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2003/04/13 読売新聞朝刊
[イラク後の世界](3)中東「政治地図」一変(連載)
 
 「まるで刑務所から解放されたような気分だ・・・」
 バグダッド市民が米軍を熱狂的に出迎え、フセイン大統領の像を引き倒した九日午前、西隣ヨルダンの首都アンマンでは亡命イラク人たちが目を潤ませていた。同じころ、イラク南隣のクウェートも、「今日こそ湾岸戦争は本当に終わった!」と、十二年ぶりの喜びに沸いた。
 米国の軍事力によるフセイン体制の打倒は、イラク国民の解放にとどまらず、周辺諸国への脅威をなくし、中東の政治地図を大きく塗り替えようとしている。
 二十四年間にわたるフセイン政権下のイラクは、常に危機の震源地だった。ペルシャ湾岸への覇権確立を狙って一九八〇年にイラン、九〇年にクウェートに侵攻した。シリア、ヨルダン、サウジアラビアなど他の隣国とも対立・接近を繰り返し、パレスチナ過激派支援を通じて中東紛争にまで介入する一方で、大量破壊兵器開発を進め、クルド人など自国民にも容赦ない弾圧を加えた。
 軍事力によって「アラブの盟主」となる野望を持った唯一の存在である「フセインのイラク」。それが、中東の地図から除去されたことに、イラク戦争の最大の意味がある。
 米国の戦後構想が成功すれば、イラクは親米国家として再建され、湾岸地域の西側一帯には“親米ベルト地帯”が形成される。それはとりもなおさず、世界最大の産油地帯で米国の影響力が拡大することであり、イラン、シリアなど残る対米強硬派諸国を分断・孤立化させることにほかならない。
 一方で、世界第二位の石油埋蔵量を持つイラクが、親米路線の下で石油生産を回復させれば、原油価格の支配という、湾岸諸国の最も強力な国際経済へのテコは、次第に力を失っていく可能性が高い。
 米国は八〇年代後半まで、異教徒への警戒心が強いアラブのイスラム世界に、直接、足を踏み入れることには消極的だった。だが、対イラク戦後は米国主導でイラクを民主化し、周辺諸国へ強力な民主化圧力をかける腹づもりだ。
 米国はこれまでとは質的に違う決意で、中東の“改造”に取り組もうとしている。それは中東に大変動をもたらす可能性とともに、米国自身が未曽有のリスクを負うことも意味する。
◆民主化、問われるアラブ
 「民主化」を旗頭に中東に乗り込んで来る米国に対し、これを迎えるアラブ諸国の表情は複雑だ。
 五、六〇年代、「反帝国主義」をかかげ石油産業などの国有化を強力に進めたアラブ民族主義運動は、すでに力を失って久しい。民族主義高揚の中で、イラクやシリアで政権を握った「バース党」は、今では、独裁政治の隠れみのでしかない。
 石油収入に頼る経済は、人口増加に追いつかず、収入の低下と貧富格差の拡大に国民の不満は募るばかりだ。
 米国による民主化圧力は、このアラブ世界に新たな挑戦を突きつける。それが停滞を脱する改革の突破口となるかどうかは、まずイラク民主化の成否にかかる。
 サウジのタラール王子は十日、「多くの民族、宗派、政党などがひしめくイラクの今後に無関心でいられるだろうか」と述べ、戦後統治体制作りでつまずけば、地域全体が不安定化しかねないとの懸念を表明した。
 確かに、オスマン帝国、王制、革命政権など独裁体制しか経験していないイラクに短期間で民主主義が定着するかどうか疑問視する声は多い。多くの民族、宗教・宗派が反目してきたモザイク国家で、民主主義の前提である国民和解と相互尊重が可能なのか疑問もつきまとう。
 だが、クウェート有力紙アルワタンのムハンマド・ジャシム編集長は「フセイン政権崩壊はアラブ独裁国家に明確な教訓となった」と言う。民主化を進めなければ、同じ運命をたどるかもしれないという恐怖を各国とも強く感じているというわけだ。湾岸諸国では湾岸戦争後、民主化要求が強まり、クウェート国会再開やサウジ諮問評議会発足など限定的ながら改革に結びついた。「民主イラク」樹立で、広範な民主化機運が生まれる可能性はある。
 だが、アラブ・イスラム大衆は、一方で民主化を望みながらも、イラク戦争を通じて今まで以上に反米感情を強めているように見える。多くのアラブ諸国では、市民が「イラク軍はなぜろくな抵抗もしないで米軍をバグダッドに入れたんだ」と、米軍の圧勝に憤りの声を上げた。そこには、当のイラク国民が解放を喜んでいるにもかかわらず、それを認めようとしないねじれた反米意識がある。
 エジプト・アハラム戦略研究所のディア・ラシュワン研究員は「イスラム過激派は必ず対米英テロを激化させる」と予測し、米国が抱える大きなリスクに懸念を持つ。
 新生イラクを中東に安定と民主化をもたらすものとして受け入れ、あるいは利用するのか、それとも超大国の押しつけとして拒否するだけに終わるのか。米国と同様に、アラブ世界自身が英知を問われている。
(カイロ 平野真一)
 
 
 
 
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