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2003/03/26 毎日新聞朝刊
[特集]イラク開戦検証 イラク戦争はなぜ避けられなかったのか
 
 イラク戦激化の様相が濃くなるにつれて、国際社会で「なぜ戦争は避けられなかったのか」の声が、再び強まり始めている。開戦に至るまでの「米英」と「仏独」の主導権争いや、そのはざまでの国連の苦悩は、国際社会と人類に、どんな教訓と課題を突き付けたのか。現場で取材した記者たちが報告する。
◆国際社会に深刻な傷
 ◇武力行使で一貫−−米国
 「我々は自らの自由を守り、他者にも自由をもたらす。そして打ち勝つのだ」――。対イラク軍事作戦開始を告げる19日(米東部時間)のテレビ演説で、ブッシュ大統領は米国民と世界に宣言した。国連安保理の武力行使容認決議を得るか、「決議なし」で有志の連合を率いるかの違いはあっても、「最終的に武力を行使してでもフセイン政権を転覆する」という米政府のスタンスは一貫していた。戦争を回避する責任はすべてフセイン大統領の側にあるという論理であり、米政府が自ら戦争回避に動くというシナリオは存在しなかった。同時多発テロ(01年9月)を背景に、「米国への脅威」に対する先制攻撃理論(ブッシュ・ドクトリン)を初めて適用した今回のイラク戦争は、その意味で米国が自ら仕掛けた戦争だったと言える。
 チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官ら当初から米単独のイラク攻撃を主張してきたブッシュ政権幹部の中で、カギを握っていたのはやはりパウエル国務長官だった。昨年8月、パウエル長官がブッシュ大統領に「国連を介した解決」を進言しなければ、イラク攻撃がもっと早まっていた可能性は否定できない。査察の早期打ち切りを求める政権内の圧力に抗して、数度の査察延長に柔軟に応じ、国際社会のコンセンサスづくりを優先させたのもパウエル長官だった。しかし、そのパウエル長官も、戦争自体を否定していたわけではない。むしろ必要とあれば有無を言わせない方法で目的を達成するという現実主義者の顔を持っていた。
 1月20日過ぎ、パウエル長官は態度を急変させる。米国の武力行使路線を激しく非難するドビルパン仏外相との確執が一因といわれた。パウエル長官の「チェイニー(副大統領)化」によって政権内は強硬論で足並みがそろった。湾岸地域への兵力展開も加速し、軍事行動不可避の状況が既成事実化していった。
 昨年11月ごろ、ブッシュ大統領が戦争によらない解決を模索しているといううわさが広がったことがある。「戦争でフセインの脅威を解決できても『普通の大統領』としか評価されない。しかし、戦争によらずに解決すれば『歴史に残る大統領』になる」というアドバイスを受けたブッシュ大統領が、間一髪の外交で核戦争の恐怖が回避されたケネディ政権時代のキューバ・ミサイル危機(62年)を研究しているという内容だった。しかし、現実にはならなかった。
 唯一、戦争を止められる可能性があったのは米国内の世論だったろう。開戦前としては前例のない反対運動の盛り上がりがあった。しかし、多数派を形成するには至らなかった。「戦争を始めれば米国民は大統領を支持する」という過去の実例が、最後にブッシュ大統領を強気にさせた。
(ワシントン河野俊史)
 ◇国際協調、実らず−−英国
 対イラク武力行使でブッシュ米大統領と歩調を合わせた英国のブレア首相は、米大統領の「プードル犬」とからかわれた。しかし、何もかも大統領の思惑通りに動いたわけではない。武力行使が不可避になっても国際社会の支持を取り付けようと、大統領に進言していた。
 ブッシュ政権はチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官らタカ派の影響力が強い。そこでブレア首相は、米国の中でも穏健派とみられたパウエル国務長官を動かして、大統領に国際協調路線を取らせようとした。
 昨年8月、チェイニー副大統領が米単独でのイラク攻撃を辞さない姿勢を示した。その時にも、ストロー外相は英ラジオで「パウエル長官はそんなことは言っていない」と述べた。ブレア政権がブッシュ政権内のタカ派を嫌っていることを示した発言だった。
 ブッシュ大統領は、武力行使に対する国連の承認を得る作業をパウエル長官やブレア首相に任せた。しかし、大統領にとっては言葉通りに、国連承認は「あればよい」という程度のものだった。国連での交渉が行き詰まった時、ラムズフェルド国防長官は、英国は参戦しなくてもよいと述べた。長官が大統領に代わり、国連承認を望むブレア首相に引導を渡したのだった。
 新しい国連決議がないまま米国とともに武力行使をすることに反対したクック英下院院内総務(閣僚)が、開戦が不可避になった17日に辞任した。クック氏は下院での辞任演説で「3年前の米大統領選挙でフロリダ州の開票ミスがなければイラク戦争は防げたと思う」と述懐した。
 クック氏は97年のブレア政権発足時から4年間、外相を務め、米国の政治家たちと深く交流した。クック氏は国際協調主義の民主党のゴア氏が当選していたら米国のイラク問題に対する強引な対応はなかったと感じているのだろう。
 英国は、米国と歴史的にも文化的にも深く結びついている。米国との緊密な関係を続けなければ国際的な影響力は維持できない。
 クック氏は「イラク戦争に反対するが、ブレア首相を責めたくない」と語っている。英国にとって、イラク戦争への道は、すでにフロリダの開票騒動から始まっていたのかもしれない。
(ロンドン岸本卓也)
 ◇拒否権戦術、誤算−−フランス
 フランスは、イラク問題をめぐり、国際社会で圧倒的な影響力を持つ米英連合に対抗するため、安保理常任理事国としての「拒否権」をフルに活用する戦術を取った。最終的にはこれが、フランスの誤算につながったといえよう。
 今年1月、ラムズフェルド米国防長官が、武力行使に慎重な仏独などを「古い欧州」とやゆした。さらに米メディアが仕掛けた「米国支持」の新聞の意見広告掲載が、仏独には一切相談がないまま、英国のブレア首相などを中心にして進んだ。「欧州の盟主である仏にとっては容認しがたい状況の中でイラクを巡る欧米関係が冷え込んでいった」(欧州連合=EU=筋)という。
 2月14日、ドビルパン仏外相が安保理で武力行使を批判して拍手を浴びた直後、フランス国民の8割以上がシラク仏大統領の方針を支持した。1000万人以上が参加したと言われた世界的な反戦デモや、2月の安保理議長国が、フランスの盟友であるドイツだったこともフランスの強気の「追い風」になった。
 しかし、拒否権が軍事行動の歯止めとして有効だった冷戦時代と違い、圧倒的な超大国となった米国には、もはや国連は絶対的な存在ではなかった。拒否権を派手に振り回せば、最後は米国の独走をあおるだけという、国際情勢の変化を読み切れなかった。少なくとも、フランスが、もう少し早く米国のかたくなな姿勢を真剣に受け止めていたら、戦争を避ける新たな努力の機会があったかもしれない。
 開戦翌日の21日、ブリュッセルでのEU首脳会議で、シラク大統領は、ブレア首相が提案した「戦後復興に向けた国連決議」を「時期尚早」と拒否した。仏外交筋によると、戦後復興が国連の枠組みによって行われることに反対したわけではない。「都合がいい時だけ国連重視を唱える姿勢を許せなかったのではないか」(同筋)という。
 イラクそのものの問題が原因ではなく、自らの複雑な政治背景によって欧米関係は悪化した。英フィナンシャル・タイムズ紙は「イラクとの戦闘に関係なく、欧米は深刻な傷を負っている」と評した。
(ブリュッセル森忠彦)
 ◇アナン事務総長、調整の動きなく−−国連
 2月14日、国連安全保障理事会でフランスのドビルパン外相が武力行使を批判すると会議場に拍手が鳴り響いた。パウエル米国務長官が険しい顔で「いつまでも査察を続けるわけにはいかない」と話しても、会議場は静まり返っていた。米仏の対立は決定的となり、安保理は完全に分裂した。
 その時点では、中立的な立場の人間が調整を図るしかなかった。それができたのは、おそらくアナン国連事務総長だった。アナン氏はすぐにブッシュ米大統領と会談し、彼のメンツを立てながら国際社会の動向、安保理の空気を伝えるべきだった。あるいはバグダッドに飛び、「反戦デモでは戦争は回避できない」「大量破壊兵器や関連資料を全部出すなど、劇的に態度を変えないかぎり、戦争は回避できない」とサダム・フセイン大統領に伝えるべきだった。
 しかし、アナン事務総長は目立った対応を示さなかった。この時期、欧州を歴訪し、シラク仏大統領と会談したが調整役を果たした形跡はない。むしろ「世界にはイラク問題のほかにも大事な問題がある」などと述べた。
 アナン事務総長はこの時期をはさみ、何度も各界代表や記者団から「いつバグダッドに行くのか」と聞かれていた。自分が何を期待されているかを理解していたはずだ。しかし、ついにイラクには行かなかった。
 今、国連記者団の間からはアナン氏がなぜ「大事な時に動かなかったのか」と指摘する声が相次いでいる。
 米英両国は2月24日、イラクが大量破壊兵器を廃棄する「最後の機会」を逃したと宣言する決議案をスペインと共同で安保理に提出した。フランスもこれに対抗し、ロシアやドイツと共同で査察の継続と強化の手段を定めた覚書を提示した。
 この時点では、態度未定の安保理中間派6カ国(パキスタン、メキシコ、チリ、カメルーン、アンゴラ、ギニア)の取り込みが焦点になった。しかし6カ国は態度を表明せず、米国との水面下の駆け引きに終始した。結局、シラク大統領が、武装解除期限を30日間とする短縮案を示したのは3月16日だった。
 なぜフランスはもっと積極的に英国と話し合い、妥協案を練り上げようとしなかったのか。なぜもっと早く、30日という具体的な短縮案を提示できなかったのか。中間派6カ国はなぜ、対案作りを急がなかったのか。
 あと数週間でも査察を延ばし、フセイン大統領に「最後の協力」を促すことはできた。圧力が必要なら、湾岸に展開している米英軍部隊の経費を国連加盟国が負担する手もあった。しかし、議論はなされないまま、ブッシュ大統領は16日の米、英、スペイン3カ国緊急首脳会談、17日の修正決議案取り下げと、開戦へのアクセルを踏み込んでいった。
(ニューヨーク上村幸治)
◆世界の現状を一層反映する安保理に−−明石康・日本紛争予防センター会長(元国連事務次長)(72)
 イラクの大量破壊兵器開発問題は国際社会が抱える共通の課題として、世界の人たちが協調すべきだった。核、生物・化学兵器は人類にとって脅威であり、その憂慮を米国が他の国民と共有する努力をすれば、このような突出した軍事行動にならなかっただろう。
 米国には国連をもっとうまく使ってほしかった。朝鮮戦争や湾岸戦争では安保理のお墨付きを得て米国は行動した。米国にとり国連は利用価値があるはずだ。国連に縛られるべきでないというブッシュ政権の考え方は、狭すぎると思う。
 国連は現在望みうる最も有効な国際機構だが、完全ではなく、一国の安全を全面的に委ねることが難しいのも現状だ。
 安保理では常任理事国5カ国が拒否権を持ち、1カ国が反対しても決議は成立しない。日本に引きつけて考えれば、北東アジアの安保問題を安保理の決定に完全に依存することができるのかという悩ましい問題も浮上する。幸い(北朝鮮の友好国である)中国とロシアは、北朝鮮の核兵器保有には反対しているが・・・。
 地域の有力国を常任理事国に加えるなど世界の現状を一層、反映できる安保理に改革していかねばならない。より完ぺきな世界の安保体制の構築に向け、その方向性を失ってはいけない。大量破壊兵器の不拡散体制の強化や核拡散防止条約(NPT)の運用強化などが重要だ。
 米国にいかに働きかけていくかも大きな課題である。ブッシュ政権は新保守主義(ネオ・コンサーバティズム)の影響が強いが、一方で、多くの国際協調派もいる。こうした人たちとの対話を常に持ち、我々の懸念や反対意見を伝え続けることが大事だと思う。
 今回、カナダの対応は示唆的だった。米国と軍事、経済面で密接な関係にあるが、国連で米国を批判し、独自案も出した。日本など米国の友好国は同盟関係を維持しながらも、親密であるからこそ忠告するという対応を身に着けるべきである。
 米国が進める「テロとの戦い」で、世界がより安全になるかどうかは、我々がどういう手を打つか次第である。テロの温床となる貧困や政治的な抑圧などマクロ面の問題にきちんと対応していかねばならず、米国だけに任せておいてはならない。
(聞き手・笠原敏彦)
◆欧州統合の前進、揺るがず−−オーストリア国際問題研究所、オトマー・ヘル所長(55)
 米国はブッシュ大統領の下では「ネオ・コンサーバティブ(新保守派)」と呼ばれる政権顧問たちが「イラクの大量破壊兵器がイスラエルを含む中東地域にとって危険であり、フセイン排除が緊急の課題だ」と主張。「フセイン追放」「政権交代」は、01年9月の同時多発テロ以前からの既定方針だった。また米国は経済など国内に多くの問題を抱え、国外に敵を作ることで国内世論を団結させる狙いも持っていた。欧州がどう動こうとも戦争は防げなかった。
 その背景となった米欧関係の弱まりの原因の一つは、旧ソ連が崩壊し、共通の「外交の敵」が消えたことだ。しかし、中東和平は米国だけでも欧州だけでも達成できず、両者は今も互いを必要としている。
 今回のイラク開戦で、「欧州連合の共通外交政策と共通防衛政策は壊滅した」との見方と、「欧州統合の過程は、危機にひんするたびに前進してきた」との二つの見方が出ている。私は後者の立場だ。
 北大西洋条約機構(NATO)についても、結束が弱まったのは事実だが、崩壊するとは思わない。ただ、今回の戦争がどう決着するかによって影響は受けざるを得ない。イラクの大量破壊兵器が見つからず、使用もされなければ米国の信頼性が低下する。
(聞き手・ウィーン福井聡)
 
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 ブッシュ大統領の対イラク「最後通告」後の19日、開催された国連安保理=ロイター
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 明石康氏
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 オトマー・ヘル氏
 
 
 
 
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