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'03剣詩舞の研究(八)
一般の部
石川健次郎
剣舞 和歌「もののふの」
詩舞 和歌「天離る」
剣舞
和歌「もののふの」の研究
菊池武時(きくちたけとき)作
 
 
〈詩文解釈〉
 作者の菊池武時(一二九二〜一三三三)は鎌倉末期・南北朝時代の武将で九州肥後の出身。父は菊池隆盛、祖父菊池武房は蒙古襲来の時に奮戦して勇名をとどろかせた。
 さて武時は、元弘三年(一三三三)に鎌倉幕府を倒すべく伯耆国船上山に挙兵した後醍醐天皇のもとに参じ、錦旗を賜わり、同年三月鎮西(九州)探題北条英時(ひでとき)を博多に攻めた。しかし当時一緒に倒幕軍に加盟するはずであった少弐貞経(しょうにさだつね)と大友貞宗の二氏は日和見(ひよりみ)して参加せず、武時は独り挙兵して探題を攻めたが、激戦の末に敗れて戦死した。
 
南北朝時代弓合戦(絵巻)
 
 さてその後中央では六波羅探題が落ち、後醍醐天皇が還幸になると云うしらせが聞えてくると、少弐貞経は態度を変え、皇子尊良(たかなが)親王を奉じて兵を挙げ、大友貞宗もおくれじと立ち上って共に博多の探題北条英時を攻めたので、ついに英時は一族郎従とともに自害してはてた。
 この様な時代に生きた武士の心をかえりみて、「太平記」では『行路の難きこと山にあらず水にもあらず、ただ人情の反覆にあり』と白楽天の詩を弓用して述べているが、一方真実の忠義に徹した武士(もののふ)菊池武時の真髄をこの和歌から汲みとることができるであろう。歌の大意は『武士が戦場に望むときに背負う数多くの矢のなかで、上に差す鏑矢(かぶらや)は一本しかない如く、武人の一念での決心と云うものは、他人は知らなくても、神のみが知ることである』と云うもので、つまり菊池武時の忠義の純粋さを述べている。
 
〈構成振付のポイント〉
 さて、この菊池武時の詠んだ和歌によって、剣舞構成のポイントをどこに求めるかを決めることが先決であろう。
 先ず第一に考えられることは、菊池武時の忠誠心を基本にした人物描写である。しかし、前項でも述べた様に、天皇に対して忠誠を誓った武時の心情はどの様なものであったであろうか。この時代の、しかも地方の合戦の様子は資料がとぼしく、一般的と云っても、あるいは一部の武士の“思惑”と云うものが、天皇方(官軍)であろうと、幕府方であろうと、その時点で分(ぶ)のよい方に味方すると云った日和見的な考え方が横行し、更にその結果としての論功行賞すらが、生存した勝利者達によって争われた。
 菊池武時のように、天皇の勅命によって天下の情勢が幕府方に傾いていた時に率先して倒幕に起って(たって)、然も死を恐れぬ彼の心情は、他人は分からずとも、神のみが知ると云った純粋な“もののふ像”を描きたい。
 振の一例としては、前奏から一回目の和歌前半にかけて、演者は大将の風格で、帯刀し扇を持って上手から登場。下手の敵側に対して“矢合わせ”の作法を行なう。(矢合わせとは合戦の開始を通告する合図で、双方で行うが、一般には鏑矢(かぶらや)と稱する、矢の先端に木か鹿角(しかつの)で蕪(かぶら)の形をしたものの、中を空洞にし数個の孔をあけ、これを射れば穴から空気が入って鳴る。正月の縁起ものとして神社で頒布する“破魔矢”はこの形のものが多い。
 さて実用ではこの先に、雁股(かりまた)を着けるが、この鏑矢は一本(一筋)しか必要としないし、最初に使うので、矢をたばねて持つ矢袋の表側に差す。)
 弓の見立てとしては刀を抜き、左に持ち替えて弓の形を見せ、右手は閉じた扇で矢の見立てをするなど工夫を凝らしたい。実際の弓を持ち出すのは大きすぎるが、矢なら「破魔矢」程度なら武具として活用できる。
 和歌後半は弓(刀)を納め、神に戦勝の祈願を込める振りに続ける。
 さて返し(二回目)の和歌はすべて合戦の剣技と、扇による弓矢の見立ての合戦振りを組合せ、最後は壮烈な戦死の様子を見せ、或いは神格化したポーズで終る。
 
 
〈衣装・持ち道具〉
 忠誠心の厚い、決死の武士に相応しく、黒紋付に袴、白鉢巻、白たすきで、持ものは白骨の白扇がよい。







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