米英軍によるイラク攻撃は異例で、21世紀の世界の方向を規定する可能性が大きい。世界が20世紀後半に作り上げたさまざまなルールの枠に必ずしも収まらない。だからといって否定して済むものでない現実がある。
考えなければいけないことが山ほどある。見る目によってこの戦争の意味合いは全く異なる。戦争といえるのかどうかさえ疑問符がつく。この困惑はどこからきているのか。おそらくアメリカの独走を結局はだれも止められない現実を前に、国民国家という現代の確固たる枠組みやそれを基本にした世界の枠組みへの信頼性の減退、世界同時に把握できる人々の意思と政府という存在の意思とのあまりもの乖離(かいり)、理不尽対理不尽の戦い、そんなものが底流にあるのだろう。
この戦争に賛否だけを唱えてもわれわれがこの先の世界を自分たちのものにできないのではないかと思えてくる。賛否論とは別に、さまざまな視点からこの戦争への主張をシリーズで検証する。
この戦争を「湾岸戦争エピソード2」と映像の世界と見事にダブらせた捕らえ方がある。深刻さを拒否し現象だけを的確に言い当てるIT(情報技術)社会の目を象徴している。その伝だとフセイン政権が国連決議を無視し続けたことに今回の爆撃の理由がある。しかし昨年でもなく来年でも来月でもなくなぜ今なのかは、ブッシュ政権がそう決めたからだ。
フランスがアメリカの妥協できない線で押し続けたことや、世界中で反戦デモが火を噴いたことが開戦を早めたのかもしれない。昨年9月から営々と30万人にまで軍を膨らませてきた米英の準備行動は世界の目の前で行われていたのに、そのことを直接やめろといった国も組織も聞かない。30万人集まってから使うなというのも歴史的経験からは相当無理がある。結局自分の都合で行動するのはアメリカに限ったことではない。
悪い側にいるはずのフセイン大統領に対して辞任要求するデモはなく、反米・反戦のデモだけが圧倒的に多かったのはなぜか。実利的に真に戦争を避けたいならフセイン辞任要求デモのほうが有効ではなかったのか。枠を越えようとしたアメリカに枠内にいては勝てないのではないだろうか。
開戦になったのはイラクが変わったのではなくアメリカが変わったからだ。今では2番目の追随を許さない一国だけ圧倒的に強いアメリカに世界は恐怖を抱き始めているのではないだろうか。もうだれも抑えられない強すぎるアメリカの行動は自己抑制しかないのか。だとしたらこれからどうやってアメリカが間違った場合それを正すシステムを実現すればいいのだろうか。
株や経済から見れば、どこも政府というものはどうして得にもならない乱暴を好むのか。何でもいいから早く終わってくれとしかいいようがない。そう見る世界は非常に大きいのだ。
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