の新年を祝って読売新聞社を通じ、日本へ送って来た詩を見ると、さすがで、中国に漢詩の本流の残っていることをうかがわせた。
 
郭沫若(一八九二−一九七八) 名は開定で、号は鼎堂という。現代中国の最も偉大な文学者であり歴史学者でもある。中日友好協会の名誉会長、党中央委員などを歴任した。著書には詩集“女神”をはじめ“屈原”、“虎符”など。
 
睦隣万国 郭沫若
(語釈)屈原・・・昔の中国の忠臣詩人。辞賦・・・屈原の著”楚辞”のこと。芬芳・・・良い芳ばしい香りの形容。長虹・・・長い虹。干戈・・・戦争。玉帛・・・玉と絹。古代中国の諸侯が贈り物にした礼物のこと。唇歯・・・くちびると歯から、互いに親密な間柄。嘉橘・・・めでたい立花。青陽・・・春のこと。
(通釈)屈原の楚辞は香気に満ちあふれている(この屈原の楚辞を日中国交回復のとき毛沢東主席から日本の総理に贈られた)。このため、この中国文化の精華である楚辞が長大な虹に乗って海洋を跨いでいったことになる。永い間干戈を交えて戦争をしたが、それがこの玉帛にも似た贈物になって、友好関係になった。曾って中国と日本は口唇と歯のように親密な間柄であった。隋や唐代を憶う言葉と行為を一致したまことの成果を論語の「言は必ず信、行いは必ず果」という格言どおりであることを期待し、この交した九項目の共同声明を守ろう。そしてこのことが両国だけでなく世界万国にひろがり、年々めでたい橘の実をかざって新しい春の祝いの言葉にしよう。(おわり)
 
 吟詠家・詩舞道家のための漢詩史はこれで終わり、次回からは同じく榊原静山氏著「吟詠家・詩舞道家のための日本漢詩史」を連載します。







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