2003/04/02 毎日新聞夕刊
[作家が語るイラク戦争]冷笑を超えて−−平野啓一郎さん
◇根本問題を考えない、米国の古い帝国主義
テレビは刻々と戦場の光景を映し出す。新聞や雑誌は各国の思惑や政治家たちの背景を解説する。そんな情報にさらされながら、心に言いようのない焦りとわだかまりを覚えるのはなぜだろう。徹底して個の立場で執筆を続ける文学者たちは何を感じ、何を考えているのか。肉声を吐露してもらうシリーズの第一回は平野啓一郎さん。
――「イラク戦争」と、国内外の反応について、どういう印象を持っていますか。
平野啓一郎さん: 僕は原則として戦争反対ですし、今回のイラクに対する武力行使にも反対します。インターネットを通じて反戦運動が世界的な広がりを見せたことには、希望を持ちました。米国の知人に聞くと、ベトナム戦争に比べはるかに速いスピードで、また大規模に反戦の動きが起こったようです。その中で、反戦運動がいちばん盛り上がっていないのは日本だという感じがします。
――その違いの理由を、どう考えますか。
平野さん: 一つは北朝鮮問題があります。テレビの街頭インタビューを見ていても、「戦争はよくないが、日本を守ってくれるのは米国だけ・・・」といった声が目立ちました。背景には「日本は外交下手」というコンプレックスと、反戦論に対するシニカルな雰囲気があると思います。
――シニカルな雰囲気の正体とは何なんでしょう。
平野さん: 国家間の利益が衝突する世界の現実をよく知るインテリたちは、理念的な「平和」の主張を「素朴な考え」として冷笑しがちです。でも、いかに国連の内実が理想から程遠いとしても、日本は国連中心主義で行くという建前を放棄すべきではありません。正しい情報を得たうえで選択すべき問題ですが、理念的な主張を蔑視(べっし)するような雰囲気はよくないと思います。
――とはいえ、日米同盟や北朝鮮の脅威は、避けられない現実です。それが日本政府のイラク戦争「支持」の前提にあります。
平野さん: 今回の対米追従に無力感を抱いた日本人は多いと思います。しかし、「支持せざるを得ない」という主張に、反戦を言う側も反論を準備すべきです。追従が耐え難いのなら、今後、日本はどうあるべきかを考えなければならない。日本が自立を目指すとすれば、日米安保の見直しや集団的自衛権の行使、さらには憲法の問題も議論する必要が出てきます。
――平野さんは昨年の長編小説『葬送』(新潮社)で、革命と戦火が絶えなかった19世紀のヨーロッパを描きました。21世紀の戦争を、どう見ますか。
平野さん: 今回、米国の単独行動主義への反発が世界的に高まりました。京都議定書問題などにも現れた新保守主義に基づく米国の外交政策は、容認しがたいものです。論壇では「帝国」が話題になっていますが、僕からは、今の米国のやり方は決して新しい形の「帝国」ではなく、むしろ古典的なスタイルの「帝国」に見えます。米国型の民主主義を広め「ならず者国家から解放する」という論理も、まるで18世紀の啓蒙(けいもう)主義の発想と同じです。ヨーロッパに比べて歴史の浅い国が、巨大な軍事力を持った時の危うさというのを強く感じます。
――米国の強硬姿勢の背景には、01年の「9・11」テロがあると思われますが。
平野さん: その通りです。もちろん僕はテロは絶対に認めません。60、70年代の政治の季節を知らない僕らの世代にとって「9・11」は衝撃でした。ただ、イラク攻撃に際してブッシュ政権は「テロリストに対する先制攻撃」と言いましたが、米国は、なぜ自分たちがテロを仕掛けられるのか、という根本の問題を考えていないように見えます。
――今、作家は、何をすべきだと考えますか。
平野さん: いろいろあると思います。例えば、ノーベル賞作家のようなシンボリックな存在の人が反戦をアピールすることは、社会的な意味を持つでしょう。また、作品を通じて表現することがあります。ピカソの「ゲルニカ」が反戦のシンボルとなったように、作家が小説という形で問題を扱うことは、立ち止まって深く考えることを人々に促すと思います。僕も直接この戦争を描くのではありませんが、5月発行の文芸誌に戦争をテーマにした作品を発表するつもりです。 (聞き手・大井浩一)*次回は3日に掲載
◇平野啓一郎(ひらの けいいちろう)
1975年生まれ。
京都大学法学部卒業。
芥川賞作家。
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