事例紹介
松山
丙保護観察所
保護観察官 山内新介
本人は、地域の不良集団の一員で、徒食生活、不良交遊の結果、本件に至ったものであり、徒食生活、不良交友に注意を要するケースである。
保護観察の決定があった1週間くらい前に骨折したことにより、通院しており、不就労状態が続いていたものの、特に不良交友は認められず、12月上旬から県内にある料亭に通勤を始めた。特に、調理士としての稼働経験はなかったが、以前より希望していた調理士の仕事に就いた。仕事を始めたものの、朝早く起きることに抵抗を感じ、10日くらいで店を辞めた。同月下旬担当者が「中国料理調理士養成プログラム」についての説明を行なったが、特に関心を示さないままに、翌年1月から、住居近くにある塗装店で稼働を始めた。しかし、1ヵ月くらいでその塗装店を辞めてしまう等就労が継続出来なかった。何がしたいのかはっきりと目標を持って求職活動をすること等指導していたところ、担当者がかねてより説明していた「中国料理調理士養成プログラム」のお世話になりたい旨申し出て、丙市内にある「中国割烹○○」での就労に至ったものである。同年4月初旬から○○で働き始めたことに伴い、丙市内のアパートに転居したが、同じ保護司の担当を希望したので、週1回の帰宅を条件に引き続き親許での保護観察継続となった。
本人の親許近くに住む友人Hも本人より1ヵ月くらい遅れ、○○で働いていたが、7月に店と揉め事を起こし、店を辞めることがあったので、雇用主に連絡を行い、本人の状況把握を行っていたが、特に問題なく経過した。
その後、雇用主に連絡を取ったところ、一時仕事を辞めるという話も出ていたものの、意欲的に仕事に取り組んでおり、親許における不良交友も絶てる結果となっている。
本人自身が、調理に関心があり、本人自身の意欲決定による選択と周りの温かい心遣い等が就労継続に至っているケースである。
愛媛県保護司 上甲満男
「Y少年の更生を祈る」
地域別定例研修会で「中国料理調理士養成プログラム」の資料を事務局の私から配布した。プログラムの対象は、「1号2号観察中で、中国料理調理士になりたい者」となっていた。その時点では格別興味もなかった。かねてより1号(短期)の対象者Y君が面接の中で、将来料理関係の仕事に就きたいと漏らしていたが、学校に入るか、料理屋に見習として入るか迷っていた。その頃職安で某料理店を紹介されて行って見たが10日間で辞め、某塗装店にも見習で入ったが長続きしない。次の来訪時には母親と一緒に来たので、行き当たりばったりの就職に問題があるY君のやりたかったのは料理関係だから、中国料理調理士養成プログラムの資料を渡し、家で良く相談しておく様伝える。
3月父親より先生の言われる中国料理をやらせたいのでお世話願いたいとの電話を受け、協力店で最も近い=丙市「中国割烹○○」=に電話を入れ、社長と面接の日時を約束する。この事は担当の保護観察官にも連絡して許可を得た。面接日当日は、Y君と父親と担当保護司の3名で丙市に行き、担当保護観察官の指示を受けて、=「○○本店」=を訪ねた。店長同席で社長から仕事の内容、店の方針等を伺い、店内を見学、採否については後日通知を受ける事で帰る。数日後採用の通知を受け、本社から10分程度の処に下宿も決まる。当分は見習生として給料は11万円、休日は週1回、勤務時間は9時半から11時、自由時間は2時間、昼・夜食は支給される。
その後Y君は週1回○○に帰り月2回担当者を訪ねる。多くを語らない性格ではあるが、確実に成長の跡が伺え、社会人としての自覚が身に付いている。唯一残念な事は、休日の帰宅中自動車で交通事故を起こし、短期から一般の保護観察に変更された事である。
養成プログラムに入って間もなく1年になり、両親にもやっと安心の様子が見える。Y君の幸せを祈って止まない。
丙市協力者
大岩行雄
「おはよ!」厨房の裏口から中をのぞき込みながら、今日はどんな表情で仕事をしているかしら、カゼはひいていないかしらと、持っている全ての神経を集中させて、今日も声をかけます。
2人の息子を成人させていながらも、初めて会った折の彼は、私には怖く感じられました。長い金髪、ズルッとしたダボダボジーンズ、肩をゆらしながら歩く姿。これから仕事を教えて下さいと言う態度には、とても見えないものでした。
しかしある日、調理場に落ちているゴミを拾ってゴミ箱に入れている姿を見た時、この子なら大丈夫。私達の手で、心で育ててみよう、そう思いました。
それから、遅いけれど、几帳面な仕事をしようとしている彼に、「あせらなくてよい」「コツコツやっていればいつの日か・・・」と言う事を話しながら、声をかける時はまず、名前から呼ぶように心がけました。
今ではなくてはならないスタッフの一人になっています。大勢の中でも、目が合えば必ず言葉を交す。少しカゼぎみなら、湯ざましを持って行って薬を飲ます。指にキズをした時は、絆創こうを張っておまじない。ちょっとした日々の触れ合いから、今では、彼女が出来た事まで話してくれる様になりました。
この子がいつの日か、今の私共の様に、義務と責任、そして情の交錯する中で、もがき苦しみながら周囲の人々をささえて行かなければならない年頃に到達した時、ふと「そういえば、今の自分は、あの頃があったから現在があるのかもしれない」と思ってくれる時が来れば、またその思いを、次の世代の若者達に向けてくれる様に成長してくれたなら、その時初めて、私共の責務が全うされた事になるのだと思っています。
その様な日が来る事を夢見ながら。祈りながら・・・。
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