4 社会とのつながりを進める
自立の過程―不登校の場合と較べて
学齢期の子どもたちの不登校・登校拒否の場合、引きこもり閉じこもりの状態に陥った子ども達が自立を遂げるまでに、その状態や要求にさまざまな変化があります。この状態に陥った要因、背景もきっかけも多様ですし家庭など環境も個別ですから対応が画一にならないことは言うまでもありませんが、彼らを支援する上で大まかなそれぞれの時期を区分し、それぞれの対応のあり方、支援の仕方を明らかにする必要があります。この点では多くの方の報告もあって、私には原則的なものがほぼ定まってきているように思われます。
第1は閉じこもりの時期、第2は引きこもりながらも自分に必要な範囲だけを動く時期、第3は何かを求め始める時期です。
青年の引きこもりについて言えば、私の相談では、不登校・登校拒否の延長としての青年が多く、彼らはそれぞれの段階を長い時間をかけて徐々に進みながら20代に入っているのです。しかし年齢が進むほど多く見られるのですが、それぞれの段階で立ち止まってしまい変化の見られない青年たちも存在するのです。中にはそれぞれの段階を、行き来する例もあります。こうなるとそれは自立過程の一つの段階とか時期とは言えず、この区分は、性格や引きこもり表現と言うことになり、この表現の違いを区分として主張される研究者や教育関係者や指導者も居られます。
第1区分は、不登場・登校拒否では苦しみもだえ荒れる前期と荒れは収まってしかし何もせずただに閉じこもっている後期とに分けられると思います。不登場・登校拒否の子どもでもそうですがこのような状態の青年の相談に来られる方は、ほとんど病院と関係をもたれています。ですから病院の診断を元にしながらいかに待つか、どう対応するかを相談しあうことになります。
第2や第3の区分の青年たちに何をどう支援するかが、ここが私たちのような相談員や居場所などを開いているものたちの仕事です。不登場・登校拒否では、社会へ出るための進路としての学校や職業が共通の要求として存在しますから、その準備のための学習や訓練に入りやすく、行動を起しやすいように思います。しかし学齢期を過ぎ、学業への要求がない青年には社会への方向が見えにくく、その意欲を育てる機会が作りにくいのです。
5 青少年の社会的自立 くるみの経験と構想
青年自立支援―三つの方向
青年の社会的自立を支援することを目的に、石井子どもと文化研究所くるみはNPO法人として発足することにしました。青年の社会的自立とは青年が社会に飛び立つことですから自立支援、それは青年と社会を結びつける事と考えています。青年が社会とつながる手立てとして私たちは三つの方向で取り組んできました。
第一は就職を最終目標にボランティアやアルバイトとして働きつつ集団になれ自分を取り戻す方向です。仕事をしつつ成長した実践報告はたくさんあります。自分を認めることが出来ず、集団になじめない青年にとって、私の相談では障害者作業所や共同保育などが優れているようです。しかし他にも個性に会った場所は当然あるはずで、花屋や焼肉店、スーパーのレジ係などで成長した例もあります。新聞配達や倉庫係、警備係など集団に触れない仕事から自分を取り戻す青年もいます。
この方向での働きかけは、は組織的に職場を求めることで、多くの職場が可能なように思われます。現に手伝いたいがどこに連絡してよいかわからないと言われる企業家の方も存在されているようです。少額でも礼金や賃金をもらえることはいっそう励みになるようです。
第二の方向は,社会的意義をもつ活動に参加することで生き方を定め意欲を育てて行く活動です。石井子どもと文化研究所くるみはこの4月1日から2週間ブライアン・ウィリアムズ氏の絵画展を行ない、会期中の6日の午後「ブライアンの目―筆を通して失われ行く日本の原風景を追う―」と題した講演を絵画を見ながら行う予定ですが、自然環境を守る運動や公害、リサイクルなども青年に呼びかけることを計画しています。過去には阪神震災でのボランティアで動き始めた青年もます。国外旅行や紹介で他国の方と知り合い動き始めた青年は私の相談でも10人以上はいます。
第三は音楽や絵画、趣味を通して自立を支援する方向です。英会話のサークルや絵画を習うグループで自信を取り戻すのです。しかしこれも個性的でメンバーの組み合わせもあってネットに夜確かな情報が必要です。
石井子どもと文化研究所くるみ主催の新春コンサートは今年で7回目を迎えました。文化や趣味の取り組みはどうしても個人的になりがちで小規模です。これはこれまで述べた二つの方向も同じで、引きこもり気味の青年にはそのほうがよい場合が多いでしょう。しかしコンサートはまったく違った活動形式を作ることが出来ますから、それなりの意味を持つことになります。引きこもっている青年の多くは音楽に関心を持っています。他の文化と重複しながらも相対的に多いと感じています。コンサートの良さは引きこもっている状態がどうであってもさまざまな形態で青年が参加できると言う点です。帽子で顔を隠し会場の隅からそっと覗きながら参加する事も友人を誘ってくることも出来ます。受付や会場案内、舞台で花束を差し出すなど表面に立つ仕事から控え室の準備など陰の仕事もあります。企画や準備の過程では閉じこもっている青年がインターネットで通信や案内を送ったり多様な仕事があるからです。
私たちはコンサートが相談に来られた方々と、青年の成長を互いに確認し励ましあう絶好の機会と見ています。
絶対必要な組織と居場所
これらの支援活動には、絶対必要な事が二つあるように思います。ひとつはこの活動を目的とした人々が集う組織です。もうひとつは青年の集う場所です。親も高齢になると、身体的な衰えと定年等の経済的な不安も高まってきます。人は働くものと言う意識は青年本人も強く自覚していますから見通しのない生活を続けている自分を苛みます。青年にとって家庭が安心の場にならないのですから、青年支援の大きな柱に居場所作りがあると私たちは考えています。場所は、固定してあったほうがよいのですが、都市ではこれが大変困難です。
風にのって 石井 守
コンサートの片隅で
研究所のくるみ新春コンサートは、今年1月アコーステックギターの押尾コータロー演奏会で7回目を迎えました。この取り組みは、当初研究所の資金集めが目的でしたが、回を重ねるうち、引きこもる青年の、社会への出口の役割を果たし、親たちには待つことへの確信を与える場となり始めました。
S君は、今年2月2日のコンサートで4回目の参加です。彼は高校入学後数日で不登校になり、すぐ母親に連れられて来ました。帽子を目深くかぶり、緊張を体中に発散させていました。それから2年彼は閉じこもりました。その後通信制の高校に入りましたが、「たまに学校へ行って、あとは部屋に閉じこもったまま」との報告でした。さらに2年が過ぎた昨年夏、コンサート会場の片隅で帽子のまま母親と座っていました。
今年の1月、コンサートの準備中です。母親から、「彼に何か仕事をさせてください。音楽のことなら何かするかも知れない」。それまでも何人もの青年たちが、コンサートにさまざまな仕事で参加していました。花束贈呈、入り口の切符切り、CD売りから控え室係りなど、それぞれの状態にあった役割があります。
彼は入場者へのプログラム渡しになりました。当日、入場が始まった直後到着し、ものも言わずに与えられた仕事を始めました。20分ほどすると疲れたのかふいと仕事を止めて、ソファで横になってしまいました。よほど疲れたのでしょう、演奏が始まってもなお横になっていました。ところが次の2月のコンサートにも彼は来たのです。まだ話しはしませんが、声をかけるとうなずいてこちらを見てくれました。
彼のことは当然その後の親の交流会で話題になりました。子どもを具体的に知って交流することは、討論が生き生きして、待つ確信を一段と強め楽しいものになります。
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