今後の活動について
講座の最終日、参加者それぞれに感想や・今後の抱負をかたってもらいました。
ここにその一部を記載します。
Aさん まだ子どもが立ち直ってないけれども、毎月、お母さん方と懇談するのを楽しみにしています。まだ相談に乗ってあげられる状態ではないけれども、将来、我が子がもっと元気になって立ち直ったら、他のお母さん方の相談に乗ってあげられるようになったらいいなと思っています。
現在、住んでいる地域の同じ悩みを持つお母さん方で「菩提樹」という会を作り、毎月一回話し合いの場を持っていますが、そこでは少し先輩ということで、いろいろなことで相談にのったりしています。病院に行ったり相談所に行ったりして、そこで言われたことで傷ついているお母さん方を励ましたりしています。
自分が経験したことを話して元気になってもらったり、もっと先輩に自分もアドバイスしてもらったりの会が続けられています。
電話で、相談に乗ってあげたり乗ってもらったりもしています。
Bさん 高槻の教文センターでお世話になっている不登校の子どもを持つ親です。三人の男の子のうち二人が不登校になりました。現在は二人とも通信制の学校に通っています。私は、「立ち直る」という言葉について疑問を持っています。
「学校へ行けていない」とか「アルバイト」しかしていない状態は、立ち直ったことにならないのでしょうか。考えがまとまりません。
また、教文センターにお世話になっている親たちでサークルを作って話し合いの場を持っています。そこでは、子どもたちの次の段階についての相談ができたりしていますが、我が子のことが少し落ち着いたら、「学級の誰々さんがずうっと学校に来ていない」などの話を聞くと、どういう形でその方たちをお誘いしたらいいか迷ったりしています。
Cさん 高槻の教文センターで相談員をしています。毎月1回「青年の居場所懇談会」も三ヶ所で開いています。清水さんは、その1箇所をお世話してくださっています。
今、私が関わっている青年の事でとても悩んでいます。その青年は、受験浪人を1年、就職浪人1年を経験後やっと就職が内定(先物の会社に)した時に、連帯保証人のことで父親に「そんなもの書けるか。」と言われたことから、就職を拒むようになってしまったらしいのです。ふだんから会話の少ない家族で、その青年はとても無口だそうです。4年ほど働かずに家にいますが、「お父さんとしゃべりたくない」ので、昼間は図書館に居るそうです。このケースのような場合、とにかく家族で会話ができるようになってほしいと思っているのですが、どんな助言をしたらよいのか判らなくて悩んでいます。
この青年は、赤面症もあり対人恐怖症もあるらしいのです。
Dさん 私も三人いる子どものうち上の娘二人が登校拒否で、高槻教文センターにお世話になっています。私の経験では、アドバイスをしていただくというよりもただ話を聴いていただく事で「ほっと」しているような気がしています。
高槻市には、「教育適応指導教室・エスペランサー」というのがあって、月・火・木・金の午前10時から午後3時まで開かれています。その中にも保護者会があって、つきに1回指導員の方や、先生方と話し合いをしますが、なかなか、気持ちが一致できにくいのが現状です。それで、親の会を別に作って、月に1回くらい集まったりしています。
そこには、小学生から中学生までの不登校の子どもを持つ親たちが集まっていろいろと交流しています。中には、卒業してもまだ高校へ行けない子どもを持つお母さんも来ておられます。高校へ入学出来たけれども、周りの子どもたちが他人の悪口を言っているのを聞いて、自分もいつ言われるかと思うと学校へ行けなくなったりしたお子さんのお母さんも来ておられます。そして、通信制に通っているという話しを聴いて、私たちもまた勇気をもらったりしています。
でも、それは交流会だけに終わっていると思います。学習指導要領への批判とかも出ますが、そこから先へは進みません。
それから、高校へ進学しなかったお子さんの働く場所のことも話題になります。アルバイト先の状況や親切な従業員さんがおられる話しも聞けたりして、とても参考になります。
共同作業所などもよく勧められますが、子どもにどのように紹介したらよいか迷います。見学させたりする方法があるかと思いますが、きっかけを作るのも難しいです。
Eさん 保育所に勤めています。作業所とか保育所とかが勤めやすいと思われていますが、職員どうしの人間関係も結構難しいものです。私の所でも、そういうお子さんが二人、アルバイトで働きに来ておられたのですがいろいろと困難がありました。そのうちの一人からは、何度も何度も相談を受けていました。
とても緊張する人で1年勤めるのがやっとでした。本人は保母さんに強い憧れを持っていて、続けたい気持ちがあったようです。次の年に更新するかどうか迷っていましたが、「むいているかどうかよく考えてみたらどうかな」というまわりのアドバイスで他の仕事を探すことにしたようです。今は、あまり人と関わらなくても出来る仕事をしていてとてもいいペースでがんばっているようです。
自分のペースで楽にできる仕事を見つけてがんばっているのですが、親は、「楽に仕事がしたいなんてなまけものや。」というそうです。
私の子どもも不登校でしたが、うちの子は、「立ち直るとか、立ち直ってないとかという見方は、今までの自分を認めてくれていなかった事になる。」と言います。「学校へ行かないこと」を選んできたのだという事を訴えます。
まだ二人とも学生なので、卒業してから先社会人になれるかどうかわかりませんが、学校へ行ったかどうかではなく、「自分で働いて自分で生きていくこと」が、人間として究極の目的かなと思っています。
岸真理子さんの話しの中に、「世の中で、自分に必要な部分を取り込んで生きていけたらいいなと思っています。」という所があって、とても共感しました。そういうふうな気持ちで我が子をみていったら、すごく楽かなと思いました。
今回、この講座に参加したのも、保育所の仕事はすごく忙しいので相談活動は出来ないかもしれないけれど、「子どもの見方」を学習して、今に仕事にも役に立てたいと思っています。保育所の子どもたちも抱えている問題は一緒なのです。
Fさん 私は、吹田で2ヶ月に1回交流会をしてきてもう10年近くなります。今回、この講座に参加して思っているのですが、相談員と、私のような交流会の世話人とは違うのではないでしょうか。相談員というのは、とても責任がある難しい仕事だと思います。交流会では、お互いが経験交流をしてきていますが、お互いに指導的な立場で発言することはないようにしてきました。私自身は、交流会には相談員は要らないのではないかと思っています。カウンセラーとして、1対1で秘密が守られる場所で話しを聴いてもらう時に相談員が必要かなと思っています。
大阪の「不登校を克服する会」も、96回を迎えていますが、そこでも、交流会に来てくださる大阪教文センターの相談員の先生が講演をしてくださいます。そして、後の交流会にもそれぞれ参加してくださるのですが、相談員の方が話しをしすぎる傾向があります。交流の場では、経験のあるお母さん方の話しを聴きたいので、相談員の方も一緒の立場で聴いていただいた方がいいと思っています。
私たちは、世話人が相談的な立場に立ったりはしてきていません。それでも、電話で相談を受けたりすることもありますが、その場合も、自分の経験を話すくらいにしています。そして、相談できる所を紹介するようにしています。
世話人と相談員と言うことで、私の中では整理できていないことがあります。
Gさん 私の子どもは、学校へは行かないけれども引きこもるのではなく出歩くタイプでした。そのことを、周りの友人によく話しをしていましたので、長年勤めているこの東区でも「大変な子どもを抱えているお母さん」ということで有名になってしまいました。それで、何かと言うと東に聞けというふうになっていって、今ではたくさんの相談が来てしまうようになってしまいました。
業界が商社なのですが、子どもを育てながらすごい職場で働くということは親もストレスが多いですし、子どもにも問題が出てくることが結構多かったように思います。
無責任だったかもしれませんが、私は、自分がずっと相談に乗ってもらっていたので、相談がくる度に了解も得ずに「石井子どもと文化研究所」を紹介しました。でも、相談できる所を知っている人がアンテナとなってたくさん居ることも必要なのではないかと思っています。
今回この講座で、不登校を体験した人の話しや、学問的な話し、学校現場の話しが聴けて、尚いっそう高いアンテナになれたかなと思っています。
我が子のことでは、いろいろ考えているうちは、まだまだ、だめだったように思います。信頼していると口でいっても心がそうでない時もだめでした。ほんとにこちらも頼っていくというか、お互いが信頼しあうようになって、相手も自然と私も自然と普通の状態でお互いに信頼しあったときに始めてお互いが解るようになったように思います。
それは、親と子の間だけではなくて、全ての事に言えるのではないかと思うようになりました。とても今は幸せです。
Hさん 私は、今の方に紹介してもらってこの講座に参加しました。
私の子どもは、学校で授業中に、熱した金のものさしを顔にあてられてやけどをさせられてから、初めは、顔に貼っているガーゼとかを気にしたり傷を気にしたりして学校へ行かなくなり、そのまま学校へ行けなくなってしまいました。
誰に相談したらよいか困っていたのですが、会社の人に相談したら東さんを紹介してもらいました。アンテナを高くしてもらっていたので、すぐに相談できてよかったです。
Iさん 私の息子は中高一貫性の学校へ入学しましたが、高校へ進学した頃から突然登校拒否が始まりました。いろいろ迷いましたが、大阪につれて帰りました。そのときの学校の対応には不満があります。学校カウンセラーとのセッティングの中で息子は権威ある人に対して拒否反応を示すようになりました。カウンセラーは息子に対して「猫で入ってきて、トラで帰るのか。」「なぜ学校のいう通りにしないのか。」と説教されたそうです。
その後、自宅で閉じこもったり、暴力をふるったりしたので、精神科に相談に行くようになりました。今は、大検を合格した後も、自分の進路を決められない状態です。
息子をみていても、いろいろな地域に仕事を支援するネットワークが有ればいいなあと思います。
Jさん 岸和田から来ました。娘のことで十年以上前から石井先生にはお世話になっています。私も相談と交流会は両車輪だと思っています。相談員の先生との面談はたわいのない話しで終わっていたように思いますがいつも気が楽になって帰ることが出来ました。自分が落ち着くことが出来たので、子どもも十分に自分を見つめることが出来たようです。
中学2年生の2学期には「自己退学哲学」というレポートをまとめました。それまでは「学校に行きたい、行きたい」と言いつづけていましたが自己退学と言うことで、学校と決別したようです。
その当時、私は娘の要望する通りに動き学校へも何度も足を運びました。校長先生にも家に来てもらいました。子どもの代弁者は親しかないと思いがんばりました。
それからじょじょに落ち着いて勉強するようになり、高校からは通学することが出来ました。
振り返ってみれば、相談員の先生方にアドバイスしてもらったり、交流会では本音で話し合ったりできたことで本当に助けられたと思います。
私自身、医療機関で相談の仕事をしています。不登校の前兆で頭痛・腹痛の子どもたちが小児科に来院し、検査で異常がない場合カウンセリングに回ってきます。そのとき娘の体験が非常に役に立っています。ドクターとの調整も学校との調整も出来ました。
職場で同僚から相談されることが多くなりました。私はいつも「親が落ち着いたらよい、必ず、克服できる、ボチボチとその子らしく」とアドバイスしています。親は自分の立場から休ませることに不安を持ってしまうようです。
その後、娘は高校受験の頃になって、「うちの親はえらいのんきやなあ」と言うようになりまして、受験の準備を要求するようになりました。高校へ行ってからも何度か苦しいときがありましたが、2年生ぐらいから勉強して、大学・大学院と進みました。
今回、この講座にも参加して、自分にも何か出来ないかと考えているようです。
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