指導員養成講座に参加して
高田幸永
高槻文化センターでは“子どもの居場所懇談会”(主に親の交流会)を3ヶ所で、各々月一回行っています。時々合同で働いていらっしゃる方も参加で切る様に)日曜日に行います。
今回の講座には、いばしょこんでお世話して下さっている方や、会のお母さんも参加させていただいています。今回の講座を知るきっかけは阪口先生のチャットの中からでした。
最近、身の回りでも、不登校の年齢層が広くなり、大学生、社会人の引きこもりを知るにつれ、私自身の勉強不足で戸惑っている時にこの講座のことを教えていただき、タイミングがぴったりと合ったという感じです。
日頃、いばしょこんでお母さん達の苦労や思い、家庭での子どもとの対応の様子、家庭のあり方、お母さんの生き方のみなおし等、聞かせていただいています。
例えば
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「休んでもいいよ」と言ったら、熱も腹痛もおさまり、ほっとした顔つきでいるし、兄弟げんかもまたやめるようになった。(中学生) |
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中2、中3ではいじめられていて、子どもも親も毎日が針のむしろだった。今は遠い高校へいきいきと友達もできて行っている。 |
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3、4年のブランクのあと、通信制にかよい、“学校の先生になりたい”という希望をなんとかかなえてやりたい。 |
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通信制の高校へ転校し、行き始めたんだけど、朝4時頃に起きて登校の準備をしている。もう少し要領よくやってくれればよいが。 |
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もうそろそろ行動をおこすだろうと待っています。(20代半ばのお子さん、今までに1、2度充電期間を体験なさっている)等々 |
涙したり、明るくなったり、でも会の雰囲気は何時も明るさいっぱいで、私は元気をいただき、すごく勉強させていただいています。そんな中で、子どもさんがどんな風に考えていき、その時々に、どんな思いななのかのナマの声をもっと知りたいという思いを持っていました。今回、それぞれの方にから具体的なお話しが聞けてうれしく思います。
家族関係の中で、また、他の人間関係の中で、本人がどう気づかい、心を痛めているかなどの様子が、それぞれの立場から聞けたこと。また、“自分の気持ちのこの時に鉄道の写真を撮る誘いがあった。その誘いが3ヶ月早かったら行ってなかっただろう”はすごく揺さぶられるものを感じました。よく登校をうながす時期に迷われているお母さんがいらしゃりますが、本当にタイミング、チャンスって難しいものですね。
それを、めまぐるしく動いている今の社会情勢を私共親がたえず把握して、我が子に接する必要があるのではと思い、より多くのお母さん方とも今後話し合って行きたいと思っています。
ありがとうございました。
青少年自立支援相談員養成講座に参加して
ゆったりした時間と懐を
―どの子にとっても必要な視点―
谷 昌子
子どもに現れているひきこもり、不登校、いじめ、非行などが問題になってから久しいですが、私の塾の子どもたちがそうした諸々を抱えてくるようになり、親からも始終相談を受けるようになったのはここ二年ほどでしょうか。
今までの自分の蓄積だけではもう追いつきません。勉強をし絶えず取り込みをして対応できる力をつける必要を痛感していましたし自分なりにいろいろ取り組んでいたそんな時この講座のお誘いを受けました。研究者からの立場からと、体験者の立場からと言うこの組み合わせは、一つのテーマを両側面から捉えられるという点でとても良かったし、全体的な理解に大変役立ちました。
特に体験者の話は、本で読むのとは違い、赤裸々で、率直に心の葛藤や苦しみを乗り越えていく経過などが語られ、じかに強く訴えてくるものがありました。悩みを抱えてきた人の心を、内側からいくらか理解できたように思えました。
日常さまざまの問題を持ちこんでくる子どもたちと接している私にとって、このことは大きいことでした。分かっているつもりが本当のところで分かっていなかったもはっきりしました。
第三回の橋本美佳さんの話の中にあった「『これでも生きていけるかな』と、思えるようになるまでの時間を周りの人も見ていて欲しい。それは無意味な時間ではないのだから。」という言葉と、第4回の内山登さんの話のあと『子どもの自主性、意欲を引き出す為には何が大事なのか。』という獏とした私の質問に対して、即座に返った「子どもたちとゆっくり付き合うことです。」という答えが私の中に強く残っています。内山さんの答えは、あれこれでない肝心なことをずばり指摘されたようでした。「ゆったりとつきあうことが、今、どれだけ子どもの心を落ち着かせ、豊かなものを蓄えさせられるか、大人とのじっくりした関係を作ることが出来るかを考えました。表面的でない子どもの内側を知るためには、ゆったりとした時間と懐が必要なんだということも思いました。これからもぜひこうした講座を継続して開いて欲しいです。そこで学んだことを塾の子どもたちや親たちとの関わりの中に生かしていきたいと思います。
普通に学校に行き塾に来ている子どもたちをみる視点としても大切にしたいことです。
中断してしまった教育懇談会も少し形を変えて、親塾のようなものでやれないかなと考えています。
大人たちが深く感じ取らなければ
―子どもの生き方とかかわり深い学校教育―
原 多美(仮名)
今回この講座が開催されることを知って、誰のためと言うよりも自分のために参加したいと言う思いが強くあった。体験者の語られる生の声は、子どもの側から観る親の姿と言う点で、また私自身のことを見つめると言う点で有意義であろうと思った。もし私が現在の日本社会に学生時代を迎えていたら、不登校あるいは病気になっていたかもしれないなあと思いながら高山参加させてもらっている。まだ私の学生時代には社会はこんなに情報過多ではなく、高度経済成長のもとで失業の心配もあまりなく学歴社会、終身雇用という「こうしたらこうなる」という、漠然としたものでも将来に対するレールがひけた時代だった。今頑張っておけば後は約束され安心といったような、自分なりの将来の展望が持てた。「根性」とか「努力」という言葉のもとに、自分が本当はどうしたいのかと追求することもあまりなく、周囲の声に従っていればそれなりによかった。これがいつか、回りの声に応じなければならないという考え方が習慣化してしまったように思う。学校には人並みに行って当然と思って育ってきた私たち親世代が、日本の社会構造の変化が子どもや学校にこんなに大きく影響しているのだと言うことを、今本当に知っていかなければいけないと思う。
こういう日本の現状で、本当は本人が何をしたいか何を望んでいるかをあまり考えず、「こうあるべき」と言う雰囲気の中では、敏感な子どもほどありのままの自分を出せず、つい周囲にあわせてしまって息苦しくなってしまうのは、むしろ当然ではないかと思う。政治的経済的にこれだけ社会が変化し、忙しい世の中になっているのに解決の糸口も見えない。
物やお金にどれだけ恵まれても、いやそれだからこそ、本当の幸福感とか満足感は得られないのではないか。ひょっとして地位や世間体とか、方向違いの大人たちの頑張りが子どもたちに圧迫感を与えていないだろうか、子どもを窮屈にさせ、子どもの負担になっていないだろうか。子どもに自立を願っていながら、他方で子どもを依存させることで親としての存在感を確かめていないだろうか、など体験を聞きながら切実に考えさせられた。
また印象深く残ったこととして、「思い込むこと」の大切さである。これは特に、不登校の子どもの親が、周りの方々の助言でより一層不安を膨らませ、動揺してしまう場合が多い。「子どもの怠け」「親の甘やかし」など雑音が多い中で、この「信じる」事を決して忘れてならないと思った。そして「人間は何度もつくり変えられるのだ」と言う言葉は私に勇気を与えてくれた。
プロセスよりも結果が重視され、評価をいつも意識させられている。効率優先の世の中では余裕はないが、強制や命令されたりの行動は、自発的にやれば楽しめることでも、苦痛にしかならないと思う。自分で発見したり挑戦したりしてこそ、子どもは面白さを覚え、新しい事をやろうと言う気力を高め、粘り強さを発揮するのだろう。これでこそ充実感を持つことができる、これが自己肯定感だと思う。大人が操作しすぎたり、マニュアルの中で子どもを育てようとすれば、その意欲はだんだんなくなるだろう。
しかしこんな状況の中で、自分から動けるように、自分から出発できるように、その子本来の力を発揮できるようにするにはどうすればよいのだろうか。
そのひとつに子どもたちの居場所づくりについて述べられたが、実に大きな役割を果たしているように思った。「ほっとする」安心できる空間、「ほんわかする」陽だまりの中にゆったりした自分がいるというイメージの持てる子供時代を、今の子どもたちはどれほど過ごしているだろうか。こんな時代だからこそ、ありのままの自分が出せる、自分の感情が自由に出せる、いい子でなくてもよい、そういう人間関係が結べる場、ゆったりと時の流れる場が不可欠なのだと思う。
こんなに根深く学校教育の問題とかかわりあっていることは私の想像以上だった。今回の講座で、深刻な問題だと痛感した。一方的な命令、強制、指示などの大人からの押し付けから動けなくなってしまうのは、人間として人間らしく亜地帯と感じる子どもにとって、自然なことなのだ。これは子どもたちが大人に警告を発しているのではないかと、つくづく考えさせられる。
このゆがんだ社会の中で、いかに子ども本来の力を発揮できるようにするか、七転び八起きしている子どもの姿を大人たちが余裕を持って見守ってやれるか、大人の知識で子どもの興味を奪ってしまわないようにするには、などなど大人が深く感じなければ子どもたちの明日の幸せは信じて行けなくなる。子どもの人生の主人公は子ども自身なのだということを、この機会を通じて心に刻み込んでいかなくてはと思った。
風にのって 石井 守
北の大地に遊ぶ
30代のはじめまで北海道で過ごした私には、新学期が始まると決まって、見渡す限り真っ白だった石狩平野が黒ずみ緑が広がるにつれて、その地平にそびえる墨絵のような山なみがだんだん明るい青に変わる風景を思い出します。
もう7年も前の話ですが、C君は高校1年1学期の中間テストが終わったすぐ学校へ行くことが出来なくなりました。母親が彼とともに相談に来ました。彼は自分の気持ちを素直に述べることが出来る気力を持っていました。今の学校にこだわらなければすぐ元気になると思う、と述べたように思います。研究所を利用しながら独習を始めた彼と、いろんな話をしました。北海道の話は彼の興味をそそったようでした。私が郷愁を込めて熱っぽく語ったのかもしれません。彼は自分も北海道を見たい、そこで自分の力で生活してみたいと言い出しました。学習は意欲や関心の上に成り立つもので、その経験はきっと大きな役に立つだろうと私は語ったと思います。
オホーツク沿岸に雄武(オウム)という漁業の町があり、ここは私が新卒で勤めた道立高校の校区でした。そこで加工業を営んでいたH氏に頼んで住み込みで雇ってもらいました。彼はその夏2ヶ月あまりそこで働きました。帰ってからの彼は、母親が中学時代のよく勉強したころに戻ったと評したような生活を始め、大学に進みました。
同じように高校に入って不登校になったKさんは、動き出せるようになるとすぐ、北海道の私の母のもとへ2ヶ月ほど行きました。そこは石狩湾沿いの小さな漁村で、母は檀家の数軒しかない破れ寺で一人暮らしをしていました。帰ってからの彼女は以前のように積極的で明るくなりました。定時制高校で生徒会長をして、今では専門学校で活躍しています。
特定非営利活動法人(NPO)石井子どもと文化研究所くるみ
定款抜粋
(目的)
第3条 この法人は、不登校・登校拒否や引きこもり、さまざまな障害などで社会的自立に苦しんでいる青少年の社会的自立を支援するために、以下のような様々な支援体制を計画実行することを目的とする。
(1) |
青少年への対応を相談する。また、相談員を育成しその力量を高める取り組みをする。 |
(2) |
遊びや学習、社会的参加など青少年各自の要求や希望をくみ上げ、自立の力を高める。 |
(3) |
青少年の社会的自立支援の意義を広め、支援の輪を大きくする。 |
(4) |
コンサートや展覧会を開催する。 |
(5) |
諸外国との教育にかかわる交流を図る。 |
(活動の種類)
第4条 この法人は、前条の目的を達成するため特定非営利活動促進法・第2条別表に基づく活動を行う。
(1) |
第2号 |
社会教育の推進を図る活動 |
(2) |
第4号 |
文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動 |
(3) |
第8号 |
人権の擁護又は平和の推進を図る活動 |
(4) |
第9号 |
国際協力の活動 |
(5) |
第11号 |
子どもの健全育成を図る活動 |
(事業の種類)
第5条 この法人は、前条の目的を達成するため、次の特定非営利活動に係る事業を行う。
(1) |
教育相談 |
(2) |
学習会や交流会 |
(3) |
労働体験等の社会参加計画 |
(4) |
不登校等の要因と対応についての研究 |
(5) |
関係団体が開催する研究会・交流会への参加 |
(6) |
視察・体験の旅行の開催 |
(7) |
文化行事の開催 |
(8) |
シンポジウム、講演会、セミナーの開催 |
(9) |
冊子等の発行 |
(10) |
その他この法人の目的を達成するために必要な事業 |
青年の自立支援めざし多数の方々のご入会とご支援をお待ちしています。
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