事例紹介
甲保護観察所
保護観察官 齋藤誠弥
この事例における当庁(仙台保護観察所)の最初の関わりは、5月下旬の乙保護観察所担当官からの電話でした。東北管内には2名の協力者がいますが、共に当庁管轄の方です。
この電話は、当庁に協力者との接触方法を問い合わせるものであり、当庁からは協力者である熊谷富幸氏(パレスへいあん総料理長)を紹介し、当庁から協力者への連絡を行うとともに、同担当官から協力者に連絡することや今後の連絡・協力を確認しました。
5月末、当庁の一室において、遠方から同伴した少年の母及び担当保護司のほか、当庁の観察課長が同席する中、協力者の少年との面接が実施され、少年のプログラム参加に対する真意が確認されました。
そして、6月中旬、少年及び母が再び当庁に出頭し、協力者と一緒に中華料理店に赴き、店主の面接を受け、そのまま同店に住み込み就職(プログラム参加)することになりました。
このため、少年の保護観察事件は当庁に移送されましたが、少年は初回来訪で「仕事は面白い。今は一日中鍋洗いだが、中国料理調理士を目指す」と目を輝かせ、その後は仕事内容が鍋洗いに野菜カットやそば上げなどが加えられ、一歩一歩とプログラムを進むことで、精神的にもたくましくなる姿があります。
プログラム開始から4か月後、主任官が少年と面接をしました。少年は中国料理店関係者のボーリンク大会に参加した際に開会式であいさつをする協力者を見て、協力者が中国料理界の中心的人物であることに驚き、その時に直接声をかけていただいたことに感激したことを報告してくれました。
また、主任官から少年の状況の連絡を受けた当庁窓口の更生保護振興課長は、協力者に連絡を取り合うなど、多くの人々がプログラムの達成を見守っています。
宮城県保護司
濱田久晴
A君が、初めて来訪したのは、夏の盛りの7月末でした。約束の午前9時より一寸早く自転車に乗って現われました。どうしてこんな少年がという感じの童顔の中学生の様な少年でした。本人も「昔の顔と変わったと言われることがあります」と言いました。どう見ても少年院という感じではありませんでした。彼は中学生より俗に言う突っ張り始め、地域の暴走族と交友を重ね、原付バイクの無免許運転したり、喧嘩等を繰り返し、高校も夏頃には退学し、一時建設関係の仕事に従事したが、仕事に対して興味をおぼえず、3ヶ月程で退職し生活は荒れてきました。地元周辺で組織されている暴走族に加入し、窃盗、恐喝、道路交通法違反事件で少年院に入院となりました。仮退院後、鉄筋工、ガソリンスタンド店員等をしましたが、いずれも仕事に興味を持てず長続きしなかったのですということでした。その様な時に中国料理調理士養成プログラムに出合った様です。私は常日頃、自分に適した仕事にめぐり合う、というより自分に適した仕事はなんだろう、自分はこの仕事でやっていくんだという気持ちになる仕事を見つけるのに19才や20才では難しいと思っていました。初回の面接で私は感じました。彼はもしかしたら、そういう仕事にめぐりあったのかも知れないと思いました。「仕事は面白いです。中華料理の調理人としてやっていきます」と彼は言いました。中華の仕事に入り1ヶ月半が経過していました。「一日中鍋洗いをしているのです」と笑顔で言っていました。理解ある社長さん、並びに先輩方に囲まれ非常に良い環境にめぐまれた現場の雰囲気が伝わって来る様でした。それから1ヶ月後の来訪の時は作業内容が、鍋洗いに野菜カットが加わりました。
次回の来訪時は、それになにが加わっていくのか楽しみになります。やはり中国料理の調理人も一人前になるのには10年かかるそうです。でも急ぐことはありません。じっくり気負わず、確実に進んでもらいたいと思います。10年たっても君はまだ30前なのだから。中国料理の達人になることを祈ってやまない日々であります。
甲市協力者
熊谷富幸
A君、5月下旬、乙保護観察所の総務課長より電話で就労先、お世話の要請がございました。夢と希望を持って燃えている若者が私達の業界に入る決意をしていると言うことでございました。早速逢うことにしました。アポを取ったその日は、5月末、甲保護観察所で振興課長と共に面接をしております。印象としては、実に笑顔がよく、目の輝きのある若者であり私の問いにハキハキと受け答えをするなかなかの好青年、好印象でした。初対面でしたが、業界の厳しさ、競争の激しさ、修業時代の辛さを申して、覚えるより慣れることが最優先であり、心には辛抱と努力を根気よく継続すること、さらにその積み重ねであることを申しております。雇用してくれる店を探し、現在の料理店の佐藤社長に受けていただくことになって、6月上旬同店社長面接、店の見学と料理をご馳走になって、スタッフの話し、経営方針など伺って終了します。その後、社長と保護観察所の課長と密な連絡調整をして双方の合意で甲市で就労となり、6月中旬から住込就職しております。A君は翌日から仕事を開始しており、現在に至っております。過去4回面談をしておりますが最初の姿勢が全く変わっておりません。それだけに仕事にも、仕事場にも、また周りの仲間に、店の雰囲気にも馴染み先輩方からも大変よく面倒を見ていただき伸び伸びと働いております。社長からも日常の情報を取り寄せておりますが、初日から現在まで変わっていない気持ちと姿勢とのことでございました。最近では取り組む姿勢、さらに意欲的になって勇気を持って挑み勤務態度、業務内容もよくなって来ている。将来楽しみな若者であり普通の同年代の子供達と全く変わりないとのこと。最初の印象通りのままであり、人気者にまで成長しております。この先挫折も幾度とあることでしょうが、必ず乗り切れるところまで来ていると判断しております。私も慎重に接し見守って参ります。
甲市雇い主
「A君について」
日本中国料理協会東北地区熊谷先生の紹介により、6月下旬からお預りし7ヵ月を過ぎるところです。面接はなしで、本人の意志により、乙市から母親と一緒に来てその日から住み込みで働く事になりました。
朝は8時30分より夜9時まで働いています。月1回第4水曜日は保護司、濱田様と面談をしております。休日は、毎週水曜日で、映画を見に行ったり、買い物をしたりとごく普通の少年であります。仕事の内容は、調理助手。その日使う野菜類を切ったり、ギョーザ焼き、そばをあげたり、7ヵ月になりますので、上手にできる様になりました。今は、従業員達のお昼ご飯を自分なりに考え作っています。8名いる調理場の中で、みんなと仲良く仕事をしています。
1人の人間としては、まだまだ自己中心的な考えではありますが、これからの仕事の修業により、良い調理士になる事と思います。
|