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D. 学校(先生)の問題と登校拒否の子ども
 登校拒否の児童生徒は学校から疎外されているという指摘が時にあります。具体的には交流会で父母とりわけ母親から提起されることが多いのです。しかし、それは学校・教師の対応が学校で統一されていない、登校拒否・不登校についての教職員間で共通認識がなされていないか不十分だと考えています。私などの経験からいっても、親が指摘するような認識しか持っていない教師もかなりいらっしゃるのです。それにはいろいろな理由があるでしょうが、上述のような登校拒否の児童生徒のことが分かっていない校長先生は別として、一般的に分かっているのでしょうが、本当に理解しているのだろうかと疑ってみたくなるような先生もいます。私が遭遇した経験からいっても、こんな実情があるだろうと思います。私は教育課題にならないことに疑問をもっています。おそらく、職場の歪んだ管理体制の結果、「モノを言わない」教員の増加、「モノが言えない」学校が増加しているのではないかと危惧しています。それは職場の民主主義の問題もありますが。具体的には教職員の多忙に現れています。
 学校にこない子、教室で先生や友だちに意思表示がうまくできない子、友達の少ない子などにかかわっておれないのが実情だろうと思います。ここにも先生の「ゆとり」が求められるのですが、その「ゆとり」さえ奪われ、子どもも先生も苦しみを引きづっているようです。このような実情のなかから「あすなろ」の発行を思いつきました。
a. あすなろ―私たちの育ち合い―
発行所: 「ひるぜんこども教育・文化研究室(所)」
発行責任: 親と子の教育相談室
発行日: 隔月発行
正式名称: 「あすなろ」―私たちの育ちあい―
  親と子の教育相談室の交流を目的にしていますが、きのこ会の実質的な交流紙となっています
2001年1月、0版発行しまして、通算6号、現在5号を発行しています。
配布数は80部で内訳は下記の通りです 。
配布地域: 岡山県北部−真庭、久米の各郡、津山市とその周辺町村に50部
岡山県南部−和気郡、岡山市に5部
大阪府下・大阪市、鳥取県倉吉市などに20部
配布先: 登校拒否の親、学校、教育関係の研究所、大学教授、地域の関心ある人(保護司、教育委員、元教員など)
協力者: 研究所員三人が編集委員 原稿集め、タイプ、編集印刷など
原稿料: 原則として無料でお願いしている(例外はある)
誌価: 無料
経費: 印刷、郵送料などはカンパを訴える、講演料、交通手当などから、不足の場合は個人(福原)負担の予定、現在のところ1回の発行で約6000円必要
E. 私の学校訪問と教職員との交流
 私はなぜ学校(先生)を訪問するかの理由を次の3つのことをあげておきます。
(1) 子どもは本来、学校に行きたい勉強したいとの願い(意欲)をもっている
(2) 登校拒否、不登校、いじめなどの問題で教職員との理解が得られる
(3) 学校の実情を少しでも知ることは登校拒否のこどもの理解の助けになる
(4) 先生と親の共通理解が可能になるため双方の意志疎通ができることを期待
 私の経験では大変困難で前途多難を思わせる事態に出あったたことも何度かあります。しかし、多くは共通して歓迎されています。もっとも相談員として訪問するわけですか手前勝手なお話は許されません。最初は子どもの状況を把握する程度になりますが、しだいにお話しができるようになると私の方も若干の問題について発言します。登校拒否の初歩的な理解で誤解されている先生もいますので、適切なお話しをするように努力しています。また、質問はどうしても子どもとの対応や家庭訪問の方法など具体的なことに及びますが、私はそれらについては学校や先生の問題でありますから答えることはほとんどありません。それは学校の先生自身が苦労してもらわないといけないのです。登校拒否の子どもの場合と普通に登校している子どもとは、対応のし方も受け取り方も同じように判断して対応することではないのです。先生が子どもそれぞれに適切な対応をする工夫がなされるよう訴えています。
 先生は登校拒否の子どものために家庭訪問を毎日しているのに子どもは玄関にも出ず会ってもくれない。顔を見ても愛想もない。こんな事情も聞きます。一週2〜3回の訪問の方もいますが、ほとんど顔を見せない担任もいます。私は、先生が子どもとの関係をよくするために、何をどうしたらよいかを考え工夫することが大切だと思います。学校(先生)が登校させることを目的に家庭訪問するのであれば、多くは好い結果をもたらさないのではないでしょうか。私だったら子どもの状態に合わせる努力と工夫をします。こんなとき、私は先生たちに決まっていくらかの事例を紹介することにしています。
(事例は割愛します)
<夫婦で交流会の出席を>
 私たちは登校拒否の子どもに関わらず「子どもの心を聴く」ことから教育が始まるのではないかと思っています。私は登校拒否の子どもと親に関わって圧倒的に親(保護者)との相談活動がほとんどです。その上、母親の相談が大部分です。交流会に来られる方も母親が多いいのです。どうして父親の出席がないのかと、「不思議」に思っています。交流会はほとんどが土曜日、日曜日、祭日なのですから父親の参加を期待しています。家庭での子ども教育の責任は母親だけではありません。父親の出番だってあるのですから、とりわけ登校拒否の子どもの場合は夫婦の協力が必要になります。なぜかと言いますと、現代社会ではいろいろな問題が山ほどありますから「学校へ行く」ことに大人の期待があります。「学校不必要」論が時に出ることがありますが、一般的には理解が得られないし通用しないように思います。そのせいもあって夫婦が是が非でも登校を強要するため、親子関係の矛盾が激化するのです。したがって、登校を焦ることよりも子どもの自立をどうするかを考えなければなりません。現実に子どもが不登校・登校拒否で家に閉じこもっている場合、そのまま放置することは許されないと思っています。私は「『無関心』の『関心』」という考えと実践をもっています。
 以上の意味あいからでも登校拒否の子ども、登校拒否問題の経験者、親(保護者)を中心に医師、カウンセラー、教師、相談員などの専門家を交えての交流は効を奏すると思われます。もちろんこれらの方々がすべて揃わなければならないということではありません。必要(要求)に応じてお招きするとよいでしょう。
 登校拒否の子を持つ親は孤立するほど、子どもも孤立感をもち対人環境を狭くしてしまいます。子どもの社会的自立の機会を狭くしてしまいます。親が孤立し、子どもが孤立することで登校拒否を深刻化させることになれば、白己閉塞に落ち入り身動きできない状態になることを恐れます。ですから可能な限り親が(夫婦)自らの問題として子どもの自立をはかるためにも交流会への参加ができればと思います。それは医師や相談所などに相談することも必要ですが、同じ境遇の人、それに理解ある人々との交流が必要ではないかと思います。それに出席することで自己の解放が少しでも達成されれば、しだいに子どもの自立も促進されると思います。
<私見:私たちのきのこ会の今後>
 きのこ会のレギューラー出席者の一人として期待を述べておきたいと思います。
 登校拒否・不登校の子どもと親の交流は今日まで6年ほど続けています。会の参加者のうち多少の入れ替わりがありましたが、「子どもは立ち直って登校している」「高校に入学して順調に登校している、もう心配ない」などで、会にお出でにならなくなった方、1〜2度出席されたが音信が途絶えた方などもあります。しかし、「必ず自立していく」「長期に登校しなかった子どもが、高校では高熱で2日欠席しただけで3年間の勉学をしている」、平素は家の手伝いをしているが今度は「高校に是非進学したい」とがんばっているなどのことを話す親たちは、わが子の登校拒否が「自分を変えた」といいます。現在の「学校教育の実態も少しは分かるようになった」「学校って何だろう」と「根源的な疑問」もでてきています。
 こんなことまで「言える」「言うようになった」親たちが、やがて登校拒否を克服して教育を変革する力になるだろうと、私は希望をいだいています。
 力量はなお不足しているのですが、今後とも「あすなろ―私たちの育ちあい―」の発行もみなさんから読んでいただける冊子にと思いながら、今後ともいっそうの努力をしたいと思って終わります。
 
風にのって 石井 守
待つことが出来る場所
 子どもたちの居場所と親や教師の相談室を作13年になりました。
 当時中学教諭をしていた私は、こんなに教師や親ががんばっているのに学校が荒れるのは学校制度・子供観に問題があるからで、ここを変えない限りどんなに教育方法をいじっても子どもの困難は無くならないと考えていました。このことを社会に発信したいと考え退職を決意しました。
 退職直前の3学期、学年が1週間で崩壊しました。それまでも荒れそうになるのを表面的に押さえ込んだだけで、私はいつも不安を持っていました。
 中学校で残酷ないじめにあったA君はもうすっかり親の話しも教師の言葉も耳に入りません。学習だけでなく、生きることにさえ気力が低下していました。親に引きずられるようにしてやって来て、数時間もただ座っていて会話にものりません。私たちはただ話しかけるだけでした。親はよく電話してきますが、心を開くまで待ちましょうと繰り返すことしか出来ませんでした。
 私たちの対応に、それでは待てないとばかりに他の塾や病院へ子どもを移す方もあります。教育は先のわからない仕事ですからやむをえないとは思いますが、ここには子どもの観かたの重大な問題があると思います。
 成長の主体は子ども自身です。成長や克服の違いは、人間として当然認められなければなりません。共感して待つということは、消極的で無策なのではなく、発達を子ども自身のものとしてみるきわめて積極的な方策です。今の学校や家庭では、待つほうが難しいのです。
 感情を大切に、その時の状態に合わせながら学習すること通して彼は徐々に気力を回復し、紆余曲折しながらも大学へ進みました。
 ご両親ははじめから自信を持って、待ったのではありません。彼と真正面から向き合って、獲得したのです。







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