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新進少壮吟士大いに語る
第一回
矢田星旺さん
(粋心流星華吟詠会)第二十期少壮吟士
田中摂洋さん
(吟道摂楠流)第二十期少壮吟士
 
 
矢田星旺さん
 
 
田中摂洋さん
 
 
少壮吟士に近道なし、練習あるのみ
 しばらくお休みしていました、「少壮吟士に聞く」が「新進少壮吟士、大いに語る」として新しくスタートしました。少壮吟士になるためにはどうしたら良いか、に焦点をあて、読者の皆様の参考になるようなお話をうかがいます。ご期待ください。
 
司会・・詩吟を始められた頃のお話をお願いします。
矢田「詩吟を始めたのは十八歳の頃です。関西学院大学に入学して、すぐに始めました。ご近所に詩吟を教えている方がいまして、そこで習いました。そもそものきっかけは映画でした。昔の映画には、詩吟が挿入されているものがあり、明治天皇という映画の中の詩吟が素晴らしく、私もこんな素晴らしい吟詠ができたらというのが動機です」
司会・・矢田さんが少壮を受けられたのは、いつ頃ですか?
矢田「八島紫海先生のご指示で、少壮が始まった時から受けていましたが、ずっと落ちていました(笑)。受かるまでずいぶん長い時間がかかりました。最初に受けてから、受かったのが何と五十三歳です」(笑)
司会・・田中さんは、いつ頃からお受けになったのですか?
田中「最初に受けたのは三十六歳の頃でした。摂楠流の会長推薦で、少壮を受けさせてもらいました。兵庫県には先輩の少壮の先生方がたくさんいらっしゃるし、私の所属する摂楠流にも多くの先生方がいらして、順番からいっても、私に少壮吟士を受けてみなさいと推薦していただいたわけです」
司会・・少壮を受ける気になったのは何故ですか?
矢田「財団ができたという話を聞きましたし、受けてみたらどうかという、お話もいただいたからです。ただ、私は近畿の中だけで活動していたものですから、全国規模の大会は自信がありませんでした」
田中「私の場合、大きな声で力いっぱい声を出すのが、詩吟の良さという考えが自分自身にありました。私の流派である摂楠流にも先輩の高橋摂匠先生がいらっしゃいまして、高橋先生は早くから少壮にもなられ、同じ流派でもありますから、少しお話をさせていただいたり、稽古をつけてもらったりして、高橋先生の吟を聞いていると、ああ、これが心を打つ吟というものかと感じました。また少壮の先生方の吟を聞く度に、これが本物の吟なのかもしれない。もう、少壮を目指すしかない、という気持ちになりました」
司会・・当時、少壮にはどんなイメージをお持ちでしたか?
矢田「アクセント、音程が素晴らしいなど、そのすべてが私の目標でした。当時は、一生懸命音程を合わせようと練習しているのですが、少しずつ音程が狂ってきます。なぜ、音程が狂うのか分かりません。分からないままに数年がすぎました。自分は分からないのに少壮の人たちは分かっているわけです。吟の上手い下手は別にして、まずは音程を百パーセント合わせることに目標を置きました。非常に奥の深さを感じました。でも、少壮吟士の三回目を通ったあたりから音が狂わなくなりました。この段階から舞台に上がっても絶対に音を狂わせないという確信が持てるようになりました。少壮に受かった時は本当に嬉しかったです。やっと自分の目標としていた少壮の世界に辿り着けたかという気持ちでいっぱいでした。努力が実ったという感じです」
田中「自分の力でどこまでいけるかな、と思いました。できたら日本一になりたい、当時は頂点を目指しているわけですから。もともと詩吟を始めたのが父の死をきっかけにこの世界に入ったものですから、最初は父への供養の気持ちでした。その供養の気持ちが、いつのまにか日本一になりたいという気持ちになりました。ただもう詩吟、詩吟、詩吟で明け暮れてしまったという感じです。やはり摂楠流の先輩の高橋先生が身近にいらっしゃったので、少壮吟士、少壮コンクールというものが憧れになりました。少壮吟士の吟はゆったりとして味わい深く、私のように大きな声で強く吟じてきた者には、少壮コンクールの吟というのは、何かひと味ちがうなと思われました。その吟詠に私自身が惹かれ、また先輩の高橋先生が少壮吟士でしたから、ある程度、少壮とはどういうものかも分かっていましたので、もう少壮吟士しかないという気持ちでがんばってきました。少壮の一回目も早く入選できたし、二回目も二年後に入選できたのですが、三回目は六年かかりました。どうしても力が入り過ぎるというか、私にはそういうところがあるのですが、舞台の上にあがると力んでしまうのです。結果、自分に負けてしまうというところがあります。それが悔しいから何回も何回も挑戦するわけです。どうも自分の思うように声が出ないのです。とにかく六年間一回も休むことなく挑戦しましたが、少壮になれたことは皆様の応援によるものというのが実感です」
司会・・念願の少壮吟士になられ、心境も含めて一番変わられた点は何ですか?
矢田「まず舞台に立つ機会が多くなります。少壮のコンクールに通るには十五題お稽古していたらある程度のレベルがあれば入選できるわけですが、上手い下手は別です。実際に自分が舞台にたって吟詠を行なう場合は常にいい舞台をやらなければいけないわけです。この点については、正直に言うと、私は自信がなかったです。舞台に立つということから、私は猛勉強しました。上手な先生、ひとりの先生の吟を分かるまで聞きましたね。普通の聞き方ではなく、徹底的に聞きました。その吟が分かるまで聞きました。二年は聞かないと分かりません。なぜ、あんなに強く吟じて、なぜ、あんなにきれいに母音がでるのだろうと。強弱緩急、自分が分かるまで聞きました。少壮になりたての頃は全然できませんでした。それからが本当のチャレンジでした。二年間ぐらい同じテープを聞いて、ほぼできるようになったかなという感じです。まだまだ足下にも及びませんが。それに少壮に通っただけでは、不安でしようがありませんでした。いつ声が出なくなるかもしれない。少壮という名に恥じぬよう舞台をつとめあげなければいけないと、私のように少壮になってから猛勉強なされた先生方が多いのではないでしょうか」
田中「少壮吟士にならせていただいて、それからの第一歩というのが、やはり多くの少壮吟士の先輩方がいらっしゃるので先輩方に負けぬよう一生懸命に、自分なりに勉強しないといけないということで、努力も練習もしました。私の場合、発声に問題がありまして、舩利夫先生にもご指導いただいたりして、もともと強吟が好きなものでしたから、つい力んでしまうのです。どうも弱声が苦手で、ついには声がでなくなってしまいました。それが一番苦労しました。多分に精神的なものだろうと思います。少壮吟士になって、どんな小さい舞台にも精いっぱいがんばろうという気持ちはあるのですが、どうもうまく声が出せないのです。いまだに弱点として苦労しています」
司会・・最後にお二方に少壮を目指されている方へのアドバイスをいただいて終わりにしたいのですが・・・。
矢田「私がアドバイスできることは、一に努力、二に努力、三に努力です。あがりやすい人の場合、私がそうなのですが、どうしたらいいかというと、練習しかありません。吟詠に対して自信を持つには練習しかありません。私は発声など、千回は練習しますが、それでも間違ったら、また練習します。まだ暗記が足りないのだな、と練習します。自信は練習からしか生まれません。これが私の経験から言えることです」
田中「美しい母音を出すこと。そのためには正しい発声法を修得しなければなりません。その前提になるのは音を狂わせないことです。詩吟をしたときに美しい母音が出せることを、まず目標にするといいでしょう。これはそんなに難しいことではなく、ちょっとしたきっかけでつかめます。分からなければ少壮の方に聞けばいいのです。やることがいっぱいあると思いますが、まずこの基本の修得を目標にするといいですね。もちろん、私自身も常に美しい母音を出すこと、正しく発声することを肝に銘じています。少壮をお受けになる人の大半が、まだまだ力んでいるように思われます。それは音を狂わせない、美しい母音を出す、正しく発声するという技術を修得できていない方が多いということではないでしょうか。基本技術を修得し、皆さん少壮吟士になっていただきたいと思います」
司会・・本日はどうもありがとうございました。これからの、お二人のさらなるご活躍をお祈りいたします。
 
 
左/田中摂洋さん、右/矢田星旺さん







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