日本財団 図書館


2003/04/29 毎日新聞朝刊
[社説]統治と復興 日本占領はモデルになるか
<イラク戦争と世界>
 イラク問題の焦点は統治機構の行方と戦後復興に移った。米国では昨年10月ごろから、イラク統治のモデルとして第二次世界大戦後の日本占領が議論されていた。
 アフガニスタンのように暫定政府を樹立するのではなく、米中東軍司令官を総司令官とする占領政策だ。しかし、日本の占領政策とイラクの現状とは、似た部分以上に異なる部分が大きい。
 トルーマン米大統領(当時)は1945年9月6日に「初期日本占領方針」を承認した。初期方針では超国家主義的または軍国主義的指導者の公職追放、財閥解体など、政治・経済の非軍事化・民主化が打ち出された。
 同時に「占領軍は米国の任命する最高司令官の指揮下にあるものとする」と、米国主導の占領を打ち出した。他の連合国の反発で、46年2月に最高政策決定機関として極東委員会がワシントンに設置された。しかし東京の連合国軍総司令部(GHQ)はそれ以前に、憲法改正や公職追放などの重要施策を実施してしまった。
 イラクの戦後統治では、米国主導を貫こうとする米国と、国連の関与を求める多くの国々の主張がある。国連発足以前からの日本占領と、国連が国際紛争解決に実績を重ねてきた現在とでは状況が異なる。日本占領モデルが米国主導を意味するのなら、国際社会は米軍統治の正統性に疑問をもとう。
 初期方針は「日本国国民は米国および他の民主主義国家の歴史、制度、文化およびその成果を知るの機会を与えられ」と、日本の社会や文化まで欧米化する方針も打ち出した。GHQの機構図では、本来の占領政策を担う参謀部とは別に、幕僚部に民政局や経済科学局、民間情報教育局、天然資源局などが置かれ、対応する日本の行政部局を監視・指導した。社会や文化、教育まで変えるために、GHQは二重構造になったのだ。
 ブッシュ政権はイラクの民主化を掲げる。日本占領を非西欧社会の民主化モデルとするには、日本はまだ十分に民主的ではない。また、歴史や民族、宗教と無関係に国境を定められて独立したイラク社会の複雑さは、日本の比ではない。イラクの官僚機構への評価は高いが、行政機構を温存したまま占領政策に入った日本と、行政機構自体が破壊されたイラクとでは、出発点が異なる。部族的、宗教的対立がある社会を民主化する困難は想像を絶する。イラクの宗教や文化に対しては、日本占領以上の寛容さが必要とされよう。
 初期方針では、日本経済の民主化は求められたが、復興には無関心だった。しかし、日本占領が予想外に長引き、米国の経済的負担が過大になると、米国は日本に経済的自立を促すようになる。イラクでは、米軍は早期撤退を打ち出している。日本占領の教訓として、米国がイラク復興の負担から早期に離脱し、国際社会に負担を求めるのであれば、ますます国連の関与が欠かせない。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION