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 最後に道路なんですが。ミャンマーの大使館には国土交通省から2人アタッシェが行っていまして、1人は旧建設省、1人は私で、旧運輸省から行っています。その関係もあって、道路というのは建設省の方が関係しているものですから、済みません、細かくデータを承知しておりません。ただ、東西回廊は皆さんご存じのとおり、もう既に動き出している計画でございまして、タイ側とか、ほかのところではいろいろ工事が始まっています。ただ、タイの国境からモウラミャインまでが最終点なんですが、そこまで資金をどこが出すのかというのがまだ若干不透明な部分がありまして、もう少し時間がかかるかもしれません。
 やはり5年ぐらい前からESCAPが推進しているアジアン・ハイウェイというのがありまして、これについても絵はありますが、今のところはまだ動きそうにはありません。
 以上が最近のトピックスということでご紹介した運輸事情、この1年ぐらいの話でございます。また帰りましたら、いろいろと調べて、また1年後、もしくは別の機会にでも、もう少し今度はまたこういった機会がありましたら、データをきちんとお話しできたらと思っておりますので、また帰ったらもう少し頑張ってみたいと思います。
 あとは、2.最近のミャンマー情勢でございます。これも、この1年ぐらいということで、とりあえず書いています。2001年の11月9日に第3書記が解任されました。これは、軍の持ち株会社、社員も全員軍人なので、軍の会社、ミャンマー・エコノミック・ホールディングという会社がありますが、そちらがディーゼル油の輸入の関係で大損をしたと。その責任をとらされたというのが表向きの理由になっていますが、実際のところは私腹を肥やしていたとか等々ありまして、詳しいことはわかりません。
 ただ、ミャンマーという国は、皆さんは、軍政なので失脚をすると非常にみじめな老後を送るとか、牢屋につながれるとか、そういったイメージがあるかもしれませんが、実は第3書記はもう自宅軟禁も解かれまして、腎臓が悪いので病院に行ったり、毎日ジョギングをしたりと、悠々自適の生活を送っています。
 同じく年が明けました2002年4月の9日、26年間ミャンマーに社会主義をやっていたネウィン元大統領の子息によるクーデター未遂事件というのが起こりました。これは、ネウィン元大統領の娘の婿、あとは孫3人とその一味という人たちが、皆さん逮捕されまして、もう既に裁判で死刑ということで確定をしています。ただ、先ほども言ったとおり、おそらく死刑は執行されないと思います。
 私が聞いた範囲では、ミャンマーで死刑になった人は今まで歴史上2人しかいないという、今の政権に近いデータですけれども、聞いていて、1人はアウンサン・スーチーのお父さんを暗殺した人、もう一人は北朝鮮がアウンサン廟でテロをやったときの犯人だと聞いています。それ以外は、死刑判決が出ても、通常は死刑を執行せずに何らかの形で恩赦で出てくるというのが一般的であると聞いております。
 ただ、このクーデター未遂事件によって、完全にネウィンの力が今の政権のほうに及ばなくなったというのが一般大衆、有識者の皆さんの認めるところです。1つ、これは民主化に向けて大きないいことだったのではないかというのが、今の評価だと思います。
 実際ほんとうの真実というのは我々がわからないところにあるので、ほんとうにクーデターをやろうとしていたのか、していなかったのか、その辺までは大使館でもわからないというのが事実です。実際に彼らが捕まったレストランに食事をしに行ったときに、その店のオーナーに話をして、どこで捕まったのと聞いたら、そこの個室のほうで捕まったと。ふだんは自慢をするのが大好きな孫たちなので、自分も呼ばれて、提督についての自慢話を1時間ぐらい聞かされるんだけれども、たまたまその日は夕方、別の結婚式がこのレストランに入っていたので、私は厨房にいたと。
 厨房にいたので、自分は一緒に捕まらなかったと。もし、いつもどおり同席をして話を聞いていたら、今ごろこんなところにいないだろうと、そのレストランのオーナーは言っていました。でも、やはり3回か4回ぐらいはかなりきつい取り調べを受けたということを話していました。
 5月6日にスーチー女史が自宅軟禁を解除されました。これは皆さんも当然ご存じのことだと思いますし、これ以後、民主化の機運というのがすごく高まっていまして、おかげで大使館の経済班もこれ以後ものすごく忙しくなりました。これに加えて、ちょっと戻しますが、女史が自宅軟禁を解除されまして、私ども、軟禁状態にあって、日本大使がなかなか会う機会がなかったものですから、食事にご招待したいということを言いまして、女史も日本大使の家に来たり。
 昔はスーチー女史の向かいが大使公邸だったこともあって、かなり交流があったらしいんですが、大使公邸が別のところに移り、彼女が軟禁されていたこともあって、若干疎遠になっていた部分があって。当時の大使、津守大使が食事にご招待しました。そのとき、じゃ、食事だけではなんなので、日本のミャンマーに対する援助についてお話を聞きたいということを言われましたので、経済班ほぼ全員、食事の終わった後、女史と同席させていただきまして、日本がやっている援助等々についていろいろとご説明を差し上げました。
 もちろん、この背景というか、我々の意図としては、我々日本政府がミャンマーに援助をしようと思うときに一番の抵抗勢力は何かというと、日本のマスコミと日本のNGOです。例えば、AAR、難民を助ける会という団体が北朝鮮に対して支援をしようといったときに、セミナーを開いたときにはだれも反対する人はいなかったんです。ただ、ミャンマーに対して事務所を設けて、障害者支援をやりますという広告を出したら、デモ隊が来たと。
 そういうこともあって、スーチーさんに日本の援助というものに理解を深めていただくということは、今後ODAを再開するに向けて非常に大きなステップになると我々は考えていたので、彼女のその辺を説明したと。援助をやっている額が小さいということもありまして、当面は草の根無償資金協力というのを前面に押し出してやっていたこともあって、それを女史に見ていただこうということで企画をし、民間の病院を1件見ていただきました。それ以外にも、障害者の施設だとか、公立、パブリックの病院、学校等の企画をしたんですが、ミャンマー政府のほうからは逆にアレルギー反応が出まして、実際はほかのものは実現しませんでした。
 ミャンマー政府の言い分としては、公務員は政治活動を禁止されているので、政治的な象徴であるスーチー女史がそこを訪問することは、我々としては認められないということだったので、日本政府としては、では、やらないということで矛をおさめたということがありました。
 8月には川口外相が19年ぶりに来緬しまして、また、スーチー女史の解放以後、西側の閣僚としては初めての来緬だったと思います。
 それ以外では、11月にASEAN+3の首脳会議がカンボジアでありました。そのときに小泉総理とタン・シュエ議長の会談が実現しました。そのときにタン・シュエ議長からは、なぜ西側は、世界は我々のことを評価しないで、いつも非難ばかりしているのかと。ちなみにタン・シュエ議長が言ったのは、今までスーチー女史とは閣僚も含めて113回対話をしていると。うち13回は自分も含めた閣僚級が会っている。それをもって、ただ対話が進んでいない、進んでいないと言うのはおかしいのではないかという発言がありました。小泉首相のほうからは、それは評価すると。引き続き頑張ってくださいと。ただ、国際社会が象徴的に注目をしているのはスーチー女史だということを念頭に置いて、うまくやってくださいというメッセージを伝えたと聞いております。
 それ以降、11月の後半には115名の政治犯が釈放されたこともあって、プレスで、川口外相がそのことを評価するということもありました。今まで、ミャンマー政府自体はいろいろなことをしていますが、どこからも評価をされないというのが一般的だったものですから、小泉総理の発言、もしくは11月の政治犯釈放について日本側が評価する発言をしたというのは、ミャンマー側としては非常に好印象を与えたと思います。
 ただ、タン・シュエ議長がカンボジアから帰ってきて、次の日からヤンゴン市内で大規模に道路工事があちこちで始まりました。これは一説には、この10年間でカンボジアのものすごい復興ぶりにタン・シュエ議長が驚いて、ヤンゴン市の上層部を呼んで、急いで道路整備をやれということを言ったと。おそらく真実だろうと思います。なかなか援助がない中で、やはり援助してくれるのが中国しかないということもあって、1月の6日から約4日から5日ぐらいの日程で訪中しまして、そのときに新聞報道でご存じだと思いますが、2億ドルの借款、及び経済技術協力協定の調印、同じく衛生協力、スポーツ協力に関する協定というのを結んで帰ってきています。
 1枚めくりまして、最近の対ミャンマーODAの実績ということについて少しご説明させていただきたいと思います。無償資金協力は88年以降とまっていまして、95年に看護大学、あと食糧増産援助等々、若干細々とやったりやらなかったりという年が続きました。しかし、平成12年度から本格とまではいきませんけれども、ようやく無償資金協力を再開したということがあります。
 ここに書いていますように、平成12年度に一般無償で3件、約15億、草の根が4.1億入っていますので。13年度には21億になりました。シャン州北部コーカン地区。このコーカン地区というのはもともと、知っている人もいると思いますが、麻薬をつくっているエリアで、そこでJICAを通して技術協力、ケシのかわりにそばを植えようというのをやっております。それの側面支援ということもあって、地区全体の開発ということから、シャン州北部コーカン地区の道路機材と電化というのをやっております。
 あとは、ベーシック・ヒューマン・ニーズということで、ヤンゴン市内の病院、留学生無償支援というのが始まりました。本年度ですが、今現在の時点で4件、草の根が若干下がったこともありますが、大体20億という見込みになっています。お手元に1枚紙のグラフか何かがございますでしょうか。これで見ていただくと無償資金協力自体は着実に伸びてきています。その中で、来年度はどうなるのかというのは、まず継続案件としてどのくらいあるのかというのが1つあります。
 バルーチャンの発電所リハビリというのが、おそらく約15億から16億ぐらいあります。あと、中央乾燥地が3億、留学生が3億と。プラス、日本センターというのをつくろうというのがありまして、それが来年度着工するというふうになれば、その時点でおそらく二十七、八億ぐらいまでは金額が上がると思います。まだまだカンボジア、ラオスに比べたら低い額ですが、無償資金協力自体は着実に伸びていると理解していただきたいと思います。
 あとは、この中にどうやって運輸案件のインフラ、もしくは技術協力等々を盛り込んでいくのかというのが、これからの我々の課題だと思っています。
 あと、時間の関係もあるのでざっと飛ばしましてお話しします。JICAを通してやっている技術協力ですが、確実に伸びています。これは13年度の実績でお話ししますが、研修員の受け入れが110名、160名、200名というふうに伸びてきました。専門家の派遣については、今のところ3年ぐらい横ばいですが、今年度、もしくは来年度は若干増えていくというふうに思います。開発調査は7件、13年度はやっています。そのうち、経済構造調整政策支援調査というのが本年度末で終わります。それ以外はまだ若干続いていくもの、もしくは3番目に書いてある教育の改善については完全に来年度まで延長ということになりました。
 ただ、これを見ていただけるとわかると思いますが、一番上の経済構造調整政策支援以外はベーシック・ヒューマン・ニーズなんです。どこでもJICAの協力というのは、農業、保健医療、教育というのが大体3本柱になっていまして、そこからまだ離れていかないという気はします。
 運輸省から派遣されてミャンマーに行って見ていて非常に感じるのは、何のマスタープランもない都市開発なり村落開発、もしくは交通計画というのが実際になされていて、ほんとうの意味で開発調査をやらなければいけないのは、実はヤンゴンの町の交通計画のマスタープランであったり、鉄道のマスタープランであったり、航空べースのところだと思います。今後、これからは、もしODAが本格再開されるのであれば、マスタープランというのは不可欠なので、その辺をいかにして調査の中で採択させていくかというのが、これからの1つの大きな課題だと思っています。
 1枚めくりまして、プロジェクト方式技術協力。これは、本年度から名前が変わりまして、プロジェクトというのがとられまして、技術協力プロジェクトというふうに名前が変わりました。これまで大体プロジェクト方式技術協力というのは、大体5年で専門家が5人ぐらいというのが相場で決まっていて、でも、こういう時代なので、小さなプロジェクトももっと大きなプロジェクトにできるように、プロジェクトという名前をとったというふうにご理解していただきたいと思います。
 その中でシードバンク・プロジェクトが1つ、もう終わってしまいました。本年5月に本年度は終わりました。その中で3つ動いていまして、農業の灌漑技術センター、あとは保健医療のハンセン病、乾燥地共有林研修・普及計画と。それ以外に、本年度内に立ち上げる予定にしている技術協力が、感染症対策と日本センターとIT訓練センターというのがぎりぎりのところまでいっています。
 今後の動向について少しお話をしたいと思います。これから、1つキーポイントになってくるのが、実はNGOではないかと思います。アフガニスタンの例もありまして、外務省の方針として、今後NGOときちんと連携をしていきましょうというのが外務省を変える会の中でも言われていますし、実際にそういった活動をしています。他国でどういったNGOとのかかわりをしているかというのはちょっとわかりませんが、ミャンマーについては、もともと恥ずかしい話なんですが、日本の援助というのが少ない関係もあって、大使館のほうからも積極的にNGOに頑張ってほしいと後押しをしていたということもあって、今のところ非常によい関係で進んでいます。
 日本のNGOで大体14団体がミャンマーに人が常駐して援助をしていると。これは、出張ベースで来て、学校をドネーションしたり、井戸を掘ったりとかしている、例えばロータリークラブ、ライオンズクラブ等々を入れると、大体40ぐらいのNGOがミャンマーに来ています。彼らとうまく連携をとりながら、彼らは例えば学校をつくるだけではなく、同じように同じ地域で井戸を掘り、同じ地域で農業のプロジェクトをやれば、それなりに効果は高くなるわけですから、そういったのをうまく交通整理しながらNGOと連携をしていくというのが、これから1つ重要なことになるだろうと思っています。
 それから、全世界どこでも共通なんですが、これまでベーシック・ヒューマン・ニーズというのが大きな柱で、そうでないと JICA の検討のテーブルに乗らない、外務省の検討のテーブルに乗らないというのがありまして。ただ、1つ重要なのが、ミャンマーの援助でいうと経済構造調整政策支援というのをやりました。ベトナムのドイモイ版のミャンマー版だとご理解していただければいいと思います。これのフォローアップをいかに実現していくかというのが、今後大きな課題だと思っています。例えば経済特区、もしくは農業モデル地区等をつくって、いきなり制度を変えようとしてもなかなかうまくいかないものですから、まずは目に見えるような小さなところから始めて、その効果をミャンマー側に示して、どんどん変えていくというやり方をしたらどうかということを、今模索をしています。
 最後にODAの関係で言いますと、特に運輸、インフラ全般について言えることなんですが、優良案件をこれから発見、発掘していかなければいけないと思います。ここに並べてあるのは1つのキーワードだとご理解していただければいいと思います。ベーシック・ヒューマン・ニーズというのはもちろんですが、例えば大きな高速道路をつくりましょうとか、国道を整備しましょうというのは、外務省に持っていっても、JICAに持っていっても、その段階でテーブルから落とされてしまいます。
 むしろ、例えば橋をつくるのであれば、生活橋梁を100本つくりましょうとか、雨季になると増水で橋があちこち流れてしまうものですから、そういったべーシック・ヒューマン・ニーズ、受益者が民衆であるというのを表に出すような要請書をつくらないといけないと思っています。
 あとは、環境、もしくは麻薬対策とか、グローバルイシューであるものを前面に押し出すようなもの、あとはASEAN内の格差是正という意味から、地域間格差、地域プロジェクトとして運輸のインフラも含めてできればと考えています。このODAの逆風の中で、大蔵省の主計局の主査からも言われましたが、国益を考えるようなプロジェクトをつくってくださいと。
 例えばべーシック・ヒューマン・ニーズだと、いいと言われるが、顔が見える援助なんでしょうか。ただ、その後に何が残るんでしょうかということを、今国民に問われていると言っています。例えば、仮にですけれども、ミャンマーでしたら、通信事情が悪いので通信のインフラを整えましょうと。そこにNTTさんとか、日本のスタンダードのものを入れることによって、今後の発展はすべて日本のスタンダードなので、日本の企業が入ってくるとか。そういったふうに、将来に国益が見えるようなプロジェクトの発掘をしてくださいというのは、大蔵省からも言われています。
 いずれにしても、ミャンマーの場合はまだまだと言ったら語弊がありますが、まだ若干時間がかかるかと思います。ただ、一たん変わると非常に変化というのは早いものですから、今のうちからいろいろな仕込みをしておかないと、いざとなったときに、この案件はというと、実はこれはもう入っていたので韓国のスタンダードになりましたとか、既にもう中国の援助でやっているので、日本の援助は要りませんとなることが、私としては一番危惧をしております。
 実際に鉄道の分野で言いますと、旧国鉄が主催していて、そこで技術者研修を受けた人が昔は8人いたと。ただ、もうやめてしまって、今は1人しか残っていない。若い技術者はほとんどがインドとか中国で研修を受けてきたということを言っていますし、ほかの役所の中でも、よく言われるんですけれども、日本は結局ノーアクションということを言われまして、徐々に技術という面からしても日本離れが入ってきている部分があります。
 以上、運輸事情と最近のミャンマー情勢ということについてご説明をしました。
 あと、お手元のミャンマー経済の現状について、あえて説明はしないので、済みませんが、これは読み物として持ち帰って読んでいただきたいと思います。ただ、あくまでも統計資料は統計資料なので、これが正しい数値というふうには思わないでください。あくまでも統計がとれている部分の1つの指標として考えていただきたいと思います。
 例えば1人当たりのGDPが300というふうになっていますが、とても300では説明できないぐらい裕福な人が、もちろんお金を持っているんでしょうけれども、ものがたくさんあります。ミャンマーという国は非常に規制が多いこともあって、闇経済が社会主義時代から結構あります。それがどのくらいあるかというのは私もわからないところなんですが、一説には20倍と言っている人もいますし、5倍と言っている人もいます。あくまでも統計の資料というのは、表に出ている資料というふうに考えていただきたいと思います。
 ただ、統計資料がしっかりしないと、スタートランにしても、何にしても、しっかりした計画がつくれないというのは皆さんご存じのとおりです。経済構造調整政策支援の中でも、統計というのがなくて、どうやってマクロ経済をつくるのだというのは非常に難しいところだったと聞いています。また、ミャンマー側としてはまた金融の情報を出さないということもあって、2年かかったと経緯がございます。
 規制というと、要するに、もちろん、この中で私よりも詳しい方がたくさんおられると思いますけれども、エクスポート・ライセンスとインポート・ライセンスというのが非常に取得しにくい。特にインポート・ライセンスが取得しにくい国です。インポート・ライセンスを、輸入をするということは外貨が国から外に出ていくというふうになっているので、例えばエクスポート、輸出をして、それで稼いだお金で輸入しなさいという政策を出しています。エクスポート・ランニングでインポートしなさいと。
 あとは、トレーディング・カンパニーについてはミャンマーの会社でないとだめですとか、もしくは、外貨の送金規制が1万ドルを超えると許可が必要になりまして、これがおりるのに数カ月かかる。輸出をすると、その輸出したお金の10%が輸出税で取られます。輸出を奨励しながら輸出税をかけるという規制をしているものですから、非常に商売としてはやりにくい国だという気がしますけれども。
 等々のこれらの規制があることによって闇経済がどんどん、この四、五年ぐらいで大きくなってきたというのが一般には言われています。例で言うと、エクスポート・ライセンスは輸出するので、外貨を稼ぐので若干とりやすいんですが、当然輸出をする人は税金を10%払わなければいけないわけですから、1,000万円分の輸出をしようと思ったら、100万の許可証をとるんです。そうすると、ミャンマー国内での決済は1割分だけにして、残りの9割はシンガポールとか、バンコクとか、もしくはほかの地域でやってしまう。それが実際に横行していますし、そうでないと輸出業者はもうからない。そういったこともあって、闇の経済はかなり大きなウエートを占めています。
 貿易の政策をトレード・カウンシルというところが握っています。結局そこは、軍事政権なので、軍事政権の上層部の人たちが幅をきかせているわけです。そうすると、ほんとうに下らない理由でいろいろなものがご禁制品になったりしてしまうことが多々あります。例で言いますと、ある日、タン・シュエ議長が最近タマネギの値段が上がっているよと、どうしたんだと聞いたら、商業省の人は、最近タマネギは輸出が好調ですと答えたら、それはいいんだけれども、国内需給を満たしながら輸出をするのが当然じゃないのかなと、一言そういう話をしたと。
 そうすると、タン・シュエ議長に気を使った政権下の人たちが翌日からいきなりタマネギを輸出禁止にしたとかいうことが実際にありました。おもしろいのは、既に輸出許可を得ていた軍のコンテナまで全部国が没収したと。これは港湾公社で聞いたんですけれども。別にタン・シュエ議長が輸出をするなと言ったことはないんですけれども、そのようなことが多々起こっているようです。軍事政権という特殊な世界なので、下から上にものが流れにくくて、上から下にしか情報が来ないという側面があるようです。







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