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Session 4-3
海の安全保障と国際協力
夏川和也
 
 地球表面の71%を占める海、われわれ人類はこの海からさまざまな恩恵を受けつつ繁栄を維持し、発展を遂げて来た。
 海を通行の手段として使用し物を動かす物流は他の物流手段を圧倒し、将来もその地位を保ち続けるであろう。また、国の平和と安全を守る安全保障にも大きな役割を果たして来た。海から獲れる魚は国によって異なるものの、人類が生存して行くために必要な大きな蛋白源である。また、近代科学の発展により石佃や鉱物資源の供給源としての地位を少しずつ高めつつあり、やがてその重要性は飛躍的に大きくなるであろう。それ程遠い昔ではないが、海が地球環境の保全に大きな役割を果たしていることも明らかになって来た。
 恩恵があれば、それを阻害するものも登場してくる。
 かつては、海上交通を阻害する破壊行為、海賊、船舶の事故が主であったが、最近はこれらにテロ行為も加えなければならないだろう。そして、資源の分野においては乱獲があり、環境については汚染が大きな問題となって来ている。
 海の安全保障とは、海を安定的に使用し、海からの恩恵を享受するための方策と捉え、以後論を進める。海の恩恵には関係しないが、海を利用してあるいは海の利用の結果として人類に害を為す行為、すなわち麻薬を主とした密輸、事故による汚染、海上からのテロ行為等の排除も、安全保障を広く捉えれば含めて良いだろう。
 
現職 日立製作所特別顧問
学歴 防衛大学校卒
 海上自衛隊入隊。パイロットとして航空部隊等で勤務した後、海上幕僚監部人事教育部長、佐世保地方総監、海上幕僚長、統合幕僚会議議長を歴任し、1999年に退官(海将)。防衛、安全保障の学会や研究機関などで活躍中。
  
 
1. 海の安全保障の特性と考慮事項
(1)総合的考察が必要
 沿岸国は、物理的な境界なしに海によって連なっている。ゆえに、海からの恩恵を享受するにしても、それを阻害する要因を排除するにしても、各国は必然的に関連づけられるのである。
 人類の繁栄を支える海上の物流は、まさに各国が海を仲介とし、その海を自由に航海できるという条件の下に成り立っているものである。船舶の行動は全地球的であり、広大な海域を航行する。その船舶の安全を確保することはとても一国だけでなし得るものではない。また地理的要因ばかりでなく、便宜置籍船やサブスタンダード船等を考えれば、船の運航自体に多くの国が関わっていることが分かる。
 人類の重要なタンパク源である魚にしても、1ヶ国の沿岸に付属しているものではない。隣国との間を自由に往来するであろうし、大洋を回遊している魚類も多い。その魚を獲るにしても、保護するにしても、全ての国が関連してくる。
 
 漁業資源の枯渇は乱獲と環境破壊によるが、乱獲した結果が魚の投棄とそれに伴う腐敗による環境破壊に連っている例や、船舶の事故と環境問題が関連するように、阻害要因同士が密接にからむものである。
 また、海からの恩恵を規律を持って享受すべく設定された国連海洋法自体が、群島理論と自由航行の問題のように新たな摩擦を起こすという一面もある。
 さらには、海の安全保障を海からの恩恵とそれを阻害する要因とした場合、ともすれば経済・社会・環境活動に目が向けられがちであるが、そうではない。海軍力は海上交通破壊の排除には必須であるし、海洋の安全利用を支える重要な力であり、また海洋問題に利害を有する当事者でもある。
 このように考察してくれば、海の安全保障には全ての国、全ての事柄が関連しており、総合的に考える必要のあることが分かる。まさに名題にあるとおり、国際協力なくしては、なし得ないものなのである。
 
(2)国によって事情が著しく異なる
 海を盛んに利用し繁栄をしている海洋国もあれば、海に面していながらその活用が十分でない沿岸国もある。前者は自由な使用を主張し、後者は与えられた権利を主張する。また沿岸国の中には、権利と同時に果たさなければならない義務の履行が十分でない国が多い。海に関係する国の国力はさまざまであり、考え方もさまざまである。もう少し実状を観察すれば、貯蔵施設や冷凍トラック等のインフラがないため、獲った魚の3割を海中投棄し、海洋汚染の原因としている国や、経済状態の悪化から警備能力を大幅に低下させた国等、海に関心はあるが国力の伴なわない国もある。船の解体を一手に引き受けているが、解体に伴う廃油等を海に流している国のように国力が低く、関心もない国もある。海洋の自由航行と深海海底開発に拘り、国連海洋法を批准していない国のように、国力もあり関心もあるが、自国の事情により独自の道を歩む国もある。また、海洋法の解釈か異なる国同士の争いもある。
 国力が異なり、考え方も異なれば価値観も異なるのであり、畢竟、海の安全保障に対する姿勢も異なってくるというものであろう。
 
(3)海を「人類共通の財産」として捉えられるか
 国連海洋法条約は幾多の変遷を経て、1982年に採択され、1994年に発効した。バルドー氏が提唱した「海は人類共通の財産である」という新しい理念、すなわち「人類の共通の財産という法的地位を海に与え、それによって海の平和を維持し、海の資源を合理的に開発して人類の生き残りを図り、海洋環境を地球全体のレベルで本格的に考える」ということを根底に、持続可能な海洋資源の利用と地球生命の維持に必須の海洋環境の保護および海洋を巡る紛争の平和的解決について規定している。地球環境問題、南北問題等いわゆる従来の国家を基本とした考えでは解決できないことに、解決の光を点したものであり、その理念は素晴らしく、国連海洋法が海を律することに大きな役割を果たしている功績は評価できる。
 一方その成立過程を見れば、各国の意識・主張には大きな隔たりがあり、会議は先進国と発展途上国の対立、開発途上国の中の沿岸国と内陸国の対立、軍事戦略上の対立といった状況下で議論が行われ、その結果できあがった条文は妥協の産物であり、曖昧な表現もある。また条約発効以来、権利は主張するが義務は果たさないという国も多く、条文の解釈の違いということもあり、これらが自由航行、領有権の問題を複雑にする等、新しい問題を引き起こしている。
 「海は人類共通の財産」であることの本当の意味を各国が認識し、意識して行動するならば、この様な事態にはならない筈である。すなわち現時点では、各国が海を「人類共通の財産」であると捉えているとは言い難い。
 
(4)国際社会を律するものは条約か、力か
 条約(法)か、力(政策)か。欧米の国際法は力(政策)を基本とし、我が国は条約(法)に重きを置くと言われているが、突き詰めれば、国際社会を律するものは力(政策)とするのが一般的である。
 国連海洋法は1994年、批准国が規定の数に達し発効したが、すでに述べた如く種々の問題があり、そこで働いているのは、国家間の問題としての力(政策)なのである。また大国を含めて批准していない国もあり、国連海洋法が海を律しているとは言えない。このままでは、国連海洋法を作り上げた努力は水泡に帰すかもしれない。
 国際社会を律するものは、突き詰めれば力(政策)であることは念頭に置かなければならないが、そもそも両者を厳しく対立させることはない。条約(法)だけで国際社会を律することは難しく、条約(法)を強制する力が、国際社会にその条約(法)を遵守しようという共通の認識がなければならない。一方、力(政策)だけで国際社会を律しようとすれば、国際社会の秩序は乱れ、国家という概念を飛び越した問題に対処していくのは難しくなる。両者共に難点があり、対立させているかぎり問題は解決しない。
 従って、海の安全保障を確立するためには条約(法)と力(政策)との融合が必要であり、そのためには、国連海洋法に力を与えなければならないと考える。強制する力を与えることは現実的でない以上、国際社会が国連海洋法に対して共通の認識・意識を持てるように努力しなければならない。また各国の力(政策)を可能な限り、条約に沿ったものにする努力をすることである。そのための方法も同様に、海洋法に対する適確な認識を持つことだと考える。
 
(5)共通の認識
 海の安全保障は総合的に考えなければならない。また海は「人類の共通の財産」と考えるべきである。とするならば、従来のように国単位で物事を考え、自国の利益のみを追求するということでは全うし得ない。
 「海は人類の共通の財産」であるということを理念とするならば、当然、海は世界共有の公共財であるという認識がなければならず、海から恩恵を受けるという考え方、すなわち権利の立場からだけで海を見るべきではなく、海を如何に管理するかという、すなわち義務の立場を合わせ考えるべきである。また、海洋国が力に任せて利益を追求すべきでもない。沿岸国が権利にのみ重点を置いた無理な要求をすべきでもない。国際社会が協力して物事にあたるという認識がより一層強く求められるのである。
 権利と義務、自由と管理、単独と共同について各国が共通の認識を持つ必要がある。







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