私の不登校
橋本美佳(くるみ)
小学6年生から中学3年まで、私は不登校だった。不登校の始まりは風邪をひき休んだことだった。それからほとんど登校することはなかった。通知簿によると、その頃の私は体も強くなく、欠席日数も他の子に比べると多い子どもだったようだ。先生の所見によると「まじめで積極性に欠ける。目立たない」となっている。これは私から見てもあたっているように見える。それ以外には、その頃の私は、友人は多いが気をつかいながらのつきあいで、いじめられないようににしていたように思う。いじめにあったということはなかった。周囲からみれば「楽しく、うまく学校生活を送っている子」であった。
<家族について>
4人家族(父、母、妹)
父は子育てには無関心、口出しはしない。成績についても何も言われなかった。父と私の距離は遠かったように思う。
母は専業主婦で頑張りやの神経質な面のある性格。「〜でなければならない」という考えが強かった。子どもに対して過干渉気味で、いつも何やらかんやらと言われていた。しかし、きつく叱られたりすることはあまりなかったように思う。私は一生懸命な子育ての母に対してプレッシャーを感じながら生きていたように思う。
妹とは1歳ちがいで、仲が良かった。私と似ている友達みたいな姉妹だった。
周囲からみれば何の問題もなく、私の不登校がはじめての家族の大問題となったのだった。
<原因はなんだったか>
まじめな優等生タイプの私は手を抜けず何に対しても頑張り過ぎていた。そして今の自分(当時の自分)のままでいるのに不安を抱いていた。このまま生きていくのは自分らしくない、もっと違う自分があると思い悩んでいた。それが主な原因だったように思う。今回の話においては「自分」に目をむけて不登校を考えていきたいと思う。
<不登校の日々に>
小6の3学期、始業式から数日登校、風邪をひいたことから休みだす。ずっと体がだるく登校できなかった。あまりにそのような状態がつづくので小児科の主治医から入院をすすめられ、入院となる。検査はしたものの、身体的には異常なし。外泊もしながら、登校するよう話をもちかけるが行けず。
1ヶ月ぐらいして、入院中の病院から直接登校するようにと、朝、父にむかえに来られ、無理やりつれていかれる。しかし、門の前までしか行かず、帰院。そのことでDrや父母に不信感を抱く。「自分自身、もう学校に行きたくない。行けない」と強く思う。
それから、入院は小学校卒業までつづく。卒業式には出席、その後退院となる。
春休みは楽しく過ごせ、中学の入学式は出席、しかし、再び不登校となる。
中1の春休み前、再登校しようと頑張ったが、自分自身、周囲の期待にこたえようと無理してしんどくなる。教室でクラスメートと共に勉強しようと登校するが、つらくて、結局2学期から再々不登校となる。
それから卒業まで不登校の状態つづく。
中2になって担任の先生は「学校に来るように」と私に接して来た。クラスの友達が先生にたのまれたのか順番に何人も毎日電話をかけてきて、だんだんと「学校に来てみたら」とさそわれるようになった。しかし、私は心の中で自分自身はもう学校に行かないと決めていた。友達や先生に悪いと思いながらも「自分の人生だから。」と自分の考えを貫き通していた。
3学期くらいから別室でテストを受けにいくようになった。テストを受けに「学校へいく」ということは、私にとっては本当はとてもつらいことだったが、私にできる最大限の努力をした。
中3になって、これからのことを今までよりもっと考えるようになった。「高校に行きたい。」という思いもあった。その時、単位制高校のことを知り、見学に行き、自分なりに考えた結果、高校進学を目標に勉強するようになる。
そして、テストだけはせめて受けにいくということを決めて頑張っていた。その頃から家庭教師にきてもらったり、石井子どもと文化研究所に通いだしたりと、目標ができたことで行動できるようになっていた。
2月には私立高校も受験し、条件付きで合格した。いろいろ考えた結果、やっぱり目標にしていた自分の行きたい単位制高校を受験すると決めた。「高校に行きたい」という思いはあったが、どこでもいいとは思えず、よく考えた結果そうすることにした。ダメだったとしても大検、通信制高校など、他の方法もあると思い、挑戦することに決める、そして結果、単位制高校に合格し、入学することになった。
高校時代は多少の体調不良はあったが、ほぼ問題なく過ごした。単位制である学校のシステム上、友達もできにくいと言われていたが、友達もでき、いろんな話ができ、少しずつ自分の考えが人に話せるようになってきた。
大学に進学して、福祉の勉強をしたいと思ったので福祉系の大学に進学した。
大学時代はいろんなことに悩んだ。他の人と自分を比べて「福祉」という仕事に向いてないんじゃないかと思い悩んだり、「自立」ということに対して考えたりすることが多かったように思う。
結局4年間の学生生活を終え、卒業してからは、思っていた仕事で非常勤として福祉の仕事をしている。
<不登校の生活>
はじめの頃はとにかく寝てばかりだった。昼夜逆転生活でテレビばかり見ていた。少しずつ勉強したり、絵を画いたり、家事を手伝ったりしていた。
中2になってからは犬を飼いだしたので、日中世話したりしていた。散歩で外に出るようになり、自然に外出するようになった。
しかし、平日は家にこもることがほとんどで、外出しないようにしていた。日曜日は皆も休みだからと外出していた。
再不登校、再々不登校時の直後は親も口を出さないような状態だった。
時間がたち、そっとしてくれるようになると落ちついてゆき自分のしたいことができるようになった。勉強もするし、「高校進学」という目標ができてからは頑張ろうという気持ちがわいてきた。
不登校の間思ったことは、自分の性格がイヤだということ、そして日々の生活(今までもその間も)に疲れていたということだった。
小6の時、父に無理やり登校させられた時は強烈に落ち込んだ。家族も病院の先生もみんな敵だと思い人間不信になっていた。その時「もう学校には行けない。行かない」と決意していた。
今の自分(当時の自分)は学校生活をおくるという自信がなかった。しかし、周囲にはそれを言えなかった。親に対して宣言してしまっては泣かれたりして、受け入れてもらえないことはわかっていた。否定されたくなかった。結局その思いを貫き不登校を続けた。
その間、「自分はどうしたいのか?」ということを考え続けていた。自分が主役で生きていない当時の自分に不安を感じ、未来が暗くしか考えられなかった。ずっとこのままの自分で生きていかなければいけないのかを考えると辛かった。もっと「自分」というものを無理しないで生きたいと思うようになっていった。それまでの自分は学校の成績が良いだけが支えだった。それも、もう「1」ばかりの通知簿。いいところなんて何もない。自分はダメだと落ちこんでいた。
中3になって「高校進学」という目標をもち、少しずつマイペースに頑張る元気がでてきた。単位制高校という学校を目標に考えたことは、人間関係が薄く、人に合わせ過ぎなくていいこと、グループで学校生活を送らなくてもいいことなどであった。まだまだ、いわゆる普通の学校で過ごす自信がなかったのだ。気楽に無理せず通いたいと思っていた。卒業を目標にまた少しずつこれから考えたらいいと思っていた。
中退した人、不登校だった人、いろんな人が生徒だと聞いて、不登校が特別視されないのではという思いもあった。自分が決めたことだからとマイペースで頑張り、楽しく高校生活を送ることができた。多少、体調がわるい時はあったものの特に問題もなく、3年間過ごすことができた。同じような経験をもつ友達もでき、話ができるようになった。そのことがとても良かった。初めて学校というものを楽しく感じた。
大学に入り、福祉の仕事を目指し頑張ろうと思っていた。久々に、普通に学校に行っていた。同年代の人たちとの生活はしんどさを感じる時もあった。頑張る周囲と自分とを比べてしまい、つらい時もあった。アルバイトをしだし、また新しい出会いがあり、友人ができ視野が広がった。いろんな人がいるんだなと感じた。大切なのは「自分」をもっと人に接していくことだと感じた。人が人に与える影響を感じた。
<大切なのは何か>
不登校の間、不登校をしているという罪悪感をなくすことが大切だと思う。罪悪感に邪魔され身動きがとれないのがよくないと思うからだ。せっかくの時間を罪悪感に邪魔されもったいなく過ごしては意味がないと思う。
そして、不登校である自分を認めてくれる人の存在を大切に思う。「行かなくてもいよ」という言葉を誰かに言ってほしくて私はずっと待っていたように思う。私の場合、高校に進学したことでこの期待はなくなった?・・・。「行かなくてもいいんだよ。」と身近な人に言ってもらえたら、という思いはずっとあった。
私は不登校のはじめお世話になった病院の先生(女性)のことがすごく好きだった。あこがれていたのかもしれない。しかし、その先生と父母が私を無理やり登校させようと行動したことに対し、裏切られた思いがいっぱいだった。
中2の夏、たまたま私が入院することになり、先生と再会。先生はとてもやさしかった。今から思えば、その先生は、まだ子どもの私を大人として接してくれたように思う。退院後、先生のところに時々会いに行くようになった。
特に相談ごとをしていたわけでもなく、自分の気持ちを話すこともなかった。先生の方からも何も不登校についての話もされなかった。でも、いつも安心感があった。先生みたいな人になりたいと頑張る力もでてきた。この経験からも、認めてくれる、そっと見守ってくれる人の存在の大切さを感じる。
自分の居場所を持つことも大切だと思う。家に居づらかったりした場合、ただでさえつらいのに、もっと不登校がつらくなる。やすらぐ場所が必要と思う。フリースクールなどもその1っだと思う。
出会いはとても大切だと思う。でも人に会いたくない時、自分に自信のない場合、それ自体が苦痛になる。それに何もしなくても出会いがあるとは限らない。時には自分から出会うために行動しなければいけない時もある。そのためには、自分の好きなもの、特技をもったりして自分の中身をつくっていかなくてはならないと思う。
話題があれば人と出会うことも楽しくなる。他人に興味もわいてくるし、出会いが楽しいものになると私は思っている。そのことに気づいたのは大学時代。不登校になって何年もたってからだ。自分にたりないものが少しずつ見えてきた頃だ。
不登校時間に好きなことを見つける、自分づくりの時間として過ごせば、後々意味のあるものとなると思う。私にとっても必要な時間だったと実感している。しかし、罪悪感で有意義にすごせなかったと思う。その点が残念に思う。
私にとっては不登校の時間は、エネルギーの回復時間だったと思う。そう過ごせばどの子にとっても必ず意味ある時間になると思う。
最近やっと、何とか生きていけるという気がする。それは学歴、職業ではなく、自分なりの生き方ができるという感覚になったということだと思う。
不登校の時、本当につらかったけれども、あの時いっぱい悩んで過ごしてきたから今があると思う。無意味な時間ではなかったと思っている。
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