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吟詠家・詩舞道家のための漢詩史16
文学博士 榊原静山
 
吟界なじみの蘇軾(そしょく)、文天祥(ぶんてんしょう)らが活躍
−宋代(三)−
 
蘇東坡(そとうば)(一〇三六−一一〇一)名は蘇軾という。字は子瞻(しぜん)、眉山(四川省)の出で、彼は父の蘇洵、弟の蘇轍と並んで、“三蘇”と呼ばれ、二十一歳で進士となったものの王安石と意見が合わず不遇であったが、その中にあって、北宋第一の詩人といわれるほどすぐれた詩を残している。なかでも『春宵一刻値千金」で知られた“春夜”はしばしばわが国の吟界で吟じられているが、“梨花に和す”の詩もまた味わいがある。古体詩の大作も多く東坡全集百十五巻がある。
 
和東欄梨花 蘇東坡
梨花淡白柳深青 梨花は淡白柳は深青
柳絮飛時花満城 柳絮(りゅうじょ)飛ぶ時花(はな)城(しろ)に満つ
惆悵東欄一株雪 惆悵(ちゅうちょう)す東欄一株の雪
人生看得幾清明 人生看得(かんとく)す幾清明(いくせいめい)
(語釈)東欄・・・東にある手すり。柳絮・・・柳の綿のような花。惆悵・・・悲しみいたむさま。清明・・・暦の上の日で冬至より百五日後の陰暦三月、花の咲くよい季節のこと。
(通釈)梨の花はうす白く、柳は濃い緑となり、良いコントラストをしているが、その柳のわたも散り、梨花も残らず城中一様に散って、一年の春はゆくのであるが、いま東のてすりに雪かと思われるように美しく咲いている一株の梨花がある。この梨花をみるにつけても、人生で今から果たして何回この花咲く春の清明の日にめぐり会い、この梨花を見ることができるかと思うと、我が心は淋しくいたむ
−蘇軾が高密(山東省)の長官孔密州の家の梨の花を見て作った詩である。
 蘇東坡の門人では、黄庭堅(こうていけん)、秦観(しんかん)、張来(ちょうらい)、晁補之(ちょうほし)、陳師道(ちんしどう)、李薦(りせん)など蘇門の六君子が出ているが、中でも黄庭堅が最もすぐれていて江西派の始祖とも仰がれている。
 
黄庭堅(こうていけん)(一〇四五−一一〇五)江西の人であり字は魯直、号は山谷または諸翁ともいっている。二十三歳で進士になり、国士編修官になったが、常に地方廻りの役人として冷遇され、あまり幸福な生涯ではなかったが、人生を愛し、おおらかに生きて、豊富な人格を持って師の蘇軾に優るとも劣らぬ詩人として、蘇童と讃えられる人で、六十一歳で宣州の宿舎で病没している。
 
 つぎに北方の蛮族に追われて、江南へ移ったいわゆる南宋時代には范成大、尤袤(いうぼう)、揚万里(ようばんり)、陸游(りくゆう)、などが活躍し、その中でも陸游が最も有名である。
 
 
陸游
 
 
陸游(一一二五−一二一〇)字は務観、号は放翁、紹興(浙江省)の人で、宋朝の危難を憂えて愛国の情を吐露し、さきにも述べたように、無慮一万首にもおよぶ多作詩人といわれている。一〇四頁参照。
 ほかには『少年老い易く学成難し』の詩を作った朱熹(しゅき)がいる。
 
 
 
朱熹
 
 
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(語釈)水口・・・入江の入口。扁舟・・・小舟。雨一簑・・・簑をうるおす程度の小雨。孤篷・・・一つの舟の苫。
 
 
『水口行舟』
 
 
(通釈)昨夜小舟に乗ったら、ほんの簑をしめらす程度の小雨があったが、河いっぱいに波が立って眠られなかった。夜明けを待って舟の苫を揚げてみると、当面の山々はもとのように青々として目の前にある−。
 もう一人、南宋で忘れてならないのは、“正気歌”の作者、文天祥である。
 
文天祥(ぶんてんしょう)(一二三六−一二八二)字は宋瑞といい号は文山、吉水(江西省)の人で、進士となり、江西提刑の役人であったが、元が入寇したとき大いに働き、左丞相になり、信国公に封ぜられ、宋王室の恢復に力を尽したが、元の將張範の軍に敗れ、捕われの身となる。元から志をひるがえして降伏するように勧誘されたが、志操堅固な文天祥は『丹心を留守して汗青を照らさん』と詠んでこれに応じなかったために、ついに大都(北京)に護送され、投獄されて満三年も獄中生活に耐えた。この獄中で作ったのが“正気歌”である。わが国の吟界でしばしば吟じられる“零丁洋を過ぐ”は未だ文天祥が元軍と戦っていた最中に、広東省中山県の南、珠江の江口にあたる零丁洋を通り過ぎた時の作である。
 文天祥にいくら勧めても到底屈しないのを知った元は、一二八二年ついに大都で刑に処してしまった。文天祥は刑に臨んで従容(しょうよう)として“吾が事おわれり”といって死についたと、後世までの語り草になっている。文天祥には文山集、文山詩史がある。
 その他の詩人には王珪(おうけい)、司馬光(しばこう)、真山民(しんざんみん)、謝枋得(しゃぼくとく)、呂居仁(りょきょじん)、徐照(じょしょう)、徐(じょき)、扇巻(おうけん)、趙師秀(ちょうししゅう)、黄天谷(こうてんこく)などが出ている。
 
 
文天祥
 
 
宋代の詩書
 この宋代には多くの重要な詩の集成書が作られている。先ず周弼(しゅうひつ)の編集した“三体詩”六巻があり、これは唐の詩人百六十七人の作品を七言絶句、七言律詩、五言律詩の三体に分類したものであり、つぎに郭茂清(かくもせい)の“楽府詩集”百巻、これは古代から唐のあと五代までの楽府を、時代別に十二に分類して正確な解説がつけてあり、楽府研究のためには重要な文献である。
 また黄堅の“古文真宝”二十巻は漢代から宋代まで時代を追って、名詩や有名な文集を集めた便利な書である。







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