不登校・引きこもり青少年自立支援相談員養成講座第9
みんなで交流会と相談活動を活発に
ひるぜんこども教育・文化研究所
親と子の教育相談室
相談員 福原明知
<はじめに>
私は中学校教育に30数年携わるなか、学校の部署は「生活指導部」に一貫して所属して生徒の学校生活面の指導と問題に取り組んできました。1980年前後から私の勤務校より登校拒否「らしき子ども」が現れてきました。それに関心を深めるなか、大阪教職員組合の「大阪教育文化センター・親と子の教育相談室」が設立され、そこの教育相談員として学校勤務のかたわら努めてきました。こうして登校拒否の子どもや親御さんの相談に応じて登校拒否の問題に積極的に取り組むようになりました。
15年前岡山県北の僻地の村に移住して、今日にいたっています。この間、僻地における教育問題に関心をもって取り組んできましたが、この僻地の農村では大きな「壁」がはだかっていました。当初は少年非行、登校拒否の問題で、岡山市内の数人の親子の相談に預かっていました。そのころからしだいにこの僻地にも登校拒否の子どもが少数ながら出てきましたので、地域の教育相談を始め今日にいたっていいます。
現在は教育問題がいっそう地域の課題にもなり、学校教育とのかかわりも出てきました。また、相談にお出でになる来談者(クライエント)も数郡にまたがり、私一人での限界も出てきましたので、標記の「教育研究所」を設立して学校の先生やお母さんに協力を呼びかけました。研究所は地域、学校の問題を調査研究してお役に立ちたいと思って活動しています。このようななかで私は登校拒否を克服する「親の会」を父母と一緒に組織して活動をしています。それらの中で登校拒否の子どもたちが健全な発達を目指して親子ともども希望を持ち始めていると感じています。それらの経験を集約しながらまとめてみました。参考になればと思っています。
<現在の私の相談活動>
過去10数年、非行や登校拒否などの相談に応じた親と子は70人にもなります。私はアフタケアーとして手紙を出したり、電話でお話しすることが時折ありますそれぞれ成長して「1人前」に働き、結婚をしています。そのなかで「引きこもり」まで進んでいる子ども(現在は成人者)は私の知る限りおりません。中学校以後進学していない子、高校中退の子どもたちが自ら開拓して定時制高校を選んで無事卒業して働いていることなどを聞くに及んで、子どもたちは非行をくぐり抜け登校拒否を克服していくということがよく分かります。歪んだ子ども観の自己変革、子どもを信頼する、子どもの自立と援助を希望する役割を大人が果たすことが出来れば子どもは“1人前”に成長していくと確信しています。
岡山県北の町村は地域の範囲が広範ですから、親たちは遠方から相談にきます。また私も自動車で2時間程度出かけて行くこともしばしばです。定期的には津山市内、久米郡、真庭郡内の町村に出かけます。
現在、私の相談担当は、親は13人、子どもは18人ですが、少なくとも2カ月に1回はほとんどの保護者にお会いします。子どもと会話することはほとんどありません。電話のおりとか訪問のときなど顔を見ると、あいさつしたり、近況を簡単に聞く程度の会話になっています。ただ電話の場合は少しばかり話ができてお話しが弾む場合もあります。子どもたちは相談員の私の顔を知らなくても名前は知っているようです。親が相談員のことを会話の中で話したり、電話応対で知っているからでしょう。子どもとの信頼関係はなかなか得られる状況ではないのですが、親(保護者)を通じて柔らかい信頼関係(成り立っているのではないかと思っています。しかし、A君の場合は違っています。相談員の保護者宛の手紙を事前に開封して「自分のことが言われていると激怒」して破り捨て反抗に及んだことがありました。以後は、一切の手紙類を家に「送らないように」とのお話があって案内状さえ送れなくなった例もあります。他人の手紙を見てはならないとの躾の問題もありますが、相談人の配慮、父親と子どもの関係のずれ、子どもをめぐる夫婦の葛藤、母親と子どもの行き違いは思わぬ結果をもたらすることがあります。
<きのこ会=登校拒否の子と親たちの交流会>
A. 交流会:きのこ会の存在とその意義
岡山県北の広範な地域をエリアとする交流会は、他にもあるように聞いていますが、継続的な集まりではないようです。きのこ会の提唱者の一人は、会の世話役をしているMさんです。Mさんは会の発足の趣旨を次のように述べています。
「『親の会』というのものは『自助グループ』の性格だと思います。ですから、登枝拒否の親の会だからといって特別なものがある訳ではなく、自助グループの一般的な原則があてはまるでしょう」といっています。つまり一番大切なことは、『親の会』に参加することで精神的に傷つけられてはならない」ともいいます。
このような考えを基に私は教育相談の関係ある人々に呼びかけました当時、Mさんは、教育相談員の私に来談者によびかけてほしいとのことでした。私は次のような要旨で手紙を書きました。
(1) |
現在の社会は子どもにとって学校や家庭、地域などで矛盾がはげしくなって、親や家族が何かしてあげなければ、子ども自身育ちにくい社会環境になっていること |
(2) |
子どもの将来を危うくしないために、気づいた人から考え行動することも大切です。登校拒否・不登校の子をもっておられるみなさんから、不安をもっておられる方々へ交流の要望がありました。 |
(3) |
この交流会は登校拒否・不登校の子をもち父母及びこれに関心ある人が自由に参加して自由に話し合い、相互に学び合う場ですから何らの強制もありません。 |
発足は1996年10月です。
B. 登校拒否・不登校関係団体及び個人との交流
他の団体との関係では“学び合い”を理想としていますが、実際は「学ぶこと」がたくさんです。私たちが勉強させてもらっている主な団体は次の通りです。
・大阪教育文化センター
・大阪親と子の教育相談室
・大阪登校拒否を克服する会・「交流会案内ニュース」
・登校拒否・不登校問題全国連絡会「全国連絡会ニュース」
・石井子ども文化研究所くるみ
・岡山不登校を考える親の会・「親の会だよりくるみ」
☆ |
岡山県内で「親の会」は「岡山不登校を考える親の会」事務局が把握できたもののうち」、掲載承諾をいただいた「親の会」は11あります。 |
・関西セルフセラピー研究所・平野信喜
・玉石藤四郎・「風のたより」
・その他 Eメールによる通信など
C.“きのこ会”の経過
a. きのこ会の発足
きのこ会の名称はみなさんの話のなかから生まれました。登校拒否と特別な意味をもつ名称ではありませんが、みんなが愛称しています。きのこ会は発足以来、隔月毎に「集い」をもっています。広範な地域ですから集まりやすくするために集会の場所を変えています。会場は久世町の教育会館と八束村の「ひるぜん自然の家」(財団法人大阪保育運動センターの研修施設)に分けて開催しています。また、年末の交流会は一泊の「忘年会」(望年会)を兼ねて行います。子どもも参加してとても友好的な交流会になります。子どもは子どもなりに自然のなかで自由に語り遊びますからすぐ友達になります。大人は深夜まで語り合うことができ、日ごろの家庭内の堆積した不愉快な関係が人によっては発散されるようです。また好い関係は皆さんの評価もあっていっそう好い関係に変わってきます。それが子どもたちにも知らず知らずに好い雰囲気を周りに広げることになります。こんな点でみなさんが宿泊忘年会を待ち望んでいるのでしょう。
集いは際立って派手な集いではありません。寄ってくる人は毎度6人から8人程度ですし、もっとも10数人も集ったこともあります。小・中学校で登校拒否の経験をもっている大学生に報告をお願いしたり、成年になってOLをしている女性を招いて、自分の登校拒否の経験を率直にお話ししてもらったりして交流をすすめています。
交流会は最初、司会者からのごあいさつで始まり、交流では出席者の皆さんが全員発言します。和やかで率直、自由な雰囲気が自然に醸し出されていきます。
b. 登校拒否にかかわる夫婦の問題
交流会に出席する人はどうしても女性が多くなります。なぜ女性なのか?お聞きしたことはないのですが、男性は「仕事」と言うことでしょうか、土曜日の例会を恒例にしていますから、当然、男性の出席があっていいのですが、いつも少数なのです。子どもの登校拒否がここでも女性の背にかかっていることを伺わせます。それぞれの出席者にはそれぞれの社会的、家庭的な事情がある訳ですが、男性が出席することで夫婦と子どもとの関係を深め、登校拒否の問題の共通理解をすることになるでしょう。それが自分の子の理解につながって親子関係を豊かにすることになるだろうと思っています。登校拒否の子どもに関わる問題解決の一つとして、男性(夫)の参加が求められていいのではないかと思います。
きのこ会にはレギュラー出席の夫婦が2組あります。それらの方々のお話しはとても参考になります。なぜかと申しますとそれは子どもを見る目に同時(同席で)主観と客観が同時に再現され、ことの真実がより明らかになります。ですから毎回とはいきませんが、せめて2〜3回に1度程度は男性が妻(配偶者)と連れ立っての出席があっていいのではないかと思っています。
c. きのこ会の交流の一コマ
きのこ会の出席者は10人を越えることはほとんどないのですが、参集するお母さんやお父さんは交流会に出席することで、日ごろの子どものことをざっくばらんに話します。ほとんどわだかまりがないといっていいでしょう。それといいますのも親の経験した苦しみは想像に絶することですが、それを克服して、あるいは克服しようと集まってきている訳です。しかし新しい矛盾に毎日ぶっつかりながらそれを乗り越えようとする意欲をもって出席していますので、話題はとても明るく展望があります。よい方に向いていくのです。
昨年秋の交流会の一コマを再現して見ましょう。
0さん:上の3人は不登校などとは無縁で、人ごととしてとらえていた。ところが末っ子の男の子が5歳のとき転居、1年に入学すると「学校はつまらない。学校をやめる」「首を締めてくれ」などといい、まさに地獄の思いであった。結局、2年の5月末から休むようになった。3年になって「地域別訪問相談員」に会う。初めて学校と話しあった。5年生のとき「登校拒否・不登校の数」に入っていないのではないかと疑う。教育相談所の施設に通ったりしていて、出席扱いになっているように思われると。中学校になって公立のK塾に週4回通っている。以前と違うのは子どもが“ヤッター”“よ一し”とかの気持ちがとても大きくなっている」と「普通の子に成長をしている」と親が思えるようになったことである。
Nさん:小学校4年ごろから登校を渋るようになり中学校はほとんど欠席した。学校は長期に休んでいる子どもに予防接種(風疹)受けるように、その場合「制服を着てくるように」といわれた。祖父の葡萄園の作業を手伝ったりしている。最近、定時制高校のオープンスクールに行き、スライドを見て制服がないことに気に入って自分から「先生のお話しを聞いて、もう少し自分も勉強しないといけない」と感じているという
Aさん:子どもは「学校があることがプレッシャーだ」と思っている。また、小学校入学の時「ちっとも嬉しくない」という。「3年半いじめにあい続けた」ともい親子は担任の先生とうまくいかず不登校になって「ほっとする」。「何が原因なのか納得していない」校長先生は子どものことを「怠けている」、「ギャングエイジだから学校へ来なさい」といわれたり、“子どものことを真剣に考えていない親”と思われたりしたが、きのこ会でいろいろお話を伺って「ひどい親にならなくてよかった」と思った。(校長先生の発言があまりに酷いので、それに同調しないでよかったの意味)
Nさん:この会は「素直な気持ちでなんでも言える雰囲気があっていい」そして「自分が納得しないと、いつまでたってもいい親になれない」という。
Tさん:周囲の人の言葉よりも子どもに対しては『待つ』ことくらいにしかできな困っていることは訴えることが大切、学校でも家庭でも子どもが認めてもらえなかったら子どもはどうなる?
学校の先生も「悪いことは悪いと思わなきゃー」と
Aさん:教育長のお話しのなかで「先生は努力しているが、一般的に親や家庭に問題がある。夫婦関係が悪いとか、済まされない問題だ」と。教育長は「そんなこをおっしゃるが、学校は「子どもを待っている感じでなく、放ったらかされている状態です」「一定の型にはめようとしている」などの意見がありました。
それをどう考えるか、教訓をどうくみ取るかは各自の問題であるという共通認識がこの会の交流の基本にあるのです。このような共通認識は何回かの交流会で理解されていきます。ここ数年、学校の子とその対応が登校拒否の子どもや親からしばしば指摘されるようになっているように思います。
d. きのこ会と教育相談員の関係
私は当初から教育相談員=カウンセラーとして関わってきました。その中で私が留意していることは次のようなことです。
(1) |
出席すること、相談員だから特別な存在ではないこと |
(2) |
質問がある場合にのみ、答えることに努力している |
(3) |
「私のお話し=報告」として最近勉強した心理学の新しい問題や登校拒否問題の最近の傾向や学校、地域問題についてお話する(報告)機会を年間に2向程度とってもらっている。 |
(4) |
時間は40分程度で質疑応答の時間もとります。そして可能な限り共通理解を求めている |
その外は皆さんのお話しの記録を取って自分の研究事例の勉強のために利用させてもっています。時に参考になることがある場合は、了解を得て交流紙「あすなろ」に掲載してみなさんのお役に立てています。
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