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'03剣詩舞の研究(九)
群舞
石川健次郎
剣舞「本能寺」
詩舞「琵琶湖上の作」
剣舞(群舞)
「本能寺(ほんのうじ)」の研究
頼山陽(らいさんよう)作
 
〈詩文解釈〉
 明智光秀は日頃から主君の織田信長に対して、非常な恨みを持ち謀反の機会を狙っていた。たまたま天正十年(一五八二)五月、光秀は信長より備中高松城を攻撃している豊臣秀吉(当時は羽柴姓)の救援を命じられたが、光秀は時期到来とばかりに秀吉の援軍を装って本能寺に居る信長を攻めた。その時、明智光秀の軍は一万三千、信長側は無防備に近い手勢が二百人程しかいなかった。
 ところでこの詩は江戸時代の儒者で史家として名高い頼山陽(一七八〇〜一八三二)が、事件の経過と光秀の反逆的行為を批判して詠んだもので、大意を次のように述べている。『明智光秀は俳句の会で「本能寺の溝の深さは何ほどか」とたずねたりしたが、その夜に信長襲撃を決断したのであろう、光秀ははやる心のためか粽(ちまき)を皮ごと食べてしまった。折からの梅雨(つゆ)は四方の軒に降りそそぎ、空は墨を流したように暗かった。
 老の坂(旧山陰道の地名)を西へ向かえば秀吉のいる備中への道である。しかし光秀は鞭を東に示した。まだ夜明け前である。″我が敵は本能寺にいる″と光秀は初めて本心を明かしたが、例え信長は討てても、強敵の秀吉が備中に居ることを光秀はよく弁える(わきまえる)べきであった』というものである。
 
〈構成振付のポイント〉
 詩文中心に構成を考えると、前半は殆どが明智光秀個人にかかわる事がらなので、群舞コンクール規定の三人全員が光秀として揃い振りを見せるのは違和感が生じる。従って三人の中の一人が光秀、他の二人が従者または情況を表現する役としての個別振りを考えたい。一方光秀の鬱積(うっせき)した心を、前半の詩心として展開するのであれば、その心象を墨(すみ)を流したような暗さと、しとしと降る雨の如しと第四句をヒントにして、更に溝の水流などを加えて抽象的に振り付ける。
 後半は詩文に添って第五句から三人が乗馬の振りで西(下手)に向かって進み、第六句から東に向きを変え以下七句目にかけて激しい剣技で合戦の様子を構成する。
 合戦については夜襲の接近戦で明智方と織田方と仕わけることも出来るし、錦絵に見られるように武具や槍の扱いを見せることが出来よう。さて第八句目はこの作品中一番の難関で、前項でも述べたように、此の一句だけが作者の意見として、別次元の扱いになっている。舞踊表現では同一次元でないと理解しにくいので、例えば八句目の前半で勝誇った振りから、秀吉軍の西からの反撃におののき備えるポーズに移行する現在形で表現する。
 
錦絵・本能寺夜襲(奮闘する森蘭丸)
 
〈衣装・持ち道具〉
 衣装は黒紋付または地味な色無地紋付。振付けによっては、光秀を他の二人とちがえてもよい。扇は軍扇のイメージで黒骨の地味なものがよく、又は抽象的な振付けに適したものを選ぶこともできる。
 武具は刀以外に槍を使ってもよい。







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