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三、現代剣詩舞を考える
演出家 石川健次郎先生
〈講師紹介〉昭和五年生まれ。日本大学芸術学部卒業。長く日本放送協会にあって、日本古典芸能のテレビ、ラジオ番組を担当、その間、吟詠番組を手がけ、NHKの中でも吟剣詩舞や日本舞踊など日本の伝統芸術に造詣の深いプロデューサーとして活躍する。昭和六十三年、同協会を定年退職、協会会友を委嘱され現在に至る。武道館大会など当財団主催公演の演出指導も手がけるとともに、現在も財団会誌「吟剣詩舞」への執筆や、各種研修会講師並びに剣詩舞コンクール審査員として協力いただいている。また、母校の日本大学芸術学部演劇学科講師を勤めるなど幅広く活躍している。平成九年度吟剣詩舞大賞文化賞受賞。
 
剣詩舞の研究 現代剣詩舞を考える
石川 健次郎
 本稿では主に「剣詩舞コンクール」の課題曲にスポットを当てながら、その作品に対する詩文の解釈や舞踊表現に於ける構成・振付けの考え方を述べてきたが、それらの理念には常に現代に通じる“剣詩舞像”を目指してきた。
 ところで、財団が設立され二十五周年を経た現在、その求める“現代剣詩舞”の理念とは一体如何なるものか、今回はこれをテーマに考えてみたいと思うが、まずその前提として「剣舞」「詩舞」の歴史や他の古典芸能との関係について復習し、続いて既に歩み(あゆみ)出した剣詩舞の“現代化の道”について再考してみよう。
 
【剣舞の歩み】
 剣舞とは、吟詠に合わせて刀や扇を持って舞う舞踊である。しかしその振りには一般の日本舞踊とは異って、古武道の型を尊重した独特の動きがあり、また演技者には武人としての気迫と格調が見られる。
 剣舞に影響を与えた剣術、居合術などの武道には古来よリの刀法や礼法があって、それが剣舞の刀の差し方(帯刀)、抜き方、納め方、振りかぶリ方、斬り方、突き方、構え方、足の踏み方、腰の据え方などの基本動作に取り入れられ、さらに芸術的な磨きがかかって舞踊としての発展をとげてきた。
 さて広義の剣舞は大変古い時代に始まり、奈良・平安時代の舞楽に「太平楽」など剣を持った舞の原型を見ることができる。また同時代に起こった神社の神楽(かぐら)には「剣舞(つるぎまい)」が伝えられているが、このほかにも室町・江戸時代の「風流舞」とか郷土芸能の「剣舞(けんばい)」や「太刀踊り」など刀を扱った舞踊は各地に伝承されてきた。しかし、これらの剣舞はそれぞれ異った音楽の伴奏で演じられ、吟詠によって演じられる「近代剣舞」とは一線を画す(かくす)べきものであった。
 吟詠伴奏による近代剣舞の誕生は、一般には幕末とされているが、実際は明治維新以後に榊原鍵吉が始めたというのが定説になっている。榊原鍵吉は幕末の動乱期を剣一筋に生きた剣士だが、一方大変なアイデア・マンで、当時職を失った武芸者たちのアルバイトである“剣術試合”の余興に、その頃大衆が好んで吟じた勇壮な詩吟に振りを付けた「剣舞」を考案して好評を得たが、これがきっかけとなって吟詠と提携した剣舞を試みる人が次々と現れた。
 さてその中で、明治二十三年にこの剣舞を芸道としてまとめたのが鹿児島出身の日比野正吉(初代雷風)と、高知出身の長宗我部親(林馬)の二人である。この二人はその後、日清戦争の頃に、さらに意欲的な活動を展開し、日比野雷風は「神刀流」としてその芸風をまとめ、長宗我部林馬も「土佐派弥生流」として大きな進展をみせた。
 この両派の発展が剣舞隆盛の導火線となって、至心流、金房流、敷島流、さらに武正流、神刀無念流などの流派を生む結果となった。
 しかし太平洋戦争の敗戦によって剣舞は一時中断されたが、世の中が落ちつくと共に再び芸道として認識されてきた。それには吟詠が音楽性を主張しながら舞台芸術としての大衆化路線を歩み始めたのに対応して、剣舞も次第に舞台芸術としての形態をととのえ、先行する能や日本舞踊の技巧を参考にしながら、その芸術性の追求と実現に真剣に取り組むようになった。これが「現代剣舞」としての新たな出発であり、例えば日本吟剣詩舞振興会が主催する「全国吟剣詩舞道大会」や「全国剣詩舞コンクール」で示される優れた演技の数々が、現代剣舞の向上に益々拍車をかけてきた。
 
【詩舞の歩み】
 詩舞とは、その文字が示すように、詩吟を伴奏として舞う舞踊であるが、持ち道具は扇が主で刀を専用する剣舞とは区別している。また詩吟の種類も漢詩だけではなく、最近は短歌(和歌・俳句等)や近代詩なども詩舞の伴奏音楽として広く用いられてきた。またその舞い手も、剣舞系、日本舞踊系、民舞系と多彩で、振り付けの形態も多種多様である。
 さて広義の詩舞の起源は大変古く、中国では三千年も前から詩を吟じ、それに振りをつけて舞ったという。また漢代(約二千年前)には楽府という役所が作られ、広く天下の詩を集め、あるいは新しい楽府体の詩が作られ、それをうたって舞う所謂中国の古典舞踊が生まれた。さてその頃の日本は奈良・平安の時代で、中国との交流が盛んになり始め、さまざまな中国文化が移入された。舞楽などはその代表的なものだが、一方わが国独自の「催馬楽(さいばら)」や「朗詠」が平安貴族によって舞われた。
 歴史的には、この時代が日本の舞踊の起源と考えられ、その後平安末期から鎌倉時代にかけて「延年の舞」や「田楽舞」「猿楽」などが起こり、それらが「能楽」に大成される。さらに江戸存代には出雲の阿国の風流舞(念仏踊り等)から出発した「歌舞伎踊り」が広まり、日本の舞踊の大きな流れを占めることになり、後世の詩舞も少なからず影響をうける。
 さて、このような日本の舞踊の流れの中で、近代の詩舞が如何なる時点で誕生したかをたずねると、これは剣舞と密接な関係があった。即ち明治期に流行した近代剣舞は大衆化の波にのってもてはやされ、そうした中には女性の剣舞家も多数出現した。しかしこの様な傾向を一部の人達は「女性が剣を振り囲わすのはあまりに興ざめである」と反対し、刀の代わりに扇を用いて舞うことを考えた。したがって振付けには剣舞に似た“気迫”がみられ、衣装は女性でも男仕立ての着付と袴を使用し、特に袴は金襴の布地が多く用いられた。しかし戦後の現代剣舞と同じように、現代の詩舞が扱う吟詠のレパートリーや音楽性が飛躍的に高まると、詩舞の内容も従来の剣舞の影響をうけた強いタッチの舞いといった先入観は次第に消え、それぞれの作品単位で、吟詠の曲調と詩心を活かした振付が考案されるようになり、伝統を生かした舞台芸術として、その舞踊性も高く評価されるようになった。
 
 “近代から現代へ”の剣詩舞の歩みは、まずより高い音楽性を主張する吟詠によって啓蒙され、更には舞台芸術としての大衆化路線を歩むことによって始まった。しかし、伝統芸能の変革は、それに携わる者の十分なる洞察が必要であることは論を待たない、次にこの問題にスポットを当てよう。
 
【現代剣舞への道】
 剣舞は当然のことながら大刀を用いた舞踊であるから、演技者の身分は武人としての心構えが必要である。作品の都合で刀を使わない場合でも、また演者が幼少年でも女性でもその心構えに変わりはない。
 そこで現代の剣舞を大衆に認識させる方法の幾つかを提起してみよう。
(1)日本の伝統芸能として位置付けされているか、また武士道の精神や気迫、それに武道の型を尊重した品位ある舞踊構成になっているかを確認する。
(2)基本的なことだが吟題や詩の内容が剣舞に適した作品であるか。
(3)次の観点で振付け(型付)を再検討する。
(a)詩心が理解できるような振付けになっているか、従来のパターン化した振りにこだわらず表現力の豊かな振りを考える
(b)古くから伝えられているというだけで現代感覚で納得されない、またはマイナスになるような振付けが残されていないか
(c)武道の型は正しく取り込まれているか。刀の扱いなどは礼法にかなっているか
(4)衣装や持ち道具などが、剣舞作品の意図にかなったものになっているか、また時代考証や、色彩的な調和がとれているか。
(5)吟詠(音楽)が舞踊伴奏としての調和や音楽性を高め、また現代感覚に対する開発努力をしているか。
(6)全体の構成や演舞に感激が持てるか。







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