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「わかること」と「できること」
内山 登(くるみ)
 
はじめに
 1965年から大阪市の中学校で、数学を教えてきました。また、放課後はクラブ活動(部活動)でサッカー部の顧問をしてきました。今日は、数学の授業を通して感じた子どもたちの変化(変化させられたと言う方が正確?)また、サッカーの指導を通じて、知った外国人コーチの子どもに対する接し方などをお話して、「わかること」「できること」について、一緒に考えていきたいと思います。
 
1. 数学を教えていて、感じる子どもたちの変化
(1)計算力のこと
(1)92年度入学の生徒:分数派・小数派
 この年の生徒でめだったのは、分数の計算問題なのに小数で答える子、逆に小数の計算問題を分数で答える子、分数の問題を小数で答える小数派と逆の分数派の2つに分かれたことです。
 分数派の生徒に「なんで、面倒くさいのに、わざわざ小数を分数に直して計算するの?」と尋ねると「小数の計算は自信がない、分数で計算すると間違いなくできて、点数がよくなるから」との答えでした。分数派の生徒の答えも同様でした。
 いい点数を取るために自分にとって苦手なことを避けようとしていることが問題なのではないでしょうか。
 この生徒たちが大学に入学した頃、NHKのクローズアップ現代で理系の大学生の計算力不足が取り上げられました。
 87年頃(中学入学は84年頃)普通科の高校では1年生のとき理系を選択しておきながら、大学受験は文系に変更する生徒が増えてきました。このことを高校の先生方は「数学の計算力の弱さのために、理科や数学の授業がわからなくて、進路を変更した方がいいと生徒たちが判断したためだ。」とおっしゃっていました。
(2)98年度入学:指を使う
 この年は92年度以上にショックでした。正負の数の計算のとき、指を折り曲げている生徒がクラスに何人かいました。はじめは何をしているのか?と思っていたのですが、あるとき、A君が「先生も計算のとき指を使いますよね」というので「使わないよ。なんで?」A君「指を使ったら、繰上りとか、繰り下がり間違わずにできますよ」私が「君たちの中で計算に指を使う人どのくらいいる?」と尋ねると8人ほど手を挙げました。
(3)01年入学:9+2は10
 方程式を解く問題を出して、生徒のノートをみてまわっていて気づいたのですが何人かの子が 9χ+2χを10χとしていました。また、9χ+3χを11χとしている子もいました。私が指摘すると訂正できるのですがそのときの9+2の計算をするときは2回うなずき、9+3の計算をするときは3回うなずいていました。9+2の足し算を9、10と数え足しをしている様子でした。
 分数や小数は数として認めていない、というよりも拒絶している生徒が多くなっています。
 
(2)新しいことへの対応の仕方
 ここ何年か授業をしていて、次のようなことを感じています。
 生徒たちの質問が「なんで?」とか「どうして?」から「どうするんですか」という方法論に変わってきたことです。極端な例ですが「角の二等分線の作図のとき、「先生、その円の半径は何cmですか。」のようになりました。
 
2.「わかること」・「できること」両方とも大切
(1)わかることを妨げているもの?
(1)教育課程
 子どもたちが変わってきたのですが、原因を考えるとどうしても教育課程が変わったことに行き当たります。中学校の数学での一番大きな変更点は「整数の性質」の単元がなくなったことだと思います。
 「整数の性質」の単元では小学校で学習した「約数・倍数」の復習もするのですが「素因数分解」について学習し、小学校ではできないか、非常に難しかったこともできるようになり自分で成長を感じ取ることができた単元でした。
 また、この単元は中学生が興味をもてる教材が多くあったのですが残念です。教育課程で一番問題なのは、学習が一度きりになっていることで、生徒にとっては覚えるのに精一杯の状況になっていることです。
(2)大人の子どもへの接し方
*よい点数を取らせたい・よい成績を出させたい
 この大人の願いに子どもたちはどう対応しているのでしょうか。
 よい点数を取るためにが、いつの間にか人より高い点を取りたいに変わり安全第一になり、新しいことにチャレンジしていく気持ちをなくさせているのではないでしょうか。
 また、大人は子どもたちに効率よく成績を上げようとして、指示が多くなっています。そのため、子どもたちは自分で考えないで指示を待つようになってきています。これは学校だけに限らず、塾や各種スポーツクラブについても言えることだと思います。
 子どもの間は大人の結うことを聞いておればいいという考え方もありますが、はたしてそれでいいのでしょうか。この問題についてサッカーを通してみてゆきたいと思います。
(3)サッカーのこと
 このことはフランスでのワールドカップの後、朝日新聞のスポーツ面に載っていたのを引用させてもらいますので、ご存知の方もおられるかも知れませんが、大切なことですので少し時間をいただきます。
 韓国のサッカー協会の指導者が「なぜ韓国はワールドカップで一勝もできなかったのか?」と考えヨーロッパヘ行きいろんなチームのゲームをみての考えたことが書かれていました。
 「韓国の選手は体力面でも、技術面でもヨーロッパの選手に比べて負けていないし、十分にやっていけるはずだ。問題は状況判断だ。なぜ、状況判断がヨーロッパの選手に比べて劣るのか?」を考えて達した結論は「韓国は儒教の国であり、年長者の言うことが絶対であって、自分で状況判断をしないでやってきたことがよくなかったのでは」ということでした。
 では、南米やヨーロッパの選手たちはどのような子ども時代を送ったのでしょうか。試合後コーチが子どもたちに話をするのはどこの国もするのですが、そのときのコーチはまず子どもの考えを聞いてから自分の考えを子どもに伝えるようにしているそうです。
 
(2)わかるには時間が必要(そのとき、わからなくてもよいのでは)
(1)英語の先生から聞いたうれしい話
 2月の中ごろでした。授業を終えて職員室に戻るため廊下を歩いていると後ろから英語のU先生が追いついてきて、うれしそうに話しかけてくれました「時間が余ったので、復習で3人称・単数・現在の話をしていたら○○さんがそれで、Doseを使うんですかと言ったんです。○○さんは、いつもよい点を取っているので、わかってくれていると思っていたんですが。今日はよかったです。うれしいです。」
内山「よかった。いい話を聞かせてくれてありがとう。」
 上のことは、初めて学習する時はやり方をおぼえたり、知識をおぼえるのに精一杯で「わかる」状態にはなりがたいことを示していると思います。
(2)数学は新しいことをやりながら前の復習をしている。
 数学の学習では、前に学習した計算方法に何か一つ付け加えるようになっているので、つまりいつも復習をしているので、計算力については学習を進めて行くにしたがってついていくと思います。
 しかし、数学の考え方等については、何年か前の教育課程から一度学習したらそれっきりになっているので生徒にとってわからなくなっている。内容面についてもみなおしが出来るようなカリキュラムを構成していくことが必要だと思います。
(3)大学生の問題
 最近、マスコミでよく取り上げられることで、高校のとき生物を履修しないで医学部へ進学する学生や、また物理の単位を取らずに工学部に進む学生おり大学も対策として、予備校から講師を呼んで補習をしているようですが。考えなければならないことが二つあると思います。
 ひとつは、高校のカリキュラムの問題です。理系の生徒は化学・生物・物理の三教科を学習することが必要だと思います。
 もうひとつは、大学生になればたとえ高校で習っていなくても、必要なことは自分で学習できるようになっておかなければならないと思います。それができないのが問題ではないでしょうか。
 
おわりに
電話工事から道路工事へ
 36年前の中学三年生のN君は家庭の事情で高校進学をあきらめて、家の仕事である電話工事をお父さんと一緒にしていました。しかし、5年もすると電話が各家庭に行き渡り、仕事がなくなって来ました。持っている機械などが使えるので、道路工事の仕事をしようと決め、道路工事の資格を取ることにしました。道路工事の資格を取るためには、高校以上の数学の力が必要でしたが、彼はがんばって資格をとりました。私にあったとき、「中学で数学が苦手で何もわからなかったのに、同級生の中で自分が一番数学を使って生活をしているのではと思うと・・・」と話してくれました。
 N君は私たちが学力・生きる力を考えていく上で大切なことを教えてくれているように思います。







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