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2004年2月号 中央公論
改めて説く「自衛隊イラク派遣」の意味
北岡伸一(きたおか しんいち)(東京大学教授)
 
 二〇〇三年十二月十四日夜(日本時間。以下同)、サダム・フセイン元大統領が逮捕された。これだけでイラク情勢が沈静化することはないだろうが、相当に大きな変化をもたらす可能性はある。以下の議論は、その情報の前に書かれたものであるが、大筋では変更する必要を感じないので、細部に若干の修正をしただけで、そのまま掲載することにする。
 
 十二月九日、イラク特措法にもとづいて、内閣はイラクに自衛隊を派遣することを決定した。イラク情勢が不安定な中で、この決定をめぐって激しい議論が巻き起こっている。私は小泉内閣の決定を、いくつかの留保付きで支持するものである(たとえば、自衛隊派遣をめぐる座談会、『読売新聞』十二月十日)。ここではその理由を、やや範囲を広げて、すなわち、世界は対テロ戦争をどのように戦うべきか、その中で日本はいかなる役割を果たすべきかという、二十一世紀の世界秩序や日本外交のあり方にまで広げて論じてみたい。そのために、やや迂遠ながら、イラク攻撃の前にさかのぼって、議論の要点を振り返ることにしよう。
イラク戦争の起源
 イラク攻撃の起源は、少なくとも二〇〇二年十一月の国連決議1441までさかのぼる。これは、イラクに大量破壊兵器保有の疑惑があるとして、イラクにその疑惑を解消する責任――挙証責任を負わせたものである。しかしイラクはその責任を果たさず、ギリギリのタイミングで、限定的な査察を受け入れることとなった。これに対し、アメリカはイラクの協力ぶりが不十分だとして軍事力の行使に踏み切るべきだと主張し、他方でフランスやドイツは査察の継続を主張した。
 ここには二つの問題が存在する。軍事力行使の効果と正統性の二つである。
 軍事力行使の効果についてみると、どちらにも問題があった。私は、フランスやドイツの査察継続論は、事実上、フセイン政権が大量破壊兵器を持ったまま存続することを認めることになると考えた。他方で、アメリカが攻撃に踏み切る場合、フセイン独裁政権を打倒することはできるだろうが、リスクも大きい選択だと考えた。
 とくに、イラク占領をアメリカの日本やドイツ占領と対比する議論は暴論であった。日本には政界にも外交界にも財界にも、長い親英米の流れがあり、とくに天皇がそうであった。またアメリカ側にも日本をよく知る人々が少なくなく、対日占領計画も長く準備されていた。長い戦争で国民は疲弊し、いかなる平和でも歓迎する雰囲気となっていた。そして日本人は長い歴史の中で国民意識をはぐくみ、敗戦も復興も自らの責任と割り切る覚悟を持っていた。こうした条件の一つも揃っていないイラクで、復興がはるかに困難なことは明らかだった。したがって、査察継続も武力行使も、どちらも好ましくない、究極の選択だった。
法的正統性の問題
 また国際法的正統性については、決議1441で十分だという立場と、それでは不十分だという立場があったが、実はどちらも成り立つ議論である。なぜなら、イラクのような国が大量破壊兵器を所有して周辺国の脅威となるというような事態は、国際法が想定していないものだったからである。
 平和と戦争を規定する最大の条件は法ではなく、軍事技術である。また、国際政治の構造であり、国際世論である。かつてコソボにおいても、国際法的には疑問のある攻撃が行われた。きわめて悲惨な事態が存在し、それを改善する方法が他にないという理由で、伝統的な内政不干渉の原則を破って、NATO軍はユーゴを攻撃した。しかし、今回の仏独は、アメリカの攻撃に反対した。要するに、こうした問題は、国際社会が新たに直面する課題であって、正解はないのである。
 もう一つ重要なのは、フランスやドイツが主張した査察継続論は、アメリカの軍事力の圧力によって可能となっており、フランスやドイツにはそれを肩代わりする準備はなかったということである。いうまでもないことだが、国連は自前の軍事力を持っておらず、軍事力を行使する主体としては無力である。軍隊を供給しうるのは主権国家だけである。国連は、正統性を付与する点で重要な機関であるが、加盟国の軍事力に依拠しており、その行使のタイミングや兵力量まで決定することは難しいのである。
 この正統性の問題で、その後に尾を引いているのは、イラクで大量破壊兵器が発見されていないという事実である。しかも、大量破壊兵器に関する情報の中に誤りがあったことが判明し、情報が操作されていたのではないかという疑惑も払拭されていない。ただ、情報の誤りの多くは、核開発に関するものであり、核開発疑惑が切迫しているという疑惑は、そもそも強くなかった。懸念されていたのは、化学兵器であり、化学兵器は、ごく狭い地域で簡単に作ることが可能であり、隠滅も簡単である。したがって、これまで大量破壊兵器に関する決定的な証拠は発見されていないが、イラクがシロとなったとも思われていないのである。
 政治には、究極のところ、好ましからざる手段を使わざるをえないときがある。政治は悪魔と手を結ぶことであると、いわれるとおりである。つまり、目的は手段を正当化するかという問いに、政治家は常に直面する。この問いに決定的な答えはないが、私は、目的は手段を正当化しないが、よい結果は手段を正当化することがある、と考える。つまりアメリカのイラク攻撃は何よりも、よい結果を実現したときに、正当化されるというべきだろう。
対イラク戦争から対テロ戦争ヘ
 アメリカは二〇〇三年三月十八日、最後通告を発し、小泉首相はこれを強く支持した。そして二十日、アメリカの空爆が始まった。一部のジャーナリストは戦争が泥沼化すると指摘したが、四月九日、米英軍はバグダッドを占領し、大規模な戦闘は終結した。そしてアメリカは五月二日、戦争終結を宣言した。
 しかし、その後の占領と復興はうまく進まなかった。そこには多くの米軍の失敗があった。
 最大の問題は、戦争終結を早く宣言しすぎたことだろう。アメリカの巨大な軍事力の前に、フセインの軍隊は崩壊したが、その部分部分は武器を持ったまま生き残った。そこで必要なのは、徹底した非武装化、いわば刀狩であり、また普通のイラク人を味方につけるための慎重な行動だった。たとえば、バース党に所属するなど、旧フセイン体制に関わったものでも、新政府に雇うほうが賢明だった。そんなことは日本占領を見てもすぐわかることで、追放は生活手段を奪うことであり、多くの人々を傷つけるので、少数の高官に限るべきだった。
 また、イラクの宗教、文化に対する配慮も十分ではなかった。アメリカには異文化の中で座敷に土足で上がりこむような行動が少なくなかった。戦争で巻き添えになり、犠牲となったイラク人からの反感もあった。それでもアメリカは七月のウダイ、クサイの殺害までは、勝利を収めつつあった。
 事態が変わり始めたのは八月である。それまでと違って、米軍への攻撃ではなく、米軍の仲間と目されるうちの弱い部分、ソフト・ターゲットを狙う攻撃が出始めた。八月十九日、バグダッドの国連現地本部事務所で爆弾テロが起こり、デメロ代表が死亡したのが最初の大きな衝撃だった。
 さらに八月二十九日には、イラク中部のシーア派聖地ナジャフのモスクでテロがあり、シーア派の有力指導者、ムハンマド・バキル・ハキム師ら八○人以上が死亡した。
 これに対して、アメリカも国際社会も態勢を立て直し始めた。
 九月八日、ブッシュ大統領はテレビで演説し、対テロ戦争の継続の重要性を訴え、そのために八七〇億ドルという巨額の追加支出を議会に対して要請する意図を明らかにした。日本円で一〇兆円以上の巨額である。
 そして十月十六日、国連安全保障理事会は、イラクヘの多国籍軍派遣と戦後復興・再建費用への国際協力を盛り込んだ、米国などの提出による決議1511を全会一致で採択した。米英による占領統治の早期終結が必要であるとして修正を求めてきたフランス、ドイツ、ロシアの三ヵ国も一定の譲歩が得られたとして賛成に転じ(ただし、十分ではないとして参加してはいない)、アラブから唯一つ安保理に入っているシリアも賛成した。
 これを受けて二十三、二十四日、スペインのマドリッドで支援国会議が開かれ、日本はそれより前に約束していた一五億ドルの無償援助に加え、三五億ドルの有償援助、つまり合計五〇億ドルの拠出を申し出た。これに対して穏健派アラブ諸国も同調し、テロリストの流入問題に対しても国境管理などで協力する姿勢を明らかにした。
テロ戦争の拡大
 しかし、テロはなお拡大した。十月二十七日には、バグダッドの赤十字国際委員会現地本部近くで爆弾テロがあり、十一月十二日には、イラク南部のナーシリヤでイタリア警察軍が攻撃を受け三〇人近くが死亡した。
 さらにテロは国外にも広がり、十一月十五日にはトルコのイスタンブールでシナゴーグが爆破され、ユダヤ人二〇人以上が死亡した。さらに同じイスタンブールで、二十日、イギリスの総領事館が爆破され、総領事自身を含め、二六人以上が死亡した。
 さらに日本に対しても、十月から十一月にかけてアル・カーイダはテロを行うと警告した。十一月二十九日の奥、井ノ上両氏に対するテロという悲劇も、この延長上にあったものだろう。
 これらは、サダム・フセインの残党に、アル・力ーイダなどの国際テロ組織などが合流して、アメリカを中心とする対テロ戦線を弱体化させることを狙った戦いであった。戦争においては、憎い相手よりも、弱い相手を攻撃することが有効である。全体として勝利することが目的だからだ。
 同時に、テロリストの米軍に対する攻撃も続いていた。たとえば、十一月二日、七日、十六日、ヘリコプターが撃墜され、それぞれ一六人、六人、一七人が死亡した。これらは地対空ミサイルによる撃墜であり、訓練された軍人ないしテロリストによるものであった。
 しかし、こうした作戦の場合、攻撃者の捕捉が自爆テロよりも容易である。アメリカ側も苦しかったが、テロリストの側も苦しかったのであろう。十二月十四日のフセインの逮捕なども、こうした攻撃の結果と言えないことはないのである。
 ともあれ、十二月初めの時点で、イラクに対する戦争はテロに対する戦争へと変容を遂げていた。イラク民衆の間に不満は強まっていたが、民衆の一斉蜂起というような状況ではなかった。むしろ、一般民衆の支持を奪い合う競争が、連合軍と反米勢力の間に展開されていたのであった。
自衛隊派遣問題
 さて、自衛隊派遣問題である。十一月九日の総選挙を前に、派遣問題への関心は高まった。そして選挙後、一ヵ月を経て、小泉首相は派遣に踏み切ることとなった。
 ここで注意すべきは、この問題には、対テロ戦争と復興支援の二つの側面があるということである。この二つは、密接に関係している。対テロ戦争がうまくいき、ある程度の安定を確保しなければ、復興は難しい。また復興が進み、民心を獲得できれば、対テロ戦争を進める上で大きな力となる。しかし、二つは別の事柄である。
 現在、文明国はテロとの戦いというきわめて困難な事態に直面している。その中で、世界の主要国である日本がこの戦線の一角を担うことはきわめて重要である。その場合、もはや形だけの参加を考えるのではなく、どうすればもっとも有効な行動となるかを真剣に検討すべきだと考える。対テロ戦争はもはや生易しい段階ではないからである。
 その点、日本の自衛隊派遣という決定は、連合国の士気を高める効果がまずあった。アメリカがこれを高く評価したのは、実際ありがたいという面と同時に、連帯を高め、士気をあげるという効果があったからであろう。
 自衛隊の派遣というと、必ずアジアの懸念ということをいう人がいるが、今回はフィリピン(国内にテロを抱えている)やタイ(イラクに軍隊を送っている)などは積極的に日本を賞賛した(かりに外務省がそういわせたということならば、それも相当の成果というべきだろう)。そして、常々もっとも厳しい対応をする中国と韓国も、専守防衛政策から逸脱しないようにしてほしいという希望を表明しただけであった。国際社会の評価という点で、日本にとって大きな成果であった(なお、補足すれば、もし自衛隊の派遣決定がフセイン逮捕後であれば、その心理的効果は何分の一かになってしまっていたであろう。国際協力は、国際社会が困難を抱えているときにやるのがもっとも効果的であることの一例である。それにしても小泉首相は運の良い指導者だと思う)。
 逆に、もし日本が自衛隊を送らないという決定をしたとすれば、日米安保条約上の義務には反しないものの、主要同盟国である日本の離反はアメリカ及びその連合国に大きな衝撃を及ぼしたであろう。そして、踏みとどまっているイタリアやスペインにもためらいが出て、撤退するという動きが出るかもしれない。こうしたドミノ現象が、もしかしたら、アメリカの撤退ということになるかもしれない。
 ここで注意しておきたいのは、アメリカの撤退はきわめて難しいということである。ベトナム戦争の場合、アメリカは相手国と交渉することができた。しかし、今度の相手はテロリストであって、その正体も明らかでないし、戦争の目的も明らかにされていない。つまり交渉による停戦や休戦はできないのである。
 またアメリカはかつてソマリアなどから撤退したことがあったが、今回のイラクとは規模も経緯も違う。もしアメリカが撤退すれば、これまでアメリカに協力してきた穏健なイラク人は、テロリストから悲惨な目にあわされ、大量虐殺が発生する可能性があると、私は危惧するものである。
 さて、日本はすでに対テロ戦争の一翼を担っている。そのためのもっとも有効な手段で、日本が提供できるものは、資金であろう。
 前述のマドリッドの復興支援会議における五〇億ドル支出は、大きな成果だった。とくに穏健派アラブ諸国の協調を引き出すことができた点は重要だった。資金以外では、輸送や補給も重要である。その点で、航空自衛隊や海上自衛隊の派遣も有効な手段である。
 一方、陸上自衛隊は、さきに述べた士気高揚という点を除けば、対テロ戦争のためではなく、復興支援のためのものである。水の浄化でも地元の復興に役立つだろうし、医療においても、かなり高度の医療能力を持つ自衛隊は、町医者の手に負えない重症の病人や負傷者を治療することに能力を発揮するだろう。
 そして、こうした活動には、自衛能力を持つ自衛隊が行くのが最善である。かつて、民間人が行くほうがよいという議論があったが、だいたい影を潜めたようだ。奥参事官らが殺されるような事態で、民間人は格好のターゲットにすぎない。陸自も完全に安全ではありえないが、完全武装の自衛隊が、それほどやすやすと大きな被害を出すとは思えない。
 ただ、対テロ戦争の重要な局面を担うような役割を陸自が果たせるかどうかは、やや疑問である。私が恐れるのは、膨大な数のマスコミが押し寄せて陸自の活動を取材し、国民の関心がそこだけに行ってしまい、大局を見失うことである。さらに、マスコミの中に犠牲者が出はしないか、不安に思う。
 結局、陸自派遣は役には立つし、危険もさほど大きくはないと思う。しかし、重要なのはテロとの戦いである。その中でもっとも有効な手段として、リスクとコストをよく計算して、タイミングを見て派遣するのがよいだろう。何も陸上自衛隊でなくてもよい。最悪は、いったん派遣して、被害が出て、撤退することである。少しくらい被害が出てもやめるわけにはいかない。
イラク特措法の問題点
 今回、議論が紛糾した大きな理由は、法律に問題があったからだと考える。
 イラク復興支援特別措置法は、六月十三日に国会に提出され、七月二十六日に成立した。その総括討論で、民主党議員が、国連職員が襲われたような話は聞かないと述べているように、この当時、まだソフト・ターゲットを狙った攻撃は起こっていなかった。
 それもあって、法律にはいくつか不備がある。そもそも法案の提出が、ほとんど会期末に近かった。当初、自衛隊のミッションの中に、大量破壊兵器の処理とあったのに対し、橋本龍太郎元首相や野中弘務元幹事長らが、大量破壊兵器はまだ発見されていないことを理由に反対して、ミッションからはずされたといわれている。これなど、見つかれば処理し、見つからなければそれまでなのだから、法律から外す理由は何もないのに、つまらない譲歩をしたものである。この種の党内異論への配慮があったと思われる。
 また、自衛隊員の武器使用基準がやはり国際標準からして著しく厳格であることが挙げられる。この点については、四月二十二日の『読売新聞』の座談会で、民主党、公明党、自由党の三党幹事長が、見直しを求めたことがあった。
 もう少し説明しておけば、防衛庁などによると、国連などの武器使用基準では一般的に、(1)停戦監視などの任務遂行を実力で妨害する者に対する武器使用、(2)相手に武器を捨てるよう銃を構えたり、威嚇射撃などによる警告――などが可能とされる。しかし、政府は自衛隊の武器使用基準を国際基準に改めようとはしなかった。この点においても、障害は政府の中にあったことが分かる。
 そして何よりも、「人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行う」地域として、第二条3に、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘が行われることがないと認められる・・・地域」と述べている点である。したがって、「戦争が行われることがないと認められる」ということを認定するのは政府の責任である。この条文は、明らかに政府にそういう判断をする義務を負わせている。小泉首相が説明不足だと批判されたその核心は、この部分にあったのである。
 繰り返しになるが、テロリストは、アメリカに打撃を与えることが狙いである。そうすると弱い環を狙うのが当然である。サマワで戦闘が行われないという保障も見通しも、持てるはずがないのである。したがって、厳密に言えば、今回の派遣は違法であるという野党の主張には、一定の根拠があるのである。
 なぜ、そういうことになってしまったのであろうか。
 改めて言うまでもなく、日本の安全保障論議は、もっぱら法律論議である。それも世界の軍事技術や軍事情勢を一切無視した神学論争であることが多い。日本は集団的自衛権を保有しているが、憲法上行使できないという解釈など、その最たるものである。
 しばしば述べている持論を繰り返せば、現代の世界においては、非政府主体が高度の軍事力を保持することが可能となっている。こうした動きを封じるためには、主要な国々は緊密に協力して、テロを封じ込めなければならない。自国が襲われた場合には自衛をするが、他国の防衛には協力しないなどということでは、現代世界の安全を維持できない。しかも、憲法に照らしてみれば、九条一項は紛争解決のための軍事力の行使を否定しているが、自衛を否定しているものではない。またこの紛争解決とは、日本と他国との紛争解決のことである。したがって、国際紛争を解決するために自衛隊を参加させることは、禁じられていないと解することができるのである。テロとの戦いで日本が重要な役割を果たすためには、少なくとも集団的自衛権の行使は不可とする政府解釈を変えないと、大きな制約になるだろう。
今後の展望
 もう一つ提唱したいのは、自衛隊員による大使館の警備である。奥氏や井ノ上氏は、また日本からしばしば訪れる国会議員や政府高官は、概して米軍の兵士の警護を受けていたのではないか。米軍の兵士も、日々、仲間が殺される事態にある。彼らに警備を依頼することは、奥氏らにとって、かなり気の重い仕事だったのではないか。もちろん、イラク現地の警備員を雇うことも必要だ。しかし、同じ日本政府を代表する外交官を、どうして日本の自衛隊が守らないのか。法制度がないのなら、作るべきではないか。それはサモワへの派遣以上に危険な仕事かもしれない。しかし、それはやりがいのある仕事なのではないだろうか。
 さらに、こうした戦いのために赴く外交官や自衛隊員に対して、物質的のみならず精神的に手厚いサポートを送ることが必要である。
 スペインでテロの犠牲になった兵士が帰国したとき、その棺は、大きな国旗に包まれ、政府首脳がこれを出迎えていた。兵士は、国家の懐に抱かれてこそ、安らかな眠りにつくことができるということを、こうした儀式は示していた。日本の場合、国旗も小さく、飛行機も政府専用機でなく、首脳の出迎えも少なかった。外務大臣が、クウェートあたりまで飛ぶこともありえたのではないだろうか。奥氏、井ノ上氏の尊い犠牲に対して、われわれは十分な敬意を払ったのだろうか。
 フセインが逮捕されても、すぐにイラク情勢が安定するとは限らない。テロは簡単にはなくならない。私は自衛隊の派遣を支持するが、十分慎重にやってほしい。それでも犠牲者は出るかもしれない。そのときに、国家として手厚い敬意を払える準備をしてほしいものである。
 最後に、国際協調の枠組みである。国連の関与をもっと深めることは重要であるが、それは、アメリカは早く出て行けということであってはならない。初めのほうでも述べたように、自前の軍事力を持たない国連だけでは、十分な役割を果たすことはできない。そして国連の関与を深めるために、日本はただそれを待つだけではなく、仏独(およびロシア、望むらくは中国)とアメリカの協力体制を復活させるために動いてはどうだろうか。橋本元首相を派遣したが、日本が本格的に説得するためには、小泉首相自身が飛ぶ必要がある。成功するかどうかわからないが、必死の説得がなければ人は動くものではない。古くは朝鮮戦争のときイギリスのアトリー首相が、新しくは現在のイラク戦争に際してブレア首相が、アメリカに飛んで大統領を説得している。小泉首相がブッシュ大統領との密接な関係を誇るのであれば、実はそこまで動くべきではないだろうか。そういう行動があってこそ、国民も納得すると考える。
◇北岡伸一(きたおか しんいち)
1948年生まれ。
東京大学法学部卒業。東京大学大学院修了。法学博士。
立教大学教授、東京大学教授を経て現在、国連代表部大使。
 
 
 
 
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