済みません、話が長くなってしまいました。最後に、ミャンマーに行かれた方もいるかと思いますが、ミャンマーの南部地域、タニンダリー管区というところですけれども、そちらに5日ほど出張に行ってまいりました。もちろん貨物量のデータとか、港湾の施設の概要とかもあるんですが、今回ご紹介だけということで写真を中心にご紹介したいと思います。また別の機会に、細かなデータとかは入手する機会があると思いますので、そのときに報告したいと思います。
ミャンマーは、北はチベットの大体6,000メートルを抱く山から、南部は細長くタイと国境を接するタニンダリー管区というところまで、大体2,000キロ以上、海岸線も2,000キロ以上あります。今回、ミャンマーの南部地域、タニンダリー管区というところに出張に行ってきましたので、少しご紹介したいと思います。
これはコータウンという町です。この川がバッチャンと言いまして、まとめてパーチャンと言っている人もいますが、これは国境です。ここがコータウンという国境の町で、ここがタイのラノンという町です。コータウンという町は人口が大体9万人と書いてございますけれども、94年ごろから国境貿易によって漁村から貿易の町へと変化をした町です。
コータウン港の概要としましては公共埠頭が3つ、民間の埠頭が7つございました。公共埠頭のうちミョー・マ埠頭というのが客船桟橋で、ここからタイのラノンまで、コータウンの町から大体4キロぐらいなので、そこから毎日船が出ていると。あと、タウィン・ジェティーというのがありまして、これは若干大きなジェティーで、ここにミャンマー政府の国営公社、ファイブスターラインというのが入っています。あともう一つがベイン・アン・ジェティー、一般貨物を扱っています。
それ以外に民間の専用埠頭というのが7つありました。とりあえず取扱貨物量として、輸入と輸出ということで書いてございます。大体タイから建築資材、セメント、鉄骨、衛生用品、塩化ビニール、最も多いのが石けんの原料となる化学工業品等が入っています。コータウンから持っていっているのは、木材、鉱物。鉱物という場合は、鉱石も含まれていると聞いています。海産物。
沿岸海運の主役はいわゆるスクーナー船と呼ばれる船です。こういう小さな船から、200トンから300トンぐらいのものだと思いますけれども、見えますのはドラム缶で、中身は洗剤の原料が入っています。
先ほど紹介しましたミョー・マ・ジェティー、これは地元の人に言わせると、通称金持ち桟橋、リッチマン・ジェティーだと言っています。お金持ちが船でここにやってくると。要するにタイからお金持ちがやって来て、さらにミャンマーからもお金持ちしかこれは使わないと。ここにスピードボートがありまして、コータウンからミエイ、ダウェイに向けて1日1便、もしくは2便、スピードボートが出ています。最高速度は37ノットと言っていましたが、実際に乗ったところは30ノット出ていたか、出ていなかったと。それでもかなり速い船で、人数的には160人から200人近くを運べるような船でした。
これは、コータウン港の港湾公社事務所の写真でございます。コータウン港は16人ぐらいの大きさがありまして、規模としては中規模程度のオフィスでした。コータウンという町は、先ほど紹介しましたように、国境貿易によってもうけた民間のお金を用いて漁村から今の町へ転営して、土地の埋め立て等も民間資金を使ってやったと。ただ、97年以降、アジア通貨危機、もしくは99年以降のタイとの関係の悪化から、国境貿易が不振になって、今若干苦しい状況になっていると。
水産物はとれるんですが、ほとんどが密漁されて、9割以上がそのままラノンに持っていかれていると。さらに、水産の加工をするにも、水がもともとあまり出ない地形で、水産加工の工場が立地するにはちょっと厳しい状況にあると。ただ、国境の町なので、この町が今後発展していく可能性というのが観光資源というふうにあって、これはアンダマンクラブ・リゾートというところをご紹介しています。ミャンマー領内にある島の一部をタイの資本リゾートに軍の情報局が貸し出して、合弁でホテルを経営しているところです。
当然、タイからパスポートを持っていかないと入れないところで、中にはカジノがございます。カジノのシステムは、1万バーツ払うと会員になれて、カジノができると。1万バーツですから、日本円でいうと大体3万円ぐらい。私が出張に行ったときにそこに泊まってきました。夜しか泊まらなかったのでリゾートの中はちょっと拝見できなかったんですが、カジノの中を少し見て、あとは桟橋にクルーズ船とダイビング用の船舶が2船とまっていまして、かなり金持ちの人が来るようなホテルなのかという感じでした。
また別の、近くの島を開発しているところがあります。これはシンガポールの資本が現在開発中で、今年の4月にオープン予定だと。島の名前、リゾートの名前がトレジャーアイランドということなので、これもおそらくカジノをつくるんだろうという感じがします。ここは、シンガポールの資本家がこの島以外に近くの島を2つ同時に開発をしていまして、3つの島を同時にオープンしたいということを言っていると聞いています。1つの島はトレジャーアイランド、あと2つの島の名前は忘れましたが、イルカを飼うなり、マリンリゾートみたいな形をイメージしたもので、3つの島の間をチャーター機が行き交うというような計画になっているようです。
ミャンマー側では、ミャンマー側のカウンターパートの会社を聞いたんですが、ど忘れしてしまいました。カウンターパートの会社の社長さんが、日本がミャンマーを占領というか、傀儡政権を最初につくったんですが、そのときの初代大統領のドクター・バーモという人の孫だと。名刺をもらったんですが、済みません、名前だけは忘れてしまいまして、おじいさんのことしか覚えていません。
翌日、ミエイという町に行きました。ミエイはタニンダリー管区のちょうど中央部に位置する町で、1908年に東インド会社が港を建設したと。人口が大体14万人ぐらいです。このあたりは非常に漁場が豊富で、エビ、魚、カニ等々が非常にとれます。
ミエイの近くには、例えば真珠を養殖しているところもありまして、そこには田崎真珠が入ってございます。ミエイからちょっと下のほうに行ったところは、島の名前は忘れましたが、シンガポールと同じぐらいの島を1島、すべてエビの養殖場をつくるという計画がありまして、実際に交渉していると聞いています。
ここは、2000年にダウェイというところから遷都されて、タニンダリー管区の州都と位置づけられた町です。水が豊富で周辺の漁場がいいことから、非常に水産加工の工場が立地をしています。かつ、いろいろなところに輸出をしていて、活気のある町でした。私たちが行く前の日にも、マルハの方が視察に来ていたと聞いています。ミエイ港は公共埠頭としては4つ、民間埠頭が40程度あると。
主な取扱貨物は、輸出で海産物、ゴム、ビターナッツで、輸入はセメント、鋼板、ディーゼル・オイルです。
これは公共のナウ・ラエ・ジェティーというところで、ナウ・ラエ・ジェティーというのが実は2つありまして、もう一つありますが、こちらは斜路です。両方とも1968年にADBの援助でできたと聞いていて、斜路はもう完全に割れていますが、いまだに使っています。
ミエイの特徴といいますか、それの1つがこのミャンマー・フィッシャリーズ・インターナショナルというところです。この会社は、ベトナム系のフランス人、サテラコ・インターナショナルという投資会社がミャンマー政府との合弁でつくったミャンマー・フィッシャリーズ・インターナショナル。要するに、豊富な水産物を輸出する基地をここにつくったということで、クレーンつきのジェティー、クレーンが22機ほどありまして、漁船も10隻ぐらい同時に着けると。
これは、オークションの市場の中ですが、ここで漁船から揚がったものをバイヤーが来て買っていくということになっています。
ミエイのおもしろいところは、このミャンマー・フィッシャリーズ・インターナショナルの中にOSSという機関が入っています。これは、ワン・ストップ・サービスの略です。煩雑な書類の手続をほぼ1日でできるように、このオークション市場に隣接したビルに6つの省庁の8つの部局が全部入ったビルが1つありまして、そこですべて手続ができると。
どういったものが入っているかというのを簡単にご紹介します。国防省、これはナサカという部局です。ナサカというのはミャンマー語の略なので、これは日本語に直すと国境貿易入国管理局みたいな感じのところです。これが全体の調整をやります。
あとは、入国管理人口省という省がありまして、そこの入局管理局が入っています。当然、運輸省の港湾公社。財務省からは関税局。あとは、ミャンマー・エコノミック・バンクという銀行が入っています。商業省から国境貿易局。水産省のほうから水産開発銀行と水産局というのが入っていまして、ほぼ1日ですべての手続がとれると。ミャンマーとしては、かなり画期的なシステムが導入されています。まだ2000年にオープンしたばかりなんですが、これからもっと伸びる予定だという説明はしていました。
かつ、背後にタイのほうまで高速道路を引く計画もあります。また、ミエイの空港の拡張工事が最近終わりましたので、チャーター便で水産の貨物を出したいというのがミャンマー政府の熱望しているところです。これはミエイの港湾公社の事務所です。
最後にダウェイという町に行きました。ダウェイは先ほど紹介しましたが、タイとの高速道路が引かれると発展する可能性の高い町です。人口は19万人ぐらいで、かつてはタニンダリー管区の州都でした。現在、州都はミエイに移って、若干活力がない寂れた風景が広がっているような町です。ここの欠点は、港が分かれています。先ほどの赤い図で見ましたけれども、河川の入江になっているものですから、入江からだんだん浅くなりまして、当然ダウェイの町から25キロほど南のほうに行ったところにシン・ピュー・ビン・ジェティーというのがありまして、大きな船はここにしか入れないと。
パーム油、米、ビターナッツ、セメント等々を取り扱っています。これがダウェイの町から25キロ南のほうにあるシン・ピュー・ビン・ジェティーで、我々はこのスピードボートに乗ってミエイから4時間かけて来ました。
これは公共のセイカンタ桟橋。ミャンマーで見た民間ジェティーの中で、唯一木造のクレーンがついていたのでご紹介しています。ちょうどスクーナー船という木造の船が20フィートほどなので、このクレーンの長さが23フィート、釣りの能力は1トンというふうに聞いています。
これはダウェイの港湾公社の事務所です。
ずっと今、コータウン、ミエイ、ダウェイと見てきましたが、ダウェイはやはりもう活気がなくて、逆にミエイのほうはすごく活気がある。例えば、ミエイは水産工場で働いている女性の従業員の給料が大体2万チャット、日本円でいいますと2,000円ぐらいです。これはミャンマーの工場団地で働いている、例えば縫製工場で働いている女性の工員とほぼ同じ給料です。
地方にあってそれぐらいの給料というのは、やはりかなり活気がある部分だろうと思います。やはり、同じミエイの公安で荷役をしている労働者の給料が、1日当たり最低1,300から1,500と言っていたので、日本円で130円から150円ぐらいなんですけれども、ダウェイだと1,000弱、100円ぐらいと。
ヤンゴンも実はミエイと同じぐらいなので、ミエイという町がいかに活気があって人件費が高いのかというのがわかるかと思います。
ダウェイの発展する要素として、高速道路が引かれたら人が来るだろうと。あと、大水深港ができたらいろいろな工場も来るだろうし、観光客も来るかもしれないというので、ちょっと地元の人が行くマモカン・ビーチというところに行ってみました。遠浅で非常にきれいな海岸で、ごらんのように人も遊んでいますし、このような漁船が見渡す限り四、五十、沖のほうには100ぐらいいました。
日本円で大体2万円ぐらいでこの漁船が買えるそうです。これは、ビーチに来ていたミャンマー人がゲームをして遊んでいる風景です。ミャンマーでは、かけごとは一応禁止になっていますが、これはお金をこの円にかけて、このひもを引くとサイコロが転がって、絵が出ると倍でもらえるというシステムで、私は少しお金をもうけました。日本円で20円ぐらいもうかりました。
写真を撮っていいかと言ったら、ギャンブル禁止だからだめだと言ったんですけど、ツーリストだと言ったら、いいよということだったので、写真を撮らせていただきました。
以上が私の簡単な南部出張の視点でございます。
【男竹理事】 どうもありがとうございました。それでは、まだちょっと時間がございますので、皆さんからのご質問なりをお受けしたいと思います。手を挙げていただければマイクをお渡ししますので、どうぞ何なりと。
【質問者 1】 パシフィック・コンサルタント・インターナショナルの垣内でございます。いろいろなお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。私も最近ミャンマーに行っていないものですから、最近の情勢がよくわかりました。ありがとうございます。
ところで、私の質問としては、やはり援助には日本の独自の援助ポリシーというのがあっていいのではないだろうかと。そういうものは今日本大使館としてはどういうことを考えておられるのかというのが、1つです。
それとも、他国と同様の横並びということをお考えになっているのか。そうではなくて、最近は大分変わってきたということをよく聞くので、日本独自のポリシーというのがあるのではないだろうかというのが、1つです。
もう一つ、国益というものを考えてというのが外務省からのお話だということなんですが、国益ということを考えるのであれば、やはり日本の経済の発展を言っているわけです。ですから、そういう部分も多々あると思われるので、先ほど書記官から通信の話が出ましたが、いろいろ事情はあるんでしょうけれども、早く経済インフラという方向の援助を我々はもうほんとうに首を長くして待っているわけですが、どこかに突破口がないのかなということです。そこら辺の可能性をお聞きしたい。この2点でございます。
【照屋講師】 どうもありがとうございました。まず、ODAのポリシーでございます。対ミャンマーの経済協力の方針。1つには、日本の考え方としては、制裁だけでものが変わるというふうな欧米流の考え方は全く持っていないということはご理解いただきたいと思います。ただ、援助をするにも、今の政権に対してそれをすべて認めるような援助はしないというのも1つの大きな方針です。
例えば、過去にODAの無償資金協力が伸びたグラフをご説明しましたけれども、あれも95年、96年に若干出たのは、スーチーさんを1回解放しているんです。あのとき、ご褒美として出した部分というのが、ほんとうのところはあります。日本としては、大きく制裁はせずに、ODAを使うことによって、ミャンマー側の民主化を促すというのが大きなスタンスだということになっています。
ただ、余りにも経済インフラとか基礎インフラをやらずに、ベーシック・ヒューマン・ニーズばかりをやっていたところで何も変わらないということは、今の大使も、前の大使もよくご存じです。だからこそ我々が今、先ほど話しましたが、何がしかのマスタープランを出すこと。経済構造調整政策支援の中で、ここはこうしたほうがもっとベターだよというのをミャンマー側にうまく伝えていく。頭から、これはこうしなさいと言って聞く国ではないので、それをうまくやっていかないといけないというのが難しいところです。
例えばスーチーさんからは、日本は軍事政権の味方ばかりしていると。逆に、軍事政権からは、日本はスーチーさんの顔色ばかりを伺っていて、ミャンマーの国のことを考えていないと、アメリカと一緒だと。両方から言われる可能性をすごく持っていて、その中で日本のやり方というのは実は難しいんですけれども、大使館としても一生懸命やっているつもりです。ただ、やはりコミュニケーションの不足、いろいろなものがありまして、たまに逆目に出てしまうということもあります。
実際にスーチーさんに援助の説明をして、スーチーさんに見ていただこうとしたときには、私は逆に出たというふうに私個人的には思っています。ODAのポリシーは、欧米とは違うということだけはご理解していただきたいと思います。
もう一点目のご質問ですが、国益という面から経済インフラはいつ始まるのかと。経済インフラをやるには、まず円借がやはり大きなスキームの一番重要なかぎになると思います。今、ミャンマーは円借については重債務国で、当然お金を返せないという立場があります。かつ、民主化の進展というのが、大きく見えれば動かせるでしょうけれども、大きく目に見えないような形だと正直言って動かせないというのが、私の意見ではなくて、一般的外務省の意見というふうにお聞きいただきたいと思います。
もちろん、援助というものについていろいろな考え方があると思います。私も病院に医療機材を入れることを一生懸命やっても、今やっている日本の援助が・・・。私がこれをここで言ったらほんとうはいけないと思うんですけれども、5年、10年ごとに医療機材を入れてあげているような現状なので、そうではなくて、もっと基礎インフラ、生活インフラ、経済インフラをつくることによって富裕層を増やすと。それら富裕層が増えれば、当然民主化の意識というのも後で影響力というのは出てきますから、実際はそうしなければいけないと思っている人たちのほうが多いと思います。外務省の中でも多いと思います。
ただ、実際にそれをやっていくのが今の段階ではまだまだ難しい。プラス、国民に対する説明責任、プラス、それは欧米や日本の国民に対しても全部そうなんですけれども、民主化の糸口が見えないうちから大規模インフラの円借を始めるということは、おそらく外務省としてはやらないと思います。
プラス、同じように、例えば外務省が握っているもので一番大きな経済インフラの関係、民主化に対するお土産的なものが、私は円借だと思っていますし、だから、そういうふうにとらえているんだろうと思います。JICAは、例えばJOCV、海外青年協力隊を育てているのかもしれませんし。ある程度、民主化のタイムテーブルが見える、もしくはタン・シュエ議長の口から、みずから何らかの発言がある等々のことが出ないと、現実的には厳しいのかなと。
ただ、それを引き出すための努力として、いろいろなことをやっていっているわけです。経済構造調整政策支援の中でいろいろな提言が出ています。それを実現させるためにいろいろなものをやっていきますから、おそらく多重為替制度なので、例えば公定レートが6チャットですが、実質は1,000チャットを超えていると。プラス、バンディングの交換レートは今460です。関税になると150を使ったり、160を使ったり、わけのわからない世界になっています。それらの統一のときには必ず痛みが生じますので、それに対してどういったケアをしなければいけないかということも含めて、日本は援助を考えていくべきなんだろうと。
そういうことが積み重なって、経済構造調整政策支援の結果、いろいろなモデル地区、モデル特区等々が成果が出始めれば、ミャンマー側としても日本の言うことを聞きやすくなりますし、動き出すのかなと。そうすることによって、少しずつ糸口をつかんでいってというのが、今、現段階です。
もう一つは、インフラといえども安全というのが1つ、大事なファクターだと思います。例えば、水運も、鉄道も、航空だってそうですけれども、使っているのは民衆で、何かあると人が死ぬ。2001年の6月には鉄道が橋が落ちて、川に列車が4両飛び込んで300人ぐらい亡くなっています。つい最近、去年の7月には、昔日本があげた船がイラワジ川のデルタ地帯で沈んで60人ぐらい死んでいます。
ただ、それもミャンマー政府はプライドの関係、あと社会不安をあおるという関係もあって、公表しません。これをむしろ表に公表していただけると、我々としても非常にそれを援助に結びつけたような形で持っていくことができるんですけれども。そういった安全面というのが、まず最初の切り口かなと。済みません、答えになっているかどうかわかりませんが、以上になります。
【男竹理事】 ほかにどうでしょうか。
【質問 2】 コンサルタント会社で、パデコの阪本と申します。ドナーとしましては、日本が断トツで1位だと思うんです。それから、先ほどNGOが日本からたくさん入っているというお話もお聞かせいただきましたが、それ以外のドナーで、マルチ、バイ両方につきましてどういう状況なのか。あるいは、例えば世銀なんかは全然入っていないと思うんですけれども、今後の展望としてはどのようなことが考えられるのかということを、もし何かご存じでしたら教えていただきたいと思います。
【照屋講師】 当然、マルチ、バイいろいろなドナーがあります。特にマルチでいえば国連機関、特にインプリメントを一緒にやっているのはユニセフが一番大きな活動をしていると思います。そのほか、薬物統制計画のUNDCP、FAOもいますし、WHOもいます。UNHCRもいますが、UNHCRは今後撤退するということになっているようなので。
バイの部分では日本が当然トップです。その次、借款があるという意味からすれば中国なのかもしれませんけれども、技術協力という面では JICA ではなくてKOICAも頑張っています。あとはオーストラリア。
基本的にヨーロッパ、アメリカからはバイでは入ってきていません。あとは、国境なき医師団とか、ヨーロッパ系のインターナショナルNGOが日本のインターナショナルというふうに冠を使っている団体が5つぐらい入っていますので、大体二十五、六団体のインターナショナルNGOが入っています。
今後は、我々としてもドナー間の協調とか、ドナー会議とかというのをやっていかないといけないとは思っていますが、現在の段階ではまだ開かれていない。実際には、UNDCPと麻薬の関係でいろいろな会合をやったり、ユニセフと会合をしたりとかしていますが、複数のドナーを集めてというところでは、そこまでドナーがいないというふうにご理解いただきたいと思います。
【質問者】 アジ銀は。
【照屋講師】 済みません、説明が足りなかったみたいです。世銀は入っていません。アジ銀も入っていません。アジ銀は援助をする方向で検討していると聞いていますが、理事会が通ればの話だと思います。理事会はヨーロッパの国が多いものですから、例えばイギリスとかは強硬に反対するというふうに聞いていますし。
【質問者】 ありがとうございました。
【男竹理事】 よろしいでしょうか。ほかにどなたかいらっしゃいませんか。
それでは、この後、意見交換会を用意しておりますので、個別に書記官からお話をお伺いしていただければと思います。
冒頭、ご紹介がおくれましたけれども、書記官は一時帰国でございまして、暖かい沖縄にいたところを寒い東京まで引っ張り出して、わざわざ我々のためにお話をしていただきました。来年の3月にはご帰国の予定でございます。その後、改めてその後の、きょうからそのときまでの進展を含めて、またお話を伺えればと思っております。
ほんとうにきょうはありがとうございました。拍手をお願いします。(拍手)
【照屋講師】 どうもありがとうございました。皆様あってのアタッシェですので、ほんとうに今後ともよろしくお願いします。どうもありがとうございました。
−了−
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