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2003/03/25 産経新聞朝刊
【前田撤の眼】イラク戦争 カウボーイ的世界観 一国主義は「アメリカの自由」
 
 ある日曜日の昼下がり、西部の小さな町の駅に凶悪な無法者たちが降り立った。保安官ケインへの復讐(ふくしゆう)を果たすためだ。法と正義を守ってきた篤実なケインは町の人たちに「一緒に戦おう」と呼びかけるが、誰一人相手にしてくれない。ケインは覚悟を決めて遺書をしたため、そして結局は一人で無法者を倒して保安官バッジを投げ捨て町を去ってゆく。
 ブッシュ米大統領が好む西部劇「真昼の決闘(ハイ・ヌーン)」のワンシーンだ。名優ゲーリー・クーパーふんするケインは米国人にとって古典的ともいうべき西部男の姿だ。その挿話が米仏対立の本質を象徴するものとしていま、評判になっている。
 ワシントンの有名シンクタンク「カーネギー国際平和財団」のロバート・ケーガンは論文「パワーと弱さ」で世界の保安官、米国を次のように描いている。
 「アメリカ人はカウボーイみたいだとよく揶揄(やゆ)される。確かに一理ある。何をしでかすかわからない無法国家がうようよするこの世界で平和と正義をもたらす保安官の役割を担っているのは米国だけだからだ。時には銃口を突きつけて正義を守ろうとすることだってある。だが、欧州(フランスなど)は西部劇にでてくる酒場店主のようなものだ。無法者だって酒を飲んでくれる客に変わりないし、無法者が銃を向けるのは保安官で、彼らでない。保安官が煙たいのは当然だ」
 ケーガンのこの刺激的な論法は大変な物議をかもした。ちょうど米中枢同時テロで米国が反テロ戦争を決意した直後であり、しかもブッシュ大統領はイラク、北朝鮮、イランの三国を「悪の枢軸」と名指ししたばかりだった。ドイツやフランスなど欧州諸国が「悪の枢軸」論に反発したことを考えると、無法者(イラク)に独り立ち向かう保安官(米国)と、それを傍観する酒場店主(欧州)という対比は、そのまま米国が抱く「カウボーイ的世界観」を浮き彫りにしたからだ。
 ソ連崩壊から十年以上が過ぎ、世界はようやく冷戦後の新秩序を求めて動き始めた。その中心にいるのがアメリカだが、ブッシュ大統領の登場とイラク戦争はその動きを一気に加速させる可能性を秘めている。
 いわゆる米国の「ユニラテラリズム(一国主義)」と「カウボーイ的世界観」、さらにはそれに反発する反米感情の広がりがそれを象徴している。
 しかし、一国主義は米国がソ連崩壊で世界最強国になったために派生した傲慢(ごうまん)さということではない。米国が建国以来、追い求めてきた「アメリカの自由」を国際政治の場に移しただけなのである。米保守界の論客、チャールズ・クラウトハンマーは次のよう解説する。
 「われわれ(米国)が一方的な行動をしていると評判が悪い。だが、何も単独で行動することが狙いではない。当然のことだが、まずは協調を目指す。しかし、肝要なのは他人の意見や政策に左右されないことだ。例えば、国連安保理では血の天安門事件を起こした中国や独裁国家に近いロシアの意見さえ拝聴しなければならない。フランスでさえ自己中心的な発言しかしない。果たしてそうした国々の意見を聞く必要があるのだろうか」
 米国は第二次大戦ではナチズムを倒すため植民地帝国の英国と肩を並べ、冷戦においてはフィリピンのマルコスや韓国の李承晩といった独裁者たちを支えた。クラウトハンマーはそうした妥協がもう必要ないほどに米国が力を備えた結果、一国主義が成立したというのである。
 そういえば、「真昼の決闘」で逃げろというアドバイスを聞かず無法者に立ち向かった保安官ケインは正義を貫くユニラテラリズムのヒーローそのものではなかろうか。
(外信部長)
 
 
 
 
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