吟剣詩舞だより
財団公認二十五周年記念「埼玉県吟剣詩舞道大会」開催
立春は過ぎたものの未だ寒さが残る、平成十四年二月十一日の建国記念日に、埼玉県上尾市福祉会館大ホールに於いて財団公認二十五周年記念「埼玉県吟剣詩舞道大会」が開催されました。当日は快晴に恵まれ、早朝より多数の会員が集まり、開会の九時十分には会場は人の波で埋まり、ホール全体が熱気に包まれました。
大会は、佐野楠鶯実行副委員長の力強い開会宣言に続いて、横田岳  実行副委員長の先導による「国歌斉唱」「吟剣詩舞道讃歌」の大合吟で開始されました。『第一部』各流合吟は五十一組を数え、次々と続く各流派の合吟は、迫力満点で埼玉県総連盟の底力を感じさせるに充分なものがありました。『第二部』剣詩舞は、昼食を挟んで二十組が出演、舞者と吟者の呼吸が合って華やかで楽しい舞台を披露しました。
式典で挨拶する内田隆洲大会会長
続く『式典』は、財団の専務理事鈴木吟亮先生、常任理事工藤龍堂先生、事務局長矢萩鳳翔先生を始め、東京都・近県の理事長の金井心彰先生、西形興信先生、太田修道先生、菅原雪山先生、鈴木凱山先生のご臨席を頂き、沼崎星掌実行副委員長の司会で行なわれました。まず、一昨年埼玉県総連盟の理事長に就任した内田隆洲大会会長の挨拶は、財団の会長笹川鎮江先生を始め関係各先生方に対する御礼と、新生埼玉県総連盟の更なる活性化をはかり、会員一同の団結・組織の発展に向けて一層の努力を誓うという今後の抱負についての熱のこもった内容でした。続いて「青少年育成基金」の目録が財団に対して手渡され、それに対して矢萩事務局長より丁重な謝辞が述べられました。
次に、永年に亘って県総連盟の為にご尽力頂いた、小室貴相、岡村晨潮、平野北穂、児玉暁歓、津谷桜佳以上五名の先生方に功労者感謝状と花束が贈られました。続いて、鈴木吟亮専務理事、工藤龍堂常任理事及び近県理事長を代表して金井心彰群馬県総連理事長の各先生より心温まる励ましのご祝辞を頂き、続いて笹川会長・県教育長・関係団体よりの祝電披露があり、終わりに勝部吼嶺実行副委員長より財団会長笹川鎮江先生のご祝辞・お祝い電報に対する御礼、並びに財団のご後援、ご来賓の先生方に対する謝辞が述べられ式典を終了しました。
続いて、ご来賓諸先生方のご範吟ご範舞が披露され、満員の会場を魅了致しました。『第三部』構成吟「武士の興亡に見る武蔵武士団」は、内田隆洲大会会長の企画によるもので、県内に今も残る古墳や地名から古代に思いを馳せ、万葉の代より大和・飛鳥・平安・源平・鎌倉・室町・戦国・江戸とそれぞれの時代に於ける武蔵の武士団の興亡を通じて人間の哀感をうたい上げた格調の高いものでした。
最後は、窪田吟身大会実行委員長が閉会の辞で「楽しい吟詠・楽しい剣詩舞」の輪を更に拡げて、一層魅力のある連盟にしようと誓い、内田隆洲大会会長による万歳三唱、続いて「別れの曲」の流れに合わせ、舞台上の出演者と会場満席の会員との大合唱となり、感動の内に定刻、大会を終了しました。
(埼玉県吟剣詩舞道総連盟事務局)
昔懐かしき大連と、旅順の戦跡を巡る吟友の旅
暦の上では已に春、しかし、朝夕まだまだ冬の名残りが気になります。平成十四年二月二十五日、中国遼東半島の大連市及び、日露戦争要塞激戦地旅順を訪ねるべく、私達、吟詠愛好家有志一同四十名は、現地時間の十二時五十分、大連空港に降り立ちました。
旧日本時代を髣髴(ほうふつ)させる市内風景、今でも堂々たる旧大和ホテル(現大連賓館)日横浜正金銀行(現中国銀行)。とりわけ市内路面電車は、数十年前の東京を思い起こさせ、私の目は涙で潤むのでした。
翌二十六日朝、いよいよ戦跡旅順要塞の地へ向けて出発。『時は明治三十七年八月十九日〜二十四日。九月十九日〜二十日。陸軍第三軍司令官乃木希典は、東鶏冠山保塁。二龍山保塁。松樹山保塁等々へ総攻撃を開始。しかし、武運拙(つたな)く死者一万六千人をもって、第一回総攻撃は失敗。今度は、二十八センチ榴弾砲を投入、白襷隊(しろだすきたい)をもって第二回総攻撃を行ないますが失敗。敵保塁には死屍累々、正に目を覆うものがあったと言います』
私達は、戦いの激しかった東鶏冠山保塁を訪れました。小高い丘の頂きにあるコンクリートでがっちり固められた一大堅塁陣地。無数の銃弾の痕、今なおその生々しさを物語っておりました。『十一月二十六日、第三回総攻撃を開始。今度は主力目標を二百三高地に向けました。七時間に及ぶ猛攻撃で一度は二百三高地を占領しますが、ロシア軍の逆襲により奪回されます。この時、乃木希典の次男保典氏が戦死』
二百三高地のやや下に「乃木保典君戦死の地」の墓碑が建っておりました。戦死した子息二人の潔(いさぎよ)い心を思っての、父親としての句でしょうか。
203高地の慰霊塔・爾霊山
咲くことを
などいそぎけん今更に
敗るををしとも
思う今日かな
全員、乃木保典君の心安かれど、献吟しました。
『十二月五日、日本軍砲兵の猛援護射撃の下、日本軍歩兵が二百三高地に向かい、最後の突撃を敢行、ロシア軍を駆逐、遂に二百三高地は陥ちました』。
私達は、乃木希典将軍が命名した二〇三高地、爾霊山(にれいさん)の慰霊塔に向かい、心から献吟。
爾霊山は険なれども
豈(あ)に攀(よ)じがたからんや
男子の功名克艱を期す
鉄血山を覆うて山形改まる
万人斉(ひと)しく仰ぐ爾霊山
『それから、諸陣地は次々に陥落、翌明治三十八年一月五日、水師營にある日本軍の衛生所にて日本軍の乃木将軍と、敵将ステッセルが会見し、激しい戦いは終わりました』
「旅順開場約なりて 敵の将軍ステッセル・・・」子供の頃よく歌いました水師營の会見の歌を、この水師營の地で全員で懐かしく唄い、名残りを惜しみつつ、翌二十八日大連空港を後にしました。
(千葉県深沢吉翠)
慰霊塔の前で「爾霊山」を合吟する吟友の旅の一行
財団法人 日本吟剣詩舞振興会関連事業予定表(5月)
日 |
時間 |
大会名 |
開催場所 |
責任者 |
5日(日) |
9時00分〜17時00分 |
全国名流吟剣詩舞道大会 |
びわ湖ホール |
近畿地区連協 |
12日(日) |
10時00分〜16時30分 |
平成14年度剣詩舞コンクール滋賀県予選大会 |
野洲町立文化小劇場 |
黒木厚城 |
19日(日) |
8時30分〜17時30分 |
日本吟詠総連盟第49回全国吟詠剣詩舞大会 |
長野市民会館 |
梅田櫻山 |
26日(日) |
9時00分〜17時00分 |
第59回楠公祭奉納全国吟詠大会 |
千代田区立公会堂 |
佐々木朝鵬 |
26日(日) |
9時00分〜17時00分 |
平成14年度全国吟詠コンクール滋賀県予選大会 |
大津市立勤労福祉センター5F |
黒木厚城 |
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四月NHKラジオ
FM吟詠放送
「邦楽のひととき」
●放送日時 四月十八日(木)
午前十一時〇〇分〜同三〇分
●再放送 四月十九日(金)
午前五時二〇分〜同五〇分
●吟題と出演者
一、和歌・霞立つ(在原元方)
清明(杜牧)
〈吟〉清水照鵬
二、和歌・春さめの(大伴黒主)
山房春事(岑参)
〈吟〉菅原雪山
三、春暁(孟浩然)
夜直(王安石)
〈吟〉有森芳由
四、芳野(河野鉄兜)
花に対して旧を懐う(釈義堂)
〈吟〉藤河賀久清
五、落花(徳富蘇峰)
嵐山に遊ぶ(頼山陽)
〈吟〉中野吟紫
六、黄鶴楼(崔  )
〈吟〉中澤春誠
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