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3 船舶安全法及び関係政省令
 
3・1 船舶安全法の成立と沿革
 我が国における船舶の安全確保に関する最初の規則は、火薬、硝石等の危険物をみだりに船積することに伴う災害の発生を防止することを目的とした「危害物品船積規則」(明治6年)であるが、この規則が、国において統一的な基準を設定し、これを遵守すべき義務を船舶所有者(船長)に課することによって船舶の堪航性及び人命の安全の確保を図ることを目的とした最初の規則である。
 次いで、明治17年12月に「西洋形船舶検査規則」(太政官布告)が公布されたが、同規則は、西洋形船舶について、国が定期的に検査を行い、これに合格した船舶に対し検査証書を交付することとしたもので、我が国における船舶検査制度の始まりであった。
 その後、同規則の適用を受けない日本形の船舶及び和洋折衷形の船舶についても検査の対象とするとともに、いかなる形の船舶にも適用できる構造及び設備の基準を設定する必要から、明治29年4月「船舶検査法」が制定された。
 また、船舶の安全な載貨の限度を示すための満載喫水線を船体に標示することは、貨物の積み過ぎによる海難を防止するため極めて有効であることからも、世界各国において古くからその基準について独自の立場で規制を行っていたが、我が国においても大正10年3月に「船舶満載吃水線法」が公布され、総トン数100トン以上の船舶で近海航路及び遠洋航路を航行するものに対し、満載喫水線の標示が義務付けられた。
 さらに、大正14年3月には船舶の遭難の場合における緊急通信手段の確保を目的とした「船舶無線電信施設法」が公布され、総トン数2,000トン以上の船舶及び50人以上の人員をとう載する船舶であって、近海航路及び遠洋航路を航行するものに対し、無線電信を施設することが義務付けられた。
 このようにして、大正末期には、「船舶検査法」、「船舶満載吃水線法」及び「船舶無線電信施設法」が相まって我が国における船舶の安全確保に関する法体系の骨格が出来上がった
 その後、上記の法律は根本的な改正は行われないまま年月が経過したが、昭和4年には「1929年の海上における人命の安全のための国際条約」が、翌5年には「1930年の国際満載喫水線条約」が締結され、我が国もこの両条約に加盟したことに伴い、両条約の実施に必要な国内関係法規を整備する必要が生じたことを機に、従来複雑多岐にわたっていた関係法規の整備統合を併せ行うこととし、昭和8年現在の船舶安全法が制定された。
 船舶安全法は、船舶の安全を確保するため船体、消防、居住設備等の施設の構造及び設備等について国際条約に準じて規制し、また、条約非適用船についても事情の許す限り高度の施設を義務付けた。同時に検査制度の合理化を図るため、造船所の注文を待たずに製造されることが一般的である船用機関、船体部品等について、備え付けるべき船舶の特定前の製造過程等において船舶安全法上必要とされる検査が受けられるよう予備検査の制度が設けられた。さらに危険物の運送及び貯蔵に関し必要な規制を行うこととし、これを受けて昭和9年2月に「危険物船舶運送及び貯蔵規則」が公布され、火薬類を火薬庫以外の場所に積付けて運送しようとする場合には、主務大臣の許可を受けるか、又は主務大臣の認定した公益法人(昭和9年3月(社)日本海事検定協会を認定)の検査を受けなければならないこと等が定められた。
 我が国が急速に戦時体制に入っていくなかで、昭和17年7月長さ50メートル以上の鋼船の検査の検査事務が海事省に移管、同年12年には、海上輸送力の増強対策の一環として「船舶検査ニ関スル戦時特例」が公布される等の戦時特例措置が講じられた。
 戦争の終了とともに、船舶の検査制度についても、戦時特例の廃止、行政民主化のための制度改正が行われ、昭和21年6月には戦争前の平常な状態にもどった。
 船用品については、船用品取締規則により船用品製造免許制度が採られていたが、昭和22年12月免許制度を廃止し、翌23年6月新たに「船用品型式承認規則」を制定し、船用品の製造者の自由意志により型式承認が受けられることとするとともに、型式承認品について検定の制度を導入した。
 昭和22年12月には船舶安全法の一部改正が行われ、船舶検査に関する事項を記録するための船舶検査手帳の交付制度、船舶所有者からの船舶の堪航性及び人命の安全に関する事項についての届出徴収制度が設けられた。
 昭和23年4月には、ロンドンにおいて海上における人命の安全のための国際会議が開催され、1929年の条約締結以後の技術進歩に適応できる条約として「1948年の海上における人命の安全のための国際条約」が締結され、我が国は昭和27年7月この条約に加盟した。
 この条約の加盟に当たり、同年6月船舶安全法の一部を改正して、無線設備の強制適用範囲を拡大するとともに、旅客船における火災の拡大を防止するための必要な防火構造等の基準を定めた「船舶防火構造規程」の公布等同条約に規定されている技術基準の内容を取り入れるための関係法令の整備が行われた。
 昭和28年7月には、船舶安全法の一部が改正され、従来同法の検査の規定の適用が除外されていた総トン数5トン未満の汽船等であって旅客の運送の用に供するものについても同法の規定を適用し、主務大臣が必要と認める時には随時検査を行うこととなった。
 国際的には、1948年の条約の抜本的な見直しの気運が高まってきたことにより、1960年5月ロンドンにおいて海上における人命の安全のための国際会議を開催し、「1960年の海上における人命の安全のための国際条約」が締結された。
 昭和38年10月には、同条約の国内法化のため船舶安全法の一部が改正され、300総トン以上500総トン未満の非旅客船で国際航海に従事するものに対し、新たに無線電信信号又は無線電話を施設することが義務付けられた。また、同時に、検査対象船舶の増加に対処して船舶検査の合理化を図るため、認定事業場制度の導入、予備検査対象物件の範囲の拡大が図られた。
 危険物の運送に関しても、各種産業特に石油化学工業の発展により、火薬類、高圧ガス等の危険物が大量広範囲にわたって船舶運送されるようになったこと、また、1948年の条約によって、条約締結国政府に対し危険物関係規則の整備を義務付けられたこと等により、昭和32年8月現在の「危険物船舶運送及び貯蔵規則」が制定された。
 特殊貨物の運送に関しては、硫化鉄鉱、亜鉛精鉱等の含水微粉精鉱を船舶にばら積みして運送する場合に、船舶の動揺、振動等の影響を受けて、精鉱に付着した水分が分離して表面ににじみ出し、積載した精鉱が泥状となって船内を流動して船体に傾斜を与えたための海難が続発したこと、1960年の条約により穀類のばら積み運送をする場合の基準が規定されたこと等により、昭和39年9月「穀類その他の特殊貨物船舶運送規則」が公布され、この種の特殊貨物運搬船の安全が強化された。
 昭和41年3月には、ロンドンにおいて1966年の満載吃水線に関する国際会議が開催され、「1966年の満載吃水線に関する国際条約」が採択された。同条約は、1930年の条約に代わるもので、船舶の大型化、熔接工作法の急速な進歩、鋼製ハッチカバーの採用等船舶技術の発展に即応した内容のものとなった。我が国においてもこの条約を受諾するとともに昭和45年5月に船舶安全法の一部を改正し、新たに近海区域を航行区域とする総トン数150トン未満の船舶、沿海区域を航行区域とする長さ24メートル以上の内航船、漁業練習船等について満載吃水線の標示が義務付けられた。また、同時に、新たに無線電信施設を設けなければならない船舶として、沿海区域を航行区域とする総トン数100トン以上の内航旅客船、沿海区域を航行する総トン数300トン以上の内航非旅客船等が追加された。
 昭和40年代に入ると、国内景気の上昇を反映した所得水準の向上、労働時間の短縮等によるレジャー人口の増大、海洋レクリエーションの活発化が進み、モーターボート、ヨットその他の小型船舶の普及が目覚ましく、また、漁場の関係から小型漁船の操業区域が遠距離化してきたことにより、これら小型船舶の安全性の確保が強く要請されるところとなり、昭和48年9月船舶安全法の一部改正が行われ、小型船舶のうち安全対策が急がれるプレジャーボート、遊漁船、遠隔漁場出漁の小型漁船等について安全基準が定められ検査が行われることとなった。なお、この改正により、新たに検査対象となる船舶の隻数は極めて多く、また、長さ12メートル未満の船舶は、特殊な構造等のものを除けば画一的に生産される傾向が強く、構造が比較的簡単であることから、昭和49年1月に日本小型船舶検査機構の設立が認可され、国の十分な監督のもとに小型船舶に関する事務及び型式承認を受けた小型船舶等の検定が同機構において行われることとなった。
 昭和47年11月には、国際運送における急速なコンテナリゼーションの発展に伴い、コンテナの荷役、運送時の安全性を維持するとともにコンテナによる国際間運送の円滑化を図ることを目的として、ジュネーブにおいてUN/IMCO合同国際コンテナ輸送会議が開催され、「安全なコンテナに関する国際条約」が採択され、昭和52年9月から発効した。我が国は、翌53年6月に同条約に加盟するとともに、コンテナの検査、監督及びその対象となる安全承認板の取り付け等について関係規定の整備が行われた。
 昭和49年には、ロンドンにおいて1974年の海上における人命の安全のための国際会議が開催され、1960年の条約以後の技術革新に対応するため、船体構造、機関、救命及び消防設備等について規定の整備が行われ、「1974年の海上における人命の安全のための国際条約」が採択され、同条約は昭和55年5月に発効し、我が国も同条約に加盟し、船舶防火構造規則の制定を始め、関係規定の整備が行われた。
 昭和51年末から翌52年初めにかけて、米国の沿岸でタンカーの事故が続発したことから、昭和52年3月米国は一連のタンカーの安全及び海洋汚染防止対策を打ち出し早急に国際会議で審議するよう各国に要請した。これを受けて翌53年2月ロンドンにおいてタンカーの安全及び汚染の防止に関する国際会議が開催され「1974年の海上における人命の安全のための国際条約に関する1978年の議定書」が採択され、同条約は昭和56年5月に発効し、我が国も同条約に加盟し、関係規定の整備が行われた。
 1988年11月に、海上遭難安全通信に関するSOLAS条約改正を目的とした国際会議が開催され、海上における遭難及び安全に関する世界的な制度をGMDSS(Global Maritime Distress and Safety System)と名付け、1999年(平成11年)2月1日より完全に実施することを目標としてSOLAS条約を改正した。
 これにともない、我が国でも平成3年5月15日無線設備に関し、船舶安全法が改正されGMDSSが平成4年2月1日から段階的に導入されている。
 小型漁船(総トン数20トン未満の漁船)の検査については、本邦の海岸から100海里を超える海域で操業する漁船の一部については昭和49年より検査が実施されていたが、昭和53年6月船舶安全法第32条の漁船の範囲を定める政令の一部が改正され、昭和55年4月からは本邦の海岸から12海里を超える海域で操業する小型漁船について検査が実施された。
 長さ12メートル未満の船舶は、その構造・設備が定型的かつ簡易であることから昭和49年以来「小型船舶」として小型船舶安全規則等に従い、日本小型船舶検査機構による検査が実施されてまいりました。
 しかしながら、この間の海洋レジャーの普及・活発化によりプレジャーボート等が増加するとともに、生産技術の発達により、小型船舶の量産化等が進み、その結果、総トン数20トン程度の船舶でも構造等が定型的かつ簡易なものが多くみなれるようになってまいりました。
 このような背景のもと、小型船舶の範囲を「長さ12メートル未満の船舶」から、「総トン数20トン未満の船舶」に変更するとともに、「総トン数20トン未満の船舶」の検査を日本小型船舶検査機構が行うことを内容とする船舶安全法の改正が、平成5年5月に行われ、平成6年5月20日から施行されております。
 また、放射性輸送物の運送に関しては、昭和50年1月原子力委員会が、国際原子力機関(IAEA)の放射性物質安全輸送規則(1973年版)に準拠して「放射性物質等の輸送に関する安全基準について」を決定し、所要の法令整備を行うよう勧告したことを受けて、昭和52年11月「危険物船舶運送及び貯蔵規則」の一部が改正され、放射性輸送物の海上輸送の安全基準の強化が図られた。
 さらに、原子力船の検査については、昭和53年7月原子力基本法及び核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規則に関する法律の改正により、原子炉の設置等に関する規制体制の一貫化が図られることとなり、運輸大臣が、実用舶用原子力船及び我が国に入港する外国原子力船について、炉の設置許可から検査まで一貫して規制することとなった。
 平成9年6月に、近年の船舶の信頼性の向上にかんがみ、定期検査の間隔を見直し、受検者負担の軽減を図ることを目的として、船舶検査証書の有効期間を現行の4年から5年に延長するとともに、有効期間の延長特例を現行の5月までから3月までとした。







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