日本財団 図書館


詩舞
和歌「天離る(あまざかる)」の研究
柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)作
 
 
〈詩文解釈〉
 作者の柿本人麻呂(生没年不詳)は七世紀後半の人で万葉集の代表的歌人である。作品には持統天皇(女帝)の庇護をうけ、宮廷歌人としての典雅なものも多い。役人としては四国や石見国に赴任した事がある。
 ところでこの和歌は万葉集の巻三に、人麻呂の羇旅(きりょ)(旅情)の歌として収められていて、人麻呂が西の地方から都の大和に帰って来た折に、明石の海峡でなつかしい大和の山々を望んで詠んだものである。「天ざかる」は夷(ひな)の枕詞(まくらことば)で、夷は都(都会)の反対の田舎とか辺鄙(へんぴ)な遠い場所を意味する。明石の門(と)は明石海峡のこと、大和島は大和の山々が見える陸地のことを、海から見て島と云った。
 さて和歌に詠まれた意味は『遠い田舎からの長い道すがら、ずっと大和のことを恋しく思ってやって来ると、明石の海峡から、なつかしい大和の山々が見えて来た』と云うもの。
 
柿本人麻呂像
 
〈構成振付のポイント〉
 この作品は望郷の歌である。作者が少壮期に宮廷歌人として、奈良の都で優雅な生活を送っていたであろうに、或るとき、長い期間都をはなれ、明石から四国の地に渡って、物寂しい田舎暮らしをしていたとすれば、大和の都に対する憧れは次第にはげしくなったであろう。
 そうした思いがかなって、いよいよ帰郷が現実のものとなれば、その感動は大きい。
 さて詩舞として構成振付する場合、演者は必ずしも作者と同一人物に復元する必要はなく、詩に現わされた情景を中心にして、演者の年齢性別にふさわしい振りを考案すればよい。
 一例として、前奏から一回目の和歌の前半にかけては、荒れた田舎道を転びそうになりながら歩み、途中たたずんでは東の方向を振り返っては都を思い出す。和歌の後半からは役変りをしたように舟を漕ぐ振りで舞台を大きく一巡し、扇で波の描写なども見せる。
 さて、返し(二回目)からは自由な発想で都の優雅な情景を舞いで表現し、幻想に酔っていると、後半、大和の山山が見えると現実に戻り、恋いこがれた故郷を目前にして強い感動の表現で終る。
 
〈衣装・持ち道具〉
 旅にふさわしく、また演者の年齢性別に似合ったものを選ぶ。持ちものは上品な柄の扇。旅路に使う杖を舟の櫓と共用してもよく、別な用途も考えられる。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION