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(4)ヒューマンファクター概念に基づく海難調査
(1)海難調査の目的
 NTSBが海難調査を行う目的は、海難事故の再発防止という観点から、事故をヒューマンファクター概念に基いて徹底的に調査し、推定原因(Probable Cause)又は寄与原因(Contributing Cause)を明確にするとともに、海上交通・運輸の安全や改善に関する勧告を、連邦や州の政府機関を始め民間の企業や組織等に対して行うなど、あくまでも海難事故の再発防止を目指しているところにある。
 従って、NTSBは、USCGから上訴されてきたケース(後述)を除いては、海難関係人に対する懲戒とは一切係わりを持たない。
 
(2)海上安全局
 海上安全局(Office of Marine Safety)は、海軍やUSCG、企業等の職歴を持っている者、あるいは船長や機関長等の海技免許を有している者、海事経験が豊富な造船工学者、更にはヒューマンパフォーマンスやサバイバルファクターの専門家など、総勢17名からなっているが、そのうちの3分の2は何らかの専門知識を持っている調査官である。
 海難事故の多くは、海上安全局のスタッフのみで調査しているが、必要に応じて他の部署、例えば航空安全局のヒューマンパフォーマンス部の応援を得たり、極稀ではあるが、海上安全局内の専門家の同意を得たうえで、NTSB外から専門家の支援を受け、意見を聴取することがある。
 そして、全ての海難事故は多かれ少なかれ、また、単純であれ複雑であれ、ヒューマンファクターが係わっているので、調査手法にも、調査報告書にもそれが反映されるようになっている。
 
(3)海難調査の主体
 NTSBは、法律上は調査権限を有する海難をTVかラジオで認知したるときは自ら進んで調査を開始することができるが、実際には、まずUSCGが予備調査(Preliminary investigation)を行い、そこでNTSBの参加が必要とされている海難であると決定されたものがNTSBに通知されることになっている。
 通知を受けたNTSBは、その海難が、USCGの船舶が衝突事故などで関与しているというような場合には、NTSBが直接に調査に当たらなければならない。しかし、その海難がいわゆる重大海難又は公用船と私船が関連するものであれば、NTSBは、自らのルールに従い自主的に調査を行うか(単独調査Independent Investigation)、それともUSCGと共同で調査を実施するか(合同調査 Joint Investigation)、について選択権を有している。
 NTSBが調査の実施につき自由裁量権を持つ後者の場合で、NTSBが直接調査を実施しないと決めたときは、USCGに対し、NTSBに代わって調査を行うよう要請しなければならないとされ、依頼されたUSCGもそうした調査を行うかどうかをNTSBに通知しなければならない。
 なお、USCG関連の海難は、いわばUSCGの自己調査となるという理由から、NTSBによる直接調査が義務的となっている。
 また、USCGがNTSBに代る調査を行う場合には、NTSBの調査手続に従うのではなく、USCGの通常の調査の手続による。ただし、この場合の調査は、USCGの単独調査ではなく、USCGの正式調査とNTSBの正式調査とのいわば合同の調査(Joint investigation)と考えるべきものとされており、したがって、NTSBは、USCGによって実施される調査のいかなる段階であってもNTSBが指定した者を参加させることができるが、USCGと矛盾を生じさせないため、USCGの方針に従って調査を実施しなければならない。
 NTSBに代わるUSCGの調査が終了した段階で、調査に関する記録がUSCGの長官からNTSBに提供されるので、NTSBは、その調査の記録及びNTSB自らの権限で得た追加証拠に基づいて重大海難の事実、状況、環境、及び推定原因(Probable Cause)又は寄与原因(Contributing Cause)を決定し、報告書を作成する。
 
(4)海難調査の客体
 USCGは、アメリカ籍船舶(ただし軍艦等の公用船を除く)、外国籍船舶を問わず、合衆国内の可航水域上で発生した全ての海難事故、又は何処で発生しようともアメリカ籍船舶が関係した海難事故に対して予備調査を行うが、NTSBも、また、合衆国の領海内におけるアメリカ籍船舶及び外国籍船舶が関係する海難事故の調査、並びに国際水域におけるアメリカ籍船舶が係わる海難事故に関して調査権限を有している。
 そのため、同一の海難についてUSCGとNTSBの二つの行政機関がそれぞれ独立の調査を行う体制が存在するということになるが、時間やコストの浪費が非難され、世間の信頼を失うことが危倶されたため、2000年に議会で問題になったのを機会に、重大な海難事故はNTSBが調査するなど両者の話し合いが行われた。
 NTSBが調査対象とする海難は、いわゆる重大海難(Major Marine Casualty)と称される重大かつ安全問題が関係する事故、公用船(Public Vessel)と非公用船(私船)(Non-Public Vessel)に関連する衝突その他の事故で、1名以上の死亡又は75,000ドル以上の財産損害を伴う事故、USCGと非公用船に関連する事故で、1名以上の死亡又は75,000ドル以上の財産損害を伴う事故、及びUSCGの安全業務、例えば船舶交通サービス、航行援助施設、捜索救援活動等に関連する重要な安全問題に関わる重大海難に限られている。
 ただし、重大海難に相当しなくても、海上安全の向上に寄与し得る問題を孕んだ海難事故は、財源の許す範囲内で調査を行う。
 なお、重大海難については法令に定義があり、6人以上の死亡事故、100総トン以上の自航船舶の全損事故、当初の評価額が50万ドル以上の財産損害事故、USCG長官が決定しかつNTSB委員長が同意したもので、人命、財産、環境を脅かす重大な有害物質の流排出事故とされている。
 一方、NTSBの調査対象海難は、USCGによる海難の予備調査の中で明らかにされ、USCG長官からNTSBに対して通知される。もっとも、NTSBは通知された重大海難等の全てにつき調査義務があるわけではなく、その中から最も重大な安全問題に関わる事故だけを選択して調査を行えばよい。
 2001年度でみれば、USCGによる予備調査が行われた約5,000件の事故のうち、いわゆる重大海難の基準の一つを充たした海難は1%相当の58件ほどであり、そのうちの5件についてNTSBが調査を実施している。
 
(5)海難調査の手法
 NTSBは、海難事故を認知すると、まず調査体制の在り方を検討し、主任調査官(Investigator in Charge, IIC、通常はNTSBの上席調査官が任命される)を指名したうえで、事故現場にGo-Team(派遣チーム)を出動させる。そして、主任調査官は、調査が開姶されると、Go-Teamの指揮官となり、調査体制の編成会議(Organizational Meeting)を開催してフイールド調査の陣容を固め、現場調査(On-Scene Investigation)を実施する。
 Go-Teamの編成は事故の種類・規模により異なるが、NTSBの大事故調査課の担当調査官に加え、普通は6名ないしそれ以上の数のスペシャリスト(一般には、舶用機関技術士、ヒューマンパフォーマンス、サバイバルファクター、その他事故の種類により火災、冶金等の専門家)をもって構成され、特に世間の関心を集める重大な事故の場合には、ボードメンバーの1名が同行し、首席スポークスマン役を務める。また、マスコミの対応や事故に巻き込まれた遺族、生存者の支援のためNTSBの政府・広報・家族支援局(Government, Public and Family Affairs)の職員や専門家も派遣される。
 現地では、パーティーズ(Parties)と呼ばれる調査項目別の特別グループが構成される。これは、事故に関係する政府機関、運航会社、造船会社などから技術的な資格を備えた者が召集され、NTSBの各担当分野の専門調査官が各グループの責任者となって、事故を多角的に検証し、各種の証拠や特別の技術的情報を収集・交換して調査に当る組織であり、これによって公正・迅速な事故原因の調査が進められる。その際、NTSBは、パーティーズのメンバーがNTSBの調査に協力することは、ひいてはメンバー自らの利益に繋がるということを認識させることに努めるとともに、見落としがちなヒューマンファクターについてメンバーからの助言を適宜聴取する。
 なお、USCGにもパーティーズと呼ばれるものがあるが、これは事故の当事者(parties in interest)たちを指している。
 一方、事故現場における調査手続きとしては、先ず海難関係者に対してアルコールやドラッグが海難事故と係わりがないかどうかを調査する。その手法はUSCGが行うのと同様の呼気、採尿、採血等の検査手法を用いるが、USCGが調査した結果待ちのケースが多い。
 次いで、NTSBが重要視しているのが疲労度の調査である。この場合、事故発生72時間前(航空事故では法律で定められている。)に遡って、事故に至るまでの海難関係者の行動を調査し、特に事故発生前24時間の活動状況及び睡眠時間中断の有無については詳細に調査する。
 その理由は、疲労は、警告に対する反応が鈍くなること、トンネルビジョンといわれる、注意が一点だけに集中してそれ以外のことに及ばなくなること、及び環境が変化してもそれに適応する臨機の措置が取れなくなることがあるためである。また、疲労度に関連しては、睡眠時間のほかに就労時間についても調査する。
 その後、基本的には、海難関係者に焦点を当てて調査することになるが、その場合も同人の訓練過程、監督・管理能力、雇用条件など、そのほか機器の設計も含めてあらゆる面から海難関係人のエラーの本質を理解するための調査に努める。その際、海難関係人は、弁護士の帯同を認められていない。
 海難関係人等の事情調査に当たって活用されるのが、「SMART Specific Marine Appraisal and Risk Tree」である。(資料5)
 このRisk Treeは、当初は原子力産業界において安全性を確かめるために作られたものであり、Fault Treeから変換されたものであるが、NTSBで何度かの修正を加えて海難調査用に作り変え、今では調査過程でヒューマンファクターの見落としがないようにチェックリストとして使用している。因みに、ヒューマンファクターに基く事故調査は、いずれの分野においても多分に共通性、類似性を持っていて、航空分野のCRM(Crew Resource Management)は海上分野のBRM(Bridge Resource Management)とほぼ同一である。例えば、保守と検査が問題となっている事故では、Maintenance and Inspection Analysisの事故をヒューマンファクターに基づいて調査する。
 一方、事故を調査するに当たっては、自分が画いたシナリオで事実関係の調査に入り、調査の進展に伴ってそのシナリオを適宜変更しながら調査を進めていく方式が考えられるが、独断と偏見が入り込まないように多数の調査官によるレビューが行われる。
 すなわち、現場調査は、通常、事故後10日前後にわたって行われ、この間、毎日「調査進捗会議」(Progress Meeting)が開催されて、収集された証拠や情報の報告・検討が行われ、また、調査の結果、確実と認められた基本的事実に関する情報は事故現場に同行しているボードメンバー又はNTSBの渉外・広報部長もしくは主任調査官を通じて公表される。また、現場調査が終了したところで、かつ、公聴会が開催される前に、NTSBの担当調査官により「事実報告書」(Factual Report)が纏められる。
 なお、NTSBでは、ヒューマンファクターに基いた海難調査がどのように行われているかの参考になると思われるので、下記の事故の報告書のうち、概要、結論及び勧告の概略を記載する。詳細は資料6、6−1 6−2のとおりである。
 
*プレジャーヨットMorning Dew号沈没事故
概要(Summary)
 本件は、1997年12月29日早朝、長さ34フィートの、補助エンジン付きプレジャーヨットMorning Dewが、米国南東部に位置するサウスカロライナ州のチヤールストン港において、捨石で築造された南・北両防波堤間の入出航水路を航行中、北側の防波堤に衝突し、沈没した事故である。
 本船は、その後同防波堤の南約14メートル、水深4メートルばかりのところに沈んでいるのが見つかり、ヨットの所有者兼操船者及び3人の船客は、同一家族であったが、全員死亡が確認された。
 
結論(Conclusions)
 NTSBは、本件発生の推定原因として、外洋航行時のリスクに対する操船者の判断ミスとそれに伴う準備不足を挙げ、人命喪失の一因として、捜索救助活動に当たってのUSCGの対応の拙さを指摘している。
 
勧告(Recommendations)
 NTSBは、USCGに対して、監視官の研修や検定資格制度及び行動態勢観察システムの導入等を勧告するとともに、各州知事に対しては、USCGと協力してボーティング(Boating)に関する安全合意を必要に応じて検討、改正し、責任や管轄の正確化を期すように求め、全米安全ボーティング協議会(the National Safety Boating Council)、アメリカ船舶所有者協会(the Boat Owners Association of the United States)等に対しても、ボーティングの安全教育を実施するように勧告している。







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