2003/04/19 読売新聞朝刊
イラク戦後統治 日本占領を手本に「民主化」狙う米(解説)
◆民族、宗教―国情異なり難航は必至
イラクの戦後統治に関し、日本を「民主化」した連合国の占領統治は手本になるのだろうか。
(解説部 吉田和真)
戦後のイラク統治、復興のあり方については国際社会の中で意見が対立している。米国は国連の役割を限定し、米国が主導する構想を描いており、米政権内では「連合国軍総司令部(GHQ)による日本統治をモデルにする」との意見も出ている。
日本は占領下で、天皇を頂点とする明治憲法から、国民主権の現行憲法への転換、農地改革をはじめとする一連の民主化政策を実行した。その後の「朝鮮特需」という特殊要因があったとはいえ、経済復興も早かった。
米国はイラク戦争の目的の一つに、「イラクの民主化」を掲げた。イラク戦争の評価の大きな要素として、イラクに民主主義が定着するかどうかも挙げられている。だからこそ、米国では「イラク統治を戦後日本のような形で成功させたい」との考えが出るのだろう。
しかし、当時の日本と現在のイラクでは、国情が大きく異なる。
GHQによる占領の大きな特徴は、直接軍政ではなく、日本政府を通じての間接統治だったことだ。日本政府は統治能力があったし、その間接占領下で天皇制が存続した。このことは国内の安定、ひいては占領政策の遂行に大きく役立ったはずだ。
昭和天皇については、連合国内で戦犯として訴追すべきだという意見も多く、退位は避けられないとの見方が強かった。だが、連合国最高司令官マッカーサーの強い意向などで昭和天皇は在位し、天皇制も維持された。
占領政策に詳しい独協大学法学部の古関彰一教授は、「マッカーサーは、日本国民が天皇に対し非常に強い忠誠心を抱いているのを知り、天皇の持つ『神通力』を占領政策の成功に生かさない手はないと考えたのだろう。マッカーサーは連合国側で最大の天皇擁護者になったが、それはこうした打算的な判断からだった」と分析する。
さらに、日本軍が完全に武装解除され、占領軍との間で武力衝突が起こらなかったことも、占領統治を容易にした。武装解除も天皇への忠誠がなければ困難だったろう。
民主化実現の要因としては、日本が大正デモクラシーを経験し、民主主義が定着する土壌ができていたことも挙げられる。労働組合法制定(一九四五年十二月)などは、幣原内閣がGHQの具体的指示を待たずに積極的に取り組んだといわれている。
対して、イラクはフセイン体制の崩壊で権力の空白が生じている。昭和天皇にあたるような存在は見当たらず、戦後統治は当面、米軍による軍政が想定されている。完全な武装解除ができず、一部がゲリラ化する恐れもある。
イラクは西欧型民主主義へのなじみも薄い。宗教的原理主義者は民主主義を好まないし、国民の間には反米、反近代感情もある。また、民族、宗教、部族が複雑に入り乱れているため、価値観の共有や、その前提となる国民和解にも困難がつきまとう。日本の戦後占領を基礎づけたポツダム宣言のような法的枠組みがないことも、事態を複雑にするだろう。
米国が進めようとしている「イラク民主化」が、日本の占領統治より格段に難しい事業になることは避けられない。
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