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詩舞(群舞)
「笛(ふえ)を吹く(ふく)」の研究
杜甫(とほ)作
 
 
杜甫(像)
 
〈詩文解釈〉
 作者の杜甫(七一二〜七七〇)は三国志の雄、諸葛孔明に傾倒して「蜀相」を詠んだのが西暦七六〇年の春、その頃成都に居を構えていた。
 その後、中国には絶えず内乱が起こり、杜甫は蜀(しょく)を去って舟で岷江(びんこう)から長江本流に入り、苦労を重ね州(きしゅう)に移ったのが大暦元年(七六六年)春であった。最初は粗末な小屋住まいであったが、秋になり白帝城内の「西閣」に移った(写真参照)。杜甫はここに二年ばかり逗留したが、その間に約四百三十首もの詩を作り円熟の境地にあった。「笛を吹く」もその頃の作品である。
 さて詩文の意味は『秋の山中は、風も月も澄みわたって、さえた笛の音が聞こえる。
 一体誰が吹いているのだろうか、あまり巧みな演奏に、はらわたが千切れる程の愁いを起こさせる。その調和した笛の調べを、音色(ねいろ)が美事に風に和して運んで来る。
 さて月が関山に沿うて昇ると、幾つもの峰が明るく照らし出されて見えてくる。
 胡(北方民族)の騎馬兵達は望郷の思いに耐えかねて、真夜中に北に向わせる程であり、また笛の調べの「武陵の曲」は、かつて南に遠征した人を想い起す。
 それにしても作者自身が「楊柳の曲」を聞くと、自分のふるさと(鞏県(きょうけん)・瑶湾(ようわん)村=写真参照)を思いだし、庭の楊柳の葉の落ちる情景が目に浮かび、憂愁の心が次ぎ次ぎに展開されてくる』と云うもの。
 
当時杜甫が居住した西閣
 
杜甫のふるさと・鞏県瑶湾村
 
〈構成振付のポイント〉
 この作品は作者・杜甫の心象(イメージ)を述べているので、基本的には一人称で舞踊構成すべきであろう。しかし五人の群舞構成が規則となっているので、その中の一人を常に作者役にするか、又は五人を一体化して構成するかは自由である。
 作品の前半は、李白の「春夜洛城に笛を聞く」が、季節は異なるが雰囲気としては似ているので参考になるだろう。例えば作者とは別に笛を吹く人と、その反応的な描写を細かく群舞で見せる。次に後半の五句、六句目などは、王昌齢の「出塞行」などの辺塞詩に似た感覚で、乗馬などの振りを見せるとよい。
 さて七句八句は、作者杜甫の晩年の傾向である、ふるさとへの帰心を、柳の葉が揺れ落ちる情景などを扇を使って抽象的に描く。
 
〈衣装・持ち道具〉
 五人全員が秋のイメージで薄茶又はべージュの揃いの着付に、袴はやや濃い目が上品でよい。作者の着付を分ける場合は一段濃い目のものがよい。持ち道具の扇は、月をイメージする銀と、柳の葉を図案的に重ねれば面白い。







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