2003/01/09 毎日新聞朝刊
[民主帝国アメリカン・パワー]第1部 イラクとの戦い/8 沈黙するリベラル
◇国を覆う言論自粛ムード
「国際人権デー」の昨年12月10日正午過ぎ、雪が残るホワイトハウス前の歩道。会社員のデービッド・バローズさん(55)が「(対イラク)戦争は国家のテロだ」と書いた厚紙を両手で持って、孤独な反戦運動を続けていた。すれ違った2人の中年男性が首を振りながら、吐き捨てるように言った。「なんでテロなんだ。わかっちゃいない」
バローズさんは一昨年9月の同時多発テロ直後から、昼休みの反戦運動を始めた。テロ以降の「愛国心」の高まりの中で、「殴ってやろうか」とバローズさんを脅す者もいた。「世界がなぜ米国に腹を立てるのか、国民は考えるべきなのに」。彼の声に耳を貸す通行人はあまりいない。
メリーランド大のウィリアム・ギャルストン教授が自戒を込めて「歴史の転換点」と振り返る日がある。昨年6月1日。ブッシュ大統領がニューヨークのウェストポイント陸軍士官学校で、「ならず者国家」やテロ組織の攻撃に対処する「先制攻撃ドクトリン」を発表した日だ。
核による先制攻撃も辞さない「戦争の新ルール」は衝撃的だったが、米国内では是非をめぐる論争が盛り上がらない。クリントン前政権の内政問題顧問で、民主党に強い影響力を持つギャルストン氏は、このドクトリンが国際法を逸脱していると考えた。「反論する責任がある」。そう決意して、有力紙ワシントン・ポストに反対論を寄稿、掲載された。
昨秋の中間選挙では、リベラル志向の民主党議員も対イラク戦への反対論を控えた。その理由を、ギャルストン氏は「湾岸戦争(91年)の悪夢」に求める。当時、民主党議員の多くが戦争に反対したが、戦争の結果は「大勝利」に終わった。ブッシュ大統領(当時)の支持率は90%を超え、民主党の反戦議員からは引退を余儀なくされる「犠牲者」も出た。「その失敗の記憶が民主党議員の動きを鈍くさせている」(同氏)というのだ。
米国では50年代に、多くの官僚や作家が共産党員の疑いを掛けられ、活動の場を奪われた。半世紀前のマッカーシズムと呼ばれる言論弾圧のムードを、今の米国社会に指摘する声もある。カリフォルニア大バークリー校のロナルド・タカキ教授が言う。「同時テロ後、知識人は政権批判をあまり口にしなくなった。イスラム教徒への嫌がらせを見て、自分も同じ目に遭うのでは、と恐れているのだ」
リベラル派が沈黙する米社会の現状は、ブッシュ政権内のパワーバランスにも反映される。勢いを増す保守層の支援を受ける「単独行動派」のチェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官に対し、「国際協調重視」のパウエル国務長官には強い後ろ盾がない。「おれは冷蔵庫の中に入っているようなもんだ。牛乳パックのように必要な時だけ取り出され、用がなくなればまた戻される」。パウエル長官はそう嘆いたという。
ラムズフェルド長官が部下向けに作った訓示集には「成功するには、ある程度、力ずくで物事を遂行する能力がいる」とある。その言葉通りに保守陣営は対イラク攻撃を声高に求め、新保守主義(ネオコン)の論客、ウィリアム・クリストル氏(クエール元副大統領の首席補佐官)のように、「パウエル長官はずっと冷蔵庫に入れておくべきだ。彼はあと1年で引退する」と不敵な予言をする人さえいる。
米国内のムードは太平洋を越えて日本にも伝わる。
小泉純一郎首相の外交諮問機関・対外関係タスクフォースは11月、「21世紀日本外交の基本戦略」を発表。この中で米国について「反対意見や異なる価値体系に対する寛容の精神が弱まりつつある。米国は圧倒的な力をもって抑えこんでいるが、そのために米外交の道義性が弱まる可能性もある」と、「力の外交」に疑問を提起している。
だが、外交現場を見ると、日本が米国にすり寄る場面が目立つ。12月の訪米前まで、石破茂防衛庁長官はブッシュ政権のミサイル防衛構想に慎重な態度だったが、ラムズフェルド長官との会談では、日本も「開発・配備を視野に入れて検討を進める」と表明した。従来の政府方針より踏み込んだと映る発言だった。
自由と民主主義を普遍的価値観として世界に広める米国だが、米国自身の民主主義も揺れている。
(「民主帝国」取材班)=つづく
◇先制攻撃ドクトリン
国際テロ組織や「ならず者国家」に対し、核兵器使用を含む先制攻撃も辞さないというブッシュ政権の安全保障戦略。ブッシュ大統領は昨年6月1日の演説で先制攻撃の概念を初めて示し、9月の「国家安全保障戦略」に明記。12月には「大量破壊兵器を使用する者には、すべての選択肢を含む軍事力で応じる」との新戦略報告を発表し、核兵器の使用に踏み込んだ。ブッシュ政権はイラクや北朝鮮などを脅威として名指ししている。
■写真説明
国務省での記者会見で厳しい表情を見せるパウエル国務長官=ワシントンで、加古信志写す
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