木造住宅の現場と大工道具
木造住宅のものづくりの現場の変化を大工道具から見てみたい、と思っていくつかの下小屋などを見せてもらったことがある。
大工道具には宿命があって、いい道具程残らない。当たり前のことだが、良い道具は使いつづけ、やがて刃などが磨滅してしまうからだ。いわば鉛筆を最後まで使い切るのと似ている。職人たちが道具と身体が一体化するように工夫した道具たちがあまり残っていないのはその理由からだ。
昔、職人は道具を大切にした、という言い方があるが、これは当然のことで大切にしないと能率が低下し、賃金が下がるからだ。
この基本的な部分は現在も変わらない。ただ、能率を支えるための道具が変わったのだ。大工たちの現場は、様変わりしている。
実は、大工道具のメンテナンスに興味を持って、そのメンテナンス部分を担当していた目立て屋さんというのか、補修屋さんを探したのだが、東京近辺ではその姿さえ見えない。工務店などに聞いても、既に五年以上前に姿を消しているという。メンテナンス需要がなくなったのだ。ここからも大工道具に変化が訪れたことがわかる。
大工道具の目立てとは、鋸などのメンテナンスをする商売だが、大量需要が住宅市場に押しかける前は、実は目立て屋も少なかった。なんとなれば、道具は大工自身がメンテナンスしていたからだ。自分で鑢かけをして、メンテナンスをするのが常道で、いよいよ、となった時に「再生」策として目立て屋に持ち込んだ。
もちろん、変わったのは道具だけではない。木造住宅そのものが変わった。また、木造住宅を支える木材も変わった。杉、ヒノキといった柔木だけではなく堅木材も混在するようになっている。
杉、ヒノキの世界から木造住宅の現場が移行した、といえる。
また、大量需要に対応するために生産のシステム変換が行われた為でもある。
かつて、大工工事の現場が商いの現場でもあったことがある。道具屋の店先に変わるのだ。「道具屋でござい」と大工たちに声をかけて、様々な道具を見せる。その場に道具を置いて、後は割賦で支払う、というやり方だが、今や「道具屋」は極めて少ない。インターネットでも購入できるし、工務店がメーカーと直接やりとりをすることも多くなっている。
また、木造住宅の構造材加工の世界では機械プレカット率が5割を超えたといわれる。社寺大工たちですらプレカット材を使うことがある。
プレカットは実に合理的なシステムであるが、分業化が進行することで、ものづくりの基本的な部分である思考形態すら分業化しつつあるところに現在的な問題がある。誰が、一軒の住宅を構想し、その全体性を把握していくのか、ということだ。伏図を誰が書いているのか、という部分をみればそのことが象徴的に現れている。
それはともあれ、下小屋を見てみよう。木材も無垢のフローリング加工をしようとすれば、フローリング材は堅木材が多く、チークやカリンといった材はこれまでの鋸では立ち往生してしまう。勢いステンレス刃の鋸を使うことになる。
さらに超仕上げが導入されたことによって、腕に関わり無く鉋仕事が楽になった。最後はプレナーがけをすればよいので、何種類もの鉋を持っている大工は少ない。プレカット材によって鑿使い作業は圧倒的に減少した。それに穴彫り機も置いてある。
そして、現場では電動釘打ち機やインパクトドライバーによる作業となってきている。
ドライに考えれば、杉、ヒノキ対応の道具から万能木材対応になることで、道具が変わってきただけ、ということもできる。
墨壷も現場ではプラスチック製品が多い。鋸は替え刃。鑿すら替え刃がある。大工たちに話を聞くと、昔の工事では堅木材を使うと、その分歩増しできたけど、いまじゃそんなことはできない、という。であれば、大工たちの道具の風景が徐々に変わるのは当然のことだ。
伝統云々を言う人々はそこに神性を見いだしたいのだろうが、そうはいかない。現実のものづくりは、生産性(大工であれば、同じ仕事を早く美しく仕上げる)によって食える飯の量が違ってくるからだ。
でも、大工たちは秘蔵の道具も持っている。今や現場で使うことのない道具たち。何故と問うと、いつかこの道具を使うような仕事がやってみたい、というのであった。それを過去への感傷と見るか、技能者としての誇りの自己証明と見るのかは、判断が別れるが。
●文=野辺公一 text by Kouichi Nobe
1950年群馬県生まれ法政大学経済学部卒業
現在/(株)オプコード研究所代表取締役所長
『住宅と木材』編集人
住環境価値向上事業協同組合顧問
三州瓦CA研究所総合プロデューサー
道具学会理事・他
著書/『不思議の国の住まい』(彰国社)
『木造住宅産業その未来戦略』(彰国社)
仙台から南に高速を走ること30分。知人の家の前には広い田んぼが広がっている。「家の中に森をイメージした空間を作りたい」そういい続けてきた知人は、とうとう大工の棟梁と共にそのイメージした空間を作ってしまった。設計は役所の審査を通すためのもので、もちろん私が設計したものではない。この住まいに於いては設計者など要らないのである。腕のいい大工がいればそれで足りるのである。
家主の知人は棟梁と共にいろいろなところに木の使い方を見に行った。その中で感じ取ったと思われることは、木はどんな材種であっても使い方によって生かしもし、殺しもするということだと私は勝手に理解している。
現場に何度も工事を見に行った。その度に棟梁は、いろんな癖のある木をどう使ってやろうかと格闘していた。何せ150坪の建物である、棟梁の腕が止まると他の大工はする事が無く遊んでしまう。それでも棟梁は木とにらめっこです。それを横目で見ている知人は、じっと我慢をきめこみ棟梁に任せていました。知人も変わり者で、木を見て思いついたことを棟梁に要望するのです。棟梁と知人の知恵比べ、技比べのようでした。
棟梁は人のいい普通の大工で、時には高いところを怖がる大工らしからぬ人です。宮大工でもないし、高級住宅ばかり手がけている大工でもないのです。私の設計した住宅をここ数年お願いしている棟梁で、腕のいい大工仲間5人で仕事をしています。私はこの大工達と仕事をするようになって学んだことは、時間をかけなくてもいい仕事が出来るという事でした。棟梁が自分の仕事場で木材を加工し現場で寸法を合わせて組み立て、張り付けていくのです。実に効率よく手際がいいのです。やはりチームワークのなせる技です。
このような大工集団で造った知人の家は木材の展示館のようです。いろいろな材種の木材が使われているのです。この建物で使った材種は、ケヤキ・ヒノキ・マツ・スギ・桜・きはだ・クリ・なら・ブナ・かや・セン・ほうの木・イタヤカエデなどです。チップ材になるはずだった広葉樹を見事に生き返らせたのです。
知人は、宮城蔵王の自然の中でキツネを百匹以上も放し飼で育てています。絶えず厳しい自然環境で動物と向き合って暮らしているからこそ生まれた発想なのかも知れません。
玄関に入ると、天井まで10mはある空間の中に、木の姿そのままに階段の支えに使われたケヤキの丸太2本が目に飛び込んできます。まさに住まいの中に森をイメージさせています。
取り立てて銘木ではない材を大工の腕で見事に生き返らせている。普通であればチップ材として紙の原材料になる広葉樹が、知人のどんな材であっても大切に使いたいという木に対する思いと大工の腕に生かされ、木材は柱や梁に使われ第2の生を与えられているのです。
空間の中には、さまざまの木が使われているのに、少しも違和感がないのです。それは住宅といっても広い吹き抜けの空間が中心部にあるので、さまざまな木が自然にとけ込んでいるのかも知れません。
さらに建替え前に住んでいた家(築100年以上)の解体材や板戸なども手を加えられて使われています。居間兼客間には、解体前に使っていた建具が使われています。そのまま使うと高さが足りないということで建具にはかま(下駄)を履かせてはめ込んだということですが、それがちっとも不自然ではないのです。この建具も棟梁が造ったものでセンス・腕の見せ場でした。いたる所に仕掛けがしてあり、知人と棟梁の知恵比べのようです。
私といえば時々現場をのぞき棟梁にねぎらいの言葉と、時にはこの「階段の踊り場狭いんじゃない?」とか言って楽しませてもらいました。そして住まいは住み手が満足していればいいと妙に納得してしまうのでした。
*前回の民家の行方はまだ結論はでていません。長い歴史の中で生き続けてきたのです結論はまだまだ先でもいいのではないかと思っています。
●文・写真=早坂みどり text & photographs by Midori Hayasaka
設計事務所「住空間工房」主宰、シルバン発行・編集人 |