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事例紹介
盛岡
乙保護観察所
保護観察官 芳賀俊春
 岩手地区の研修会・総会に出席した折、田村保護司から、担当中の保護観察少年を、中国料理調理士養成プログラムに参加させたいので、紹介してもらえないかとの依頼があった。どこで情報を得られたのか伺ったところ、保護司研修会の折、プログラムのチラシが配られたとのことであった。
 本プログラムについては、「更生保護」誌に紹介されたほか、会議等に出席した折にも説明を受けていたので承知はしていたが、実際のところどのようにして依頼を行うのか把握していなかったため、調べてから回答したい旨話をして帰ってきた。
 帰庁してから調べてみたところ、I県内には協力者がいないことがわかったが、田村保護司からは、本人は家を離れたがっているとのことであったため、協力者のいる甲保護観察所に電話し状況をきいたところ、以前依頼したケースがあり協力は得られるとのこと。また、連絡の取り方については、直接電話してかまわないとのことであったため、さっそくK氏に電話をしてみた。
 K氏からは、甲市での就労はもちろんのこと、I県内でも職場を探すことができるとの説明を受けた。そのほか、非常に親身に話を聞いていただき、良き理解者との印象を受けた。当職は、この結果を田村保護司に連絡するとともに、本人の人柄や気持ちを確かめるため面接したい旨申し添えた。
 本人と面接してみると、過去にいろいろ問題を起こしているものの、根は素直であり、意欲も窺えることから、これならやれるかもしれないとの感触を得た。就労地については甲市がよいとのことであったため、本人の希望を踏まえて協力者と協議することとして帰宅させた。その後再度K氏と連絡を取り、甲保護観察所を借用して面接していただくこととなった。面接及び履歴書のやり取りを経て後現在の職場を紹介していただき、無事に就労が決まった次第である。
 本ケースについて当職が最も留意したのは、本人・家族・担当者・協力者・雇い主と多くの人が関わるだけに、連絡連携に齟齬をきたさないよう意を用いたことである。このため、連絡が取れない場合は、平日・休日に限らず連絡を取る事を心がけた。人の繋がりは、人間の体内を流れる血液のようなものであり、循環がうまく図られていれば諸機能は順調に働くが、一旦止まってしまうと大事に至る。同じように、人と人との連携がうまく保たれていれば物事はスムーズに進んでいくが、一旦滞ってしまうと不安や懸念が生まれ、せっかく積み重ねた努力も水泡に帰してしまうおそれがある。保護観察官はその鍵を握っている存在であり、心せねばならないことと思う。また、本プログラムを少年処遇の一貫として機能させていくためには、真に意欲のある対象者の選定に努めるのでなければ協力者の方々に迷惑をかける結果となり、成果を挙げることができないと考える次第である。
 
岩手県保護司
田村恵子
 私が中国料理調理士養成プログラムについて知ったのは、地区保護司研修会の折、事務局長から「料理好きの対象者を担当の方は、保護観察所に問い合わせてください」と書かれた一枚のチラシを受け取ったことからだった。
 当時私は、A君の環境調整を担当していた。A君の家庭は、両親と姉・弟の5人家族だったが、本人と父親は極端に仲が悪く、このことが最も心配の種だった。
 親子不仲の原因は、本人が中学2年の時いじめに合い、不登校となったが、父親は、本人の気持ちを汲み取ることなく叱るばかりだったため、お互いの感情の交流はなく、しこりが残ったままの状態だった。
 A君は私との文通の中で、調理士になりたいという気持ちを伝えてきていた。このため私は、両親とも話し合い、その夢を実現させてあげたいと思ったが、父親は本人の事を職場の上司に話して了解を得ているので、当面は自分と同じ職場で働かせたいとの意向であった。調整の結果、本人も納得し、出院後は父親の職場で働くこととなった。
 仮退院後父と共に鉄筋工として働き始め、当初は順調に経過すると思われたが、些細な事から父とのいさかいが再熱し、その後本人は仕事を休むようになった。私は、何とか仲を修復したいと思い、父親とも話し合ってみたが、父親からは「一緒に仕事をしているとお互いの嫌な面が見えてきてうまくいかない。続けるのは無理だと思う」との返事だったため、別の仕事を探すよう指導することとした。
 やがて本人は、姉の知人の紹介でガソリンスタンドに就職し、夜勤の時間を希望して働き始めた。私は、夜勤は大変ではないかと問うと、本人からは「父親と顔を合わせなくても済むので好都合」との返事が返ってきた。しかし、帰宅が深夜になると通勤のバスもなくなり、母や姉に迎えてもらう事が度重なったため、さすがに家族の負担が大きくなり、結局やめてしまう結果となった。
 今後について本人の気持ちを確かめてみると、「このまま親元にいては自分がだめになると思うので、県外に就職したい」という。そこで私は、「当初の希望だった料理の仕事に就いてはどうか」とただしたところ、本人もその気になったため、両親の同意を得て調理関係の仕事を探すこととした。その時頭に浮んだのが「中国料理調理士養成プログラム」で、保護司研修会が開催された折来合わせた主任官に相談してみた。
 主任官からは、「調べて連絡する」とおっしゃっていただいたが、さっそく協力者の方と連絡をとってくださり、それから話がどんどん進んでいきました。私も責任上保護観察所での主任官面接と、甲市での協力者との面接に同行しました。まもなく就職先も決まり、出立に際して同行した母親からは、帰宅後「家庭的な職場を選んでいただき安堵した」と感謝の言葉を受けました。
 今回のことでは、誠意ある迅速な対応をしてくださった皆様に、心から感謝申し上げます。A君が大人になり、「昔の自分は・・・だった」と話してくれる日が早くくることを願っています。







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