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2003/03/21 毎日新聞大阪朝刊
米英・イラク攻撃 米を国際協調の場に戻せ
伊藤芳明・東京本社編集局次長
 
 12年前、空爆下のバグダッドにいた。オレンジ色の光が糸を引くのが高射砲、間隔をおいて続くのがロケット砲。夜空を眺めているとそんな区別がわかるようになる。何分かに一度、真っ黒な地平が一瞬明るくなる。ドドーンという音が聞こえるまでの秒数を無意識のうちに数え、着弾点との距離を測る自分に気づく。ミサイルに直撃されたらという恐怖。逃げても無駄だという諦観(ていかん)。イラク国民は今また、あの時の恐怖とあきらめの中にいる。
 湾岸戦争からの12年間で米国は劇的に変化した。当時のベーカー国務長官は「世界の警官にはならない」と断言し、5カ月以上かけて国際社会説得に努めた。国連安保理の武力行使容認決議を取り付け、28カ国からなる多国籍軍を組織してイラクに対じした。そこには国際協調に軸足を置いた米国がいた。
 ところが今回、ブッシュ大統領は「国連安保理は責任を果たさなかった。だから我々が立ち上がる」と宣言し、有志の国を率いて開戦した。突出した軍事力、経済力、情報力を備えた「帝国」が「世界の警官」として犯罪者を取り締まるような高慢ささえ感じられる。
 80年代のイラン・イラク戦争以来、節目ごとにイラクに滞在し、内側から見てきた。フセイン政権が大量破壊兵器開発など、国際ルールを無視してきたのは間違いない。国民の恐怖支配は、これまで取材した独裁国家の中で際立つ。それでも、民間人の命を代償にする危険を冒してまで除かねばならぬほど切迫した脅威だろうか。国際社会が納得できる答えを、米国は提示できなかったと思う。
 国連憲章は、国家の戦争権に自衛のための戦争と、安保理決議に基づく戦争の二つの枠をはめている。20世紀の2度の大戦の犠牲のうえに立った知恵の産物だ。ブッシュ政権は、これに公然と挑戦した。国連ではなく米国が「脅威」かどうかを認定し、脅威となれば単独でも先制攻撃を行う先例を作った。思い通りの決議が採択されるのなら国連を尊重するが、そうでなければ無視する。これは米国が掲げる民主主義のルールに明らかに反するだろう。この戦争に正義があるとは思えない。
 米国にとり、フセイン政権を軍事的に圧倒するのはたやすいかもしれない。進駐する米軍をイラク国民は歓呼の声で迎えるだろう。しかし80年代を通じ、米国がフセイン政権を軍事、財政的に支援したことを、彼らが誰よりも知っているのを忘れてはならない。そこから生まれるのは、「いつまた裏切られるかもしれない」との不信感であり、それは反米感情に転化し、次なるテロの温床となりかねない危うさを秘める。
 最も傷ついたのは米国への信頼感ではないか。北朝鮮の脅威をにらんで、日本は日米同盟を優先し米国支持を鮮明にした。しかし周辺アラブ諸国の反対にもかかわらず、戦端が開かれたように、日韓が反対しても米国が北朝鮮への「先制攻撃」に踏み切る可能性が見えてくる。そんな不信を同盟国に抱かせてしまった。
 信頼感が揺らごうとも、21世紀の世界の安全保障は、米国を軸に構築するしかない。威信が傷つこうとも、多国間調整の場は国連に求めるしかない。皮肉なことだが、米国との確執で、国際社会が国際協調崩壊の危機意識を共有したことが、唯一の救いだ。米国も国際社会の協力なしにイラクの戦後復興が成しえないと気づいている。今は米国を国際協調の場に引き戻す努力を続けるしかない。国連憲章を生み出した英知に、もう一度期待したい。
 
 
 
 
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