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 また環境問題もそれに付随して起こります。良好な環境のもとでしか、健康は保てません。ここでいうのは個人の健康ではありません。全体の健康。社会全体、コミュニティ全体、あるいは国民全体、さらに、全人類の健康を考えました場合に、明らかにそれぞれ良好な環境が必要です。良好な環境は、やはり豊かな経済とそれから不公平のない経済発展に支えられるということがあるのではないかと思うのです。
 
 こういう意味で、持続可能な開発(サスティナブル・ディベロプメント)という言葉が1992年の世界環境サミット(リオデジャネイロ・サミット)のアジェンダ21とリオ宣言あたりから広く使われ始めましたが、この「持続可能な開発」という標語は、人口問題を考える上で非常に良い視点を提供するものではないかと思います。サスティナブル(持続可能な)ということで、サステイン(維持・持続)されるべきものが何かと言えば、その1つに経済があります。世界経済です。それから、地球の環境、生態系です。こういうものを維持・持続(サステイン)しながら、しかも経済発展し、環境も開発していくという視点が必要ではないかと思うのです。
 
 こういう視点の上に立って、人口問題の解決を図るということはあるいは、先進自由主義社会、先進自由主義国家の自由な経済活動を制限するということを意味することになるかもしれません。しかしそういう政策をとることで、いわば、リプロダクティブ・ヘルスとリプロダクティブ・ライツのバランスをとった人口問題の解決と維持可能な開発という2つの緊急のグローバルな要請にこたえつつ、世界全体の経済発展と環境の保全とを同時に行い、そして、その上で初めて、人類の生き残りのための最善の道が示されるのではないかと考えられます。
 
 このような経済問題、環境問題に対する大きな影響をはらみつつも、このリプロダクティブ・ヘルス/ライツという考え方は人類の将来に対する1つの有効、巧妙な政策方針として実行されるべきであると私は考えております。
 しかし、このように言うことは簡単ですが、実は、具体的な問題になりますと、大変大きな議論を巻き起こします。その具体的な例を1つ挙げますと、それは中国の一人っ子政策です。ここに中国の方もおられるようですが、お聞きいただきたいと思います。
 
 1995年に女性会議(FWCW)が中国で開かれたときに、中国政府の一人っ子政策が西欧諸国から非難されました。クリントン夫人までがまいりまして、中国政府の一人っ子政策を非難したわけです。これは、最大の人権、特に女性の権利の侵害である、だからこういう政策をとるべきではない、と糾弾いたしました。しかし、それに対して中国政府は、一歩も引きません。非常に強い自信を持って、一人っ子政策を依然として継続しております。
 その中国政府のとった態度は、その前に天安門事件のときに、諸外国から受けた非難に対する対応と似ています。あの時は、主として基本的人権は、言論の自由だったと思います。そこで言論の自由を侵すとは何事だ、と中国政府が非難されたわけです。アメリカが非難の急先鋒に立ちました。でも中国政府は引きません。中国政府は何を言ったかと言いますと、中国にとって基本的人権とは、“人々が飢えずに生きていくことだ”と言ったわけです。人々が生きていくために妨げになるような人権というものは、“いらない”という発言をしています。これが意外に、中国の民衆に支持されておりました。
 
 今、私が考えているような考え方から言えば、この中国の一人っ子政策は、欧米の非難に当たらないということになります。中国政府は、実は、今の国連のとっているやり方と同じような非常に巧みな人口抑制政策をやっていると評価できるのではないかと考えます。つまり、一人っ子政策で中国の人口は実際に、相当程度抑制されています。それが1つの要因となって中国の今日の隆盛、経済的な発展がなされ、中国はどんどんと向上し、この豊かさが実現されているのです。そして、中国全体の健康状態も格段に向上を遂げました。
 
 なぜ、これが実現されたか。それにはいろいろな努力があったと思います。ルック・イーストという言葉がありましたが、今はルック・チャイナで中国を見てみたいと思います。中国は現在、上り坂でどんどん向上しています。この隆盛の原因の1つとして一人っ子政策があったのではないかと考えるわけです。
 今日別な方のお話の中で、中国の一人っ子政策は必ずしも成功していない。都会だけで行なわれて、農村では行われていないと言われました。地域的にはそういったことがあるかもしれませんが、全体的にはやはり大きな成果を生み出しているのではないかと考えます。私はその意味で、生命倫理という立場から考えて、基本的人権ということで中国の一人っ子政策を非難するのは当たらない、むしろ、あれでよかったと評価すべきではないかと思っているわけです。
 
 中国の一人っ子政策には、もう1つ非常に大きな問題が付随しています。それは、優生学です。この点について中国政府がはっきり言っているわけではないのですが、実際の政策を見ていると明らかにその傾向が見られます。つまり、生まれてくる一人っ子は優生学的にすぐれたものでなくてはいけないという考え方です。子供は1人しか持てないわけですから、少なくとも遺伝的な疾患を持った、そういう一人っ子は産まないようにしろ、すぐれた子供だけを産むようにしようという考え方が暗にあります。
 
 優生学という考え方は世界的に大変に評判の悪いものです。優生学と言っただけで怒りだす人が、現在でも、いくらでもいます。特に、優生学という理由でナチスの被害を受けたユダヤの人達などは、優生学という言葉を言っただけで、もう、カーッとなるぐらい、この優生学という言葉は使ってはいけない禁句になっています。
 また、これまで私が述べてきたような生命倫理、つまり、基本的人権から考えれば、差別を含む優生学は、明らかに基本的人権の侵害です。優生学はいわゆる人種差別ではないとしても、障害児を差別する、遺伝的に疾患を持った人間を差別するということにつながるわけですから、重大な基本的人権の侵害になると考えられるわけです。
 
 しかし、私は、ここで中国のこの政策についても、弁護したいという気持ちにかられています。やっぱり、リプロダクティブ・ヘルスという考え方に通じるものが、ここに出ていると考えられるからです。
 リプロダクティブ・ヘルス(健康な人口の再生産)とは何でしょうか。例えば、ある種の遺伝的疾患を持って生まれるということは、健康な人口の再生産(出産)だろうかという疑問がでてきます。ここで注意していただきたいのですが、私は決して遺伝的な欠陥を持った障害児を差別するという意味で言っているわけではありません。そういう子供が生まれてしまったら、最大の配慮をもってこれを助けて、その子があらゆる基本的人権を享受できるように、我々は努力しなければなりません。これは当たり前のことです。
 
 ただ、しかしその子が生まれる前に、いかなる処置をするかということは別の問題です。仮に胎児に人格を認めるとしても、産むか産まないかの選択は女性の権利であり、しかも当の女性の選択判断の中に、強制ではなく、教育または熟慮という形で優生学的判断が入るということは決して忌むべきことではないと考えられます。この問題には人口問題をからめ、これはやはり優生学的な考え方を、リプロダクティブ・ヘルスという考え方の中に生かしていくべきではないかと、私は考えたいと思うわけです。
 要するに、中国の一人っ子政策は、その点においても、(強制的な色彩が感じられるところがやや気になりますが、)私は必ずしも批判するには当たらないというふうに考えます。
 
 具体的な問題として、こういうシリアスな問題を中国の人口問題と一人っ子政策は含んでいるのです。一見これらは国際的な通念と矛盾しているように思えますが、それは案外、国連の考えるリプロダクティブ・ヘルス/ライツという、社会的なものである「健康(ヘルス)」と個人のものである「権利(ライツ)」をバランスよく発展させていこうという考え方と必ずしも矛盾しないのではないかというのが私の考え方です。
 
 さて、人口問題は、最初は、ある意味では非常に単純な問題であったわけです。ただ、人口抑制すればよかったわけです。しかし、小川先生のお話にありましたように、最近では人口が減って困るところも出てきています。これまで人口問題と言えば、もっぱら発展途上国の問題でしたが、この人口の減少の問題は、先進国の問題です。先進国で非常に出生率が減っているところがあります。その減っている理由もまたいろいろあると思いますが、1つは経済的な余裕と、それからもう1つは教育の充実だと思います。つまり、自分が、あるいは自分の家族が、健康な生活をするためには、人口を増やさない方がいいという、そういう常識が先進社会では成立しているからだろうと思います。これにはやはり、経済的な豊かさが影響していると思いますし、また、その結果として医療や健康状態の向上による幼児死亡率の低下、それからもう1つ教育が充分に行き届いているということを意味していると思います。
 
 そうすると、将来の人口問題について考えるということは闇雲に人口を抑制しようというのではダメだということがわかります。やはり経済とか、環境とか、科学技術とか、それらの全体をよく見回して、全体をバランスよく発展させていくことが必要になってきます。
 人口問題に関して“バランス良くということは、結局どういうことになるのでしょうか。ここで私は1つの新しい考え方を提案したいと思います。ここで人口を抑制するという考え方をやめて、将来に対して人口をデザインするという考え方が必要なのではないかと思うのです。
 
 抑制するのではない。増やすところは増やしていく、減らすところは減らしていく。しかし、ただ増やす・減らすではなくて、地球全体の中で、人間というものが“どのようにして生き延びていくか”、“これからどのように生活していくか”ということを考えて、バランスよく人口のあり方をデザインしていく必要があると思うのです。それには経済問題もあり、環境問題もあり、医療や科学技術をいかにそれぞれの地方の特殊性に応じて適用していくかという問題もあり、また、政治問題もあります。それら全部を含め、最適な人口のバランスを地球全体でデザインしていく、そして、そのデザインに従って、人口の抑制、増加、または人口の移動のための政策形成をしていくという、新しい発想が必要ではないかと考えます。このような、「人口のデザインと政策の策定」の作業こそがこれからの世界人口会議に課せられた緊急の課題であると考えられます。
 
私は、生命倫理と倫理ということから話を始めましたが、いろいろと話をいたしましたあとで、改めて倫理とは何かという問題に立ち返りまして、私は今、これまでの一般的な考えを大きく変えて倫理というものを次のように定義し直したいと考えています。
 一言で言えば、倫理は、社会調整の技術であるということです。ある絶対的な価値観、ある至高の美徳を押しつけるのが倫理ではないのです。そうではなくて、社会がうまく機能する、つまり、社会全体が将来に向かって危機を回避しつつ維持されていくという目的のための、1つの価値調整技術であると考えることができるかと思います。
 
 この考え方を生命倫理に適用すると、結局、生命倫理として社会を調整する目的は「生き残り」ということになります。人間は今、生き残りの危機にあるのです。今までそういうことを人類が意識したことはなかったと思います。人類は、とにかく生きていく。人口が増え過ぎれば、適当に自然が減らしてくれる、という考えで生きてきたのです。
 しかしながら、これからはそうではなく、我々自身が能動的に人口のあり方をデザインしていくことが必要になってくるのではないかと思われます。何のためにデザインするのかというと、その目的は“人類の生き残り”です。この人類の生き残りが危機に瀕しているのです。こういう危険を避けて、うまく・バランス良く人間が生き残れるように社会調整をしていく。特に生命現象、生命活動の中において生き残りのための、社会調整技術を、これから開発していかなければならない。それが、生命倫理という観点から見た、私の言う人口問題ということになろうかと思います。
 ここで生き残りと言いますと、手段を選ばず、それを達成しようとする個人的な権利の主張が出てくるかもしれません。弱者が踏みにじられ、強者が生き残るという形で、それが達成されることも考えられるのです。このような形での社会調整が許されるわけもありません。非常に難しい問題を抱えることになりますが、社会的弱者が社会的な強者に比べて不公正な影響を受けないようにしながら、人類が全体として生き残れるよう社会調整していくことが必要となってきているのだと思います。このためにはリプロダクティブ・ヘルス/ライツの観点が非常に有用なものとなってくるのではないでしょうか。
 
 最後にこのような、人口問題を含む社会調整を十全に果たすためには将来に向けてどのような方策をとるべきかということに関して、若干異様に聞こえるかもしれませんが、ここで1つの過激な提言をしたいと思います。
 それは、まず、自由主義という考え方を大きく後退させなければならないということです。その代わりに何があり得るかと言えば、それは新しい形のコミュニタリアニズム(共同体主義)だと思います。つまり、個人の自由というものを社会共同体という観点から相当制限しなければ、これから人口問題を含めて、地球規模の社会調整はできないだろうと考えるわけです。それに代わって、コミュニティ(社会)という観点が大きく入ってまいります。個人の自由は絶対ではなく、コミュニティという観点から大きく制約されなければなりません。コミュニティと言ってもいろいろあります。何人か人が集まれば、コミュニティが形成されます。あるいは国ができれば、それがコミュニティです。また地球を考えれば、地球に生きているもの全部が1つのコミュニティを形成しているとも言えます。いかなる段階であれ、そこで、社会調整を行おうとするならば、社会全体の維持、保全という全体的価値観点から物事を考えていくことが必要になってくると思うわけです。これは全体主義的な発想かもしれませんが、これから将来に向けて、そういう、共同体主義的発想への転換が、人口問題を考える上でも必要となってきているのではないかと考えている次第です。
 
広瀬:
 坂本先生、ありがとうございました。以上をもちまして、第1部、第2部の講演を終わらせていただきます。ここで、黒田俊夫先生から、総括をしていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。







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