2003/03/26 毎日新聞朝刊
[社説]反戦運動 人類に戦争は不可避なのか
<イラク戦争と世界>
イラク攻撃をきっかけに、反戦運動が世界に広がっている。湾岸戦争の時にはほとんどなかった反戦運動に市民を駆り立てた背景は何か。
最大の要因として考えられるのは、今回の米ブッシュ政権によるイラク攻撃に、多くの市民が正当性を感じていないことだ。
イラクは現在、他国を攻撃しているわけではない。アルカイダなど具体的テロ組織と結びついている証拠も明示されていない。大量破壊兵器の存在も、はっきりわかる形で示されていない。
にもかかわらず、このまま放置すると脅威になりかねない。そんな「将来への危機感」を理由に、他国の領土に攻め込むことが許されるのか。
平和を訴える市民の胸に、そうした素朴な疑問がわき上がったのは間違いないだろう。
米国の側には攻撃に至る理屈がある。イラクがこれまで多数の国連安保理決議を無視し、武装解除に応じなかったというものだ。
だが、その論理は反戦を訴える市民を納得させられなかった。フセイン政権がいいはずはないが、それを考慮に入れてもブッシュ政権の決断には理がない。多くの市民がそう感じたに違いない。
ブッシュ政権の姿勢に、超大国の傲慢(ごうまん)さを感じた人もいるだろう。アカデミー賞の授賞式に見られたような、現政権を声高に批判できる米国の自由と寛容はあこがれの的でさえある。
その米国が、他国の世論や異なる文化に、なぜこれほど鈍感なのか。このままでは、強すぎる米国が独走するという不安を市民が抱いたとしても不思議はない。
反戦運動は攻撃そのものを止められなかった。一方で、仏など安保理の多数が米国に最後まで同調しなかったり、トルコが米軍の駐留を拒否した背景には、反戦世論の影響も大きかった。そこには政治を動かす市民の力が見える。
日本の反戦デモを見ると、政党など既成の組織が動員したのではない自発的な市民の参加が目立つ。特に、中高生などこれまでデモと無縁だった若者の姿が見られる。世界的にも政治への無関心が顕著だった日本の若者の変化を感じさせる。
反戦平和の訴えに対し、「理想主義だけでは問題は解決しない」という意見をしばしば聞く。確かに人類の歴史から見れば戦争が絶えることはなかった。20世紀は戦争の世紀だったといわれる。
しかし、だからといって、互いに殺戮(さつりく)しあうことでしか物事が解決できないのだとしたら、人類に未来はない。
毎日新聞の世論調査では、今回のイラク攻撃を「支持しない」人が65%に上った。そのうち8割までが「いかなる戦争にも反対」と答えている。
盛り上がった反戦平和の国際世論は、武力以外の方法での問題解決という理想を、人類があきらめることなく求め続けていることの証左と映る。
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