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第5章 造船技能教育制度
 前章まで見てきたとおり、造船業界における技能の継承と維持が大きな問題になりつつあることは言うまでも無い。
 当部会は、平成13年度報告書において、造船業界全体の共有財産としての技能者を効率的に活用し、業界としての競争力を維持するための3本柱の一つとして技能の育成教育制度を提案した。この提案をもとに今年度、当部会は造船の現場における技能教育のあり方について調査・検討を行ってきた。この過程で明らかになったことは、中小造船業において技能の空洞化は非常に顕著に、しかも例外なく見られ、5〜10年先には重大な事態になるであろうということである。早急に技能教育制度などの対策を実施することが必要になっている。
 
 技能継承の本質について考え、現状との対比のなかから問題点を探り、対応策として技能教育の必要性と今後のあり方を概観する。
 
(1)技能とは何か
 
 組織能力は知識、文化、技という形で作られ、伝承される。文書で残せる知識の伝承は容易だが、文化や技の伝承は難しい(日経、神戸大 加護野教授)。
 
 造船業における現場組織での“技”は技能である。技能は言葉では伝承されない。仕事場で仕事をしながら伝承するしかない。一方、技術は“知識”であって文書によって保存し、伝承することができる。
 こう考えると、設計は技術であり、現場作業は技能である。技術と対比してこのように定義づけることで、技能の特徴がはっきりと見えてくる。
 造船業の現場作業は、さまざまな職種によって分業化されている。分業の目的とするところによって、個々の作業は可能なかぎり単純化・単能化されてきた。さらに機械化・自動化へと進化していく過程で、技能はその質を変えていった。最近は単能化された作業を見直して複合化・多能化する動きもある。
 このように多様な作業に必要な技能は、講習会の受講や独習により比較的短期間に習得できるものと、長期間にわたって仕事場のなかで仕事をしながら伝承されるものとに分かれる。ここで問題となるのは、後者の技能である。
 
(2)技能はどのように伝承されてきたか
 
 技能は小さな集団(実践共同体)のなかで協働作業を通して先輩から後輩へと伝授される。技能は身体知であり、臨機応変に使えなければならないから、仕事場で仕事をしながら伝承するしかない。言葉として伝えるだけでは技能は伝承されない。
 技術の伝承はできても技能の伝承には苦労している。技能は一度失われてしまうと回復には時間がかかる。永久に回復できない場合すらある。
(日経、神戸大 加護野教授)
 
 造船技術の進歩のなかで身体知である技能の一部は、文書化され機械化・自動化され、IT化されて、その特徴を“技術”へと転換していった。また工器具を発達させ、進歩した計測技術を作業のなかへ組み入れることによって、技能の単純化・簡易化が実現されていった。部材・部品の精度向上、機械装置の発達も伝統的な技能の難しさを解決していった。しかしながら、未だにいくつかの技能は、実践共同体のなかでの協働作業を通してしか伝承されえないでいることも事実である。この実践共同体の崩壊もしくは変質が、技能の伝承を阻害する大きな原因となっている。
 
(3)本年度の調査によって判明したこと
 当部会は本年度、全国8社の当会傘下の造船所において、協力会社を含めて技能の伝承に関する問題点についてさまざまなヒアリングを行った。
(1)問題点
a. 年齢構成
 永年にわたる不況のなかで造船会社は、新規採用者数を削減したりリストラなどをすすめながら従業員数を減らしてきた。行過ぎた削減を是正するため、近年には新規採用を再開している会社もあるが共通していることは、年齢構成がアンバランスで50才代が多く、30〜40才代が少なく、20才代が若干数という風に偏在していることである。
 この年齢構成のいびつさは、当然技能の階層も中抜きの状態になり、年代の違いによる連帯感の欠如も相まって技能の継承の難しさを助長している。
b. 技能の偏在
 その結果、高いレベルの技能は50から60才台の比較的高齢な現業員に依存することになり、5〜10年先には全国的に大きな問題になってくることは間違いない。このことは、ヒアリングを行った全ての造船所が異口同音に問題視していながら、有効な対策を見出せないままになっているところである。
c. 貧弱な教育
 技能の空洞化をカバーする唯一の手立ては教育による未熟者のレベルアップであることは言うまでもない。
 厳しい経営環境の中で企業は永い間、考えつくかぎりの合理化活動を細部に渡り徹底的に続けてきた。そのため、ともすれば現業の組織活動のなかで教育を行う余裕を時間的にも精神的にも奪っていった。必要最小限の資格取得のための教育のみを行い、OJTとは名ばかりで実質的には現場作業のなかに若い現業員を放置して、技能向上のシステマチックなフォローアップなどは行われていないのが現状である。新入社員教育でさえ、充分に行われているとは言い難い。
d. 造船所と協力会社
 操業の激しい山谷が永続するなかで、自社の現業員数を減らして協力会社への依存度を増すことが当然のこととして行われてきた。そのため、造船所の社員である作業員(本工)と、協力会社の社員である作業員(協力工)とが混在しながら同じ作業を行っているケースが非常に多い。この場合、仕事の実践共同体内の協働意識のあり方や教育のすすめ方は、当然、従来とは異なったものになる筈である。また後述するとおり、仕事を全面的に協力会社に依存しているケースも数多くあるが、いずれの場合においても上記aからcの三つの問題点は、造船所と協力会社の両方に同じように現れている。
(2)教育制度の実態
a. 新入社員教育
 現業系において特に新卒者の教育は、基礎的な安全教育、技能教育のみならず社会人教育、企業人教育が必要とされる。
 ほとんどの会社では、一般的なオリエンテーションを済ませたあとは現場へ配属し、安全教育をはじめ初歩的な技能教育は現場での仕事のなかで行われている。システマチックなフォローアップなどは望むべくもない。
b. 技能向上の教育
 溶接の技能資格やクレーン操作、重機操作の公的資格を得るための教育訓練は、社内社外の訓練所において行われているが、大部分の職種における技能の習得とレベルアップはOJTによるとされている。
 このOJTは、技能レベルの階層化ができている組織のなかで、しかも時間的精神的な余裕を持つことによってはじめて有効になるが、現実がそうではないことは前述のとおりである。その結果、多くの人が指摘しているにもかかわらず、若年層の技能のレベルアップは有効な対策がなされないままになっている。
(3)問題とされる技能
a. 多くの造船所が挙げているもの
・船殻:撓鉄、歪取り、外業取付、外業ブロック位置決め
・艤装:配管、仕上げ(機関部、甲板部)
 これらに共通していることは、技能の習得に時間がかかるということである。溶接作業や内業作業などは、現場作業のなかで非常に大きな部分を占める主要な技能であるが、問題は指摘されていない。
 いわゆる年季がかかる技能ではあっても、協力会社にその主体をまかせてしまっているものは、ここには挙げられてはいない。それらは特に、艤装工事のなかに多いがこれについては後で述べる。
b. 異種の技能
* 図面の読解
 作業合理化の歴史のなかで現業作業の効率向上のため、図面の読解に要する時間をいかに少なくするかの工夫がなされてきた。必要部分のみを簡明に表現し直したり、罫書きというステップを入れたりしてきた結果、非常に多くの作業が図面を見ないでもできるようになっていった。
 このようなステップを挿んでも全体の効率が向上しない作業については、仕事を始めるにあたって直接、設計図面の読解が必要となる。図面の読解は、頭脳活動ではあるが、重要な作業であり、技能の一部分である。この習得には、簡単なものから非常に時間がかかるものまで、さまざまである。罫書き、電装の配線・結線などは図面の読解が技能の大半を占めるといっても過言ではない。
* 機械の操作
 IT化が進むにつれて、本来簡単に習得されてきた工作機械や工具の操作が、さほど簡単ではないものが現れてきた。
* 現図
 現図作業の大部分はCAD/CAM化され、従来の原寸現図場での作業や、卦書用の型板の製作などは今や見ることさえ難しい。現図は、頭脳労働ではあるが設計作業とは言えない面があるため、組織的には現業の一部分になってはいても、IT化の進んだ現在では技能と言うよりは技術の一つ、つまり設計の一分野になってきた。
 しかし、現場の仕事のなかには作業を理解する上で、展開などの知識が必要なものがあり、ここでは技能のレベルアップのために現図の教育は欠かすことは出来ない。
* 修理・改造
 修理・改造における技能は、新造における基礎的な技能をその場の状況に応じて組み合わせたり、応用したりすることが多く、豊富な知識と経験が要求される。勿論、新造にはない特有の技能もたくさんあり、これらも永い間の経験を経ないと習得できないものが多い。
(4)造船所内に保持されていない技能
 造船の永い歴史のなかで、いわゆる難度の高い技能でも、次第に社外にその主体を移していって、今や造船所内に存在しないものがある。それらは居住区艤装、電装、塗装など、艤装工事に多く見られ、管製作や配管作業にもこの傾向が見られる。
 これらの作業は、船殻工事に比べて工事量が少なく山谷がある上に、他の産業に類似の作業があって、作業員の互換性があるということが、社外へシフトされていったそもそもの所以であろう。しかしながら、それを引き受ける社外の会社にとっては、一つの得意な分野に特化することによって作業現場(造船所)が広がり、作業量を定常的に確保しやすくなるという利点が生まれる。
 一方では、造船所が知らぬうちに作業の一部が二次下請けに出されていて、技能の主体が所在不明になっていたなどという例もあり、これからも注意を要するところである。
(5)造船所内に保持されている技能
 素材を加工することから始めて、これを船の形につくり上げる船殻工事は、そのほとんどが造船所のなかに技能の主体がある。
 多くの艤装工事が技能の主体を造船所外へ移されていっているなかで、甲板部や機関部の仕上げ作業については、船の機能の保持は造船所が主体的に責任を果たすという観点から、社内になくてはならないとされているところが多い。しかし、その中ですら主機・軸系などの加工外注は増えていく傾向にある。
(6)外国人労働者の採用
 かなりの企業が研修生として中国、フィリピン、インドネシアなどから多くの外国人を受け入れている。2〜3年の短期間ではあるが優秀な労働者が集まりやすく、有力な戦力として重宝されており、近年、次第にその数を増している。従事している作業は、主に溶接や塗装における単純作業である。
 
(4)今後の方向
(1)教育
 憂慮すべき現状については先に述べたとおりであるが、ただ企業を説得したり叱咤激励するだけでは、この状態は解消されない。企業が自主的にも経済的にも受け入れやすいように、OJTをアシストする仕組みを企業の外部に設けることが必要である。すなわち、単独企業にまかせず、地域ごとの企業グループの連携によって共同事業としてことに当たり、これを公的資金によって援助していくことを考えるべきである。
 国の施設として全国に職業能力開発促進センター(ポリテクセンター)があるが、その性格上、普遍的な職能訓練が主であるため、利用が非常に限定されている。
 そこで造船特有の技能の訓練を目的とした施設を、特定の地域ごとに創設することを提案したい。これについては次節において詳しく述べる。各地の造船所でのヒヤリングにおいても、そのような施設が出来れば利用したいという希望は非常に多い。
(2)アウトソーシング:専業企業化
 艤装工事を中心に技能の主体が造船所以外の協力企業に移りつつあることは、先に述べたとおりである。このような企業においては、専業会社として技能の維持と継承は、その存続の基盤であることから、社員の年齢構成や技能教育には行き届いた配慮がされている。これらのなかで力のある企業は、活動拠点を次第に広げていって、全国ネットで営業しているところもある。
 そのほとんどが艤装関係の協力企業であるが、最近では船殻工事のなかにもこのような動きが見られる。
 多くの造船所が作業量の山谷に喘ぎながら、社内外の技能者を寄せては返して汲々として仕事をこなしていっているが、分散している技能者を地域的な連携によって、いくつかの専業の企業に再編成してことに当たるほうが、将来的により希望の持てる建設的な対処の仕方であると言える。
 小さな企業の方が、経営者の強力な指導力とユニークな経営方針が組織全体にくまなく行き渡り、活気に満ちたものになりやすい。このような状況はいくつかの造船関連企業において見受けられたことである。
 以上のように、アウトソーシングには仕事を依頼する企業、受ける企業、仕事をする人たちの三者にとって、大きなメリットが生まれる可能性をもっている。専業企業化することによって、技能のレベルアップもより促進されるであろうし、コスト競争力も強まり、年齢構成も改善され、技能の継承問題も解決しやすくなる。実現までには幾多の困難はあろうが、現状の逼塞した状況を打開する一つの方向として、今後検討するに値ある仕組みであろう。
(3)生産現場における管理の変質
 外注依存率が高まりアウトソーシングが増加すれば、本工と協力工、造船所と協力会社、協力会社同士の相互間で工程や技能の連続性が分断され、工程の確保や品質のレベル合わせの面で生産管理上の新しい問題が生ずる。
 従来のように、高い勤労意欲と強い連帯意識によって結ばれた現場同士の話し合いによって、状況に応じて妥協的に行われていたスケジュール調整などは、これからは望むべくもないであろう。また従来、職長とか作業長は、技能職の頂点として品質、配員、工程などの管理を行ってきた。技能伝承のキーマンは彼等であったはずである。現在でも基本的には変わっていない職場もあるが、年齢構成の変化、社外工主体の現場といった環境の変化から、現場の管理が変質してきている。
 永年同じ作業現場で育ててきた部下もいないなかで、どのように技能のレベルアップや職場のモラールアップ、モチベーション、技能の伝承などを実現していくのか。現実は、現場での作業経験をほとんど経ないで、最初から現場の管理をまかされる人達が増えている。
 アウトソーシングの増加、外国人労働者の採用などといった従来にない状況の変化も加わったなかでの現場の管理監督者の資質、役割、育成なども、今後の重要な検討課題である。
 今まで以上に、視野の広い実践的な技術者や幅広い実務経験のある熟練技能者の必要性が、高くなってきているといえる。







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