4 新たな安全保障の概念:“海を護る”
海の環境と平和を破壊する複合型脅威
1997年、NATO軍が、自然環境の悪化が安全保障環境を不安定化させる事態を想定した図上演習を実施したと聞く。演習のシナリオは、政治・経済の混乱から小規模な暴動が頻発している欧州の旧東側国家で、河川の汚染と酸性雨による被害から農地が荒れ食料が枯渇して難民が発生、同国との間で民族問題を抱える隣接国が軍事行動を起こす兆候があるという想定で始まり、NATO軍を派出した場合の影響などについて分析検討したそうである。また、アメリカのCIAの環境センターが、環境と結びつく可能性のある安全保障上の問題を分析し、気候変動によって生じる水不足が、水源を共にするトルコ、シリア、イラクの間などで武力紛争を巻き起こす可能性があるとの結果を得たとも聞く。
自然環境の破壊は、資源を枯渇させ地球生命生存のメカニズムを狂わせ、安全保障環境の悪化との相乗作用を引き起こし、自然と人間の双方に起因する脅威が合体した複合型脅威となって襲い掛かる。これこそ、現代の安全保障上最大の問題ではなかろうか。このような事態は、環境対策、資源対策、軍事対応といった縦割りの考えでは絶対に予防できない。軍事対応の側面から見た場合、抑止や侵略への対応といった従来からの軍の任務・役割だけでは発生を阻止することは困難である。国家と国際社会のあらゆる組織を活用した環境と平和を維持するための取り組みと、そこにおける新しい軍事の役割の追加が求められる。
海洋にも、複合型脅威のシナリオは想定できる。複数の国家が島嶼の領有権を主張し、そのため排他的経済水域の境界が画定できない海域にある貴重な漁場で、乱獲合戦と陸上起因汚染によって資源の枯渇が進んで武力紛争が生じ、武力紛争が更なる環境悪化を招くといった事態もあるだろう。宗教的あるいは民族的対立があればテロが海洋環境破壊を企てることも想定できる。海洋の自然環境と安全保障環境を安定化するためのあらゆる主体を活用した取り組みが必要となろう。海軍力にも、複合型脅威に対応する、あるいは発生を予防する任務・役割が与えられなければならない。海軍による環境と平和に対する両睨みの活動は、「開発−環境−平和」のテグレデーションを阻止するための貢献ともなる。
海軍の特質と役割
海軍は、機動性、外交性、そして平時から有事に至る幅広い任務に対応し得る柔軟性を有しており、環境と平和の安定に必要な予防的行動にも優れた能力を発揮できるはずである。戦争に至る前のそのような行動は警察の任務に属するとの考えもあるだろう。しかし、海軍には本来、「軍事」、「外交」、「警察」の3つの側面がある27。海軍とは別に沿岸警備隊等の海上警察を持つ国が多いが、そのような国においても、海軍から治安・警備の任務を除外してはいない。テロや海賊、あるいは難民対処において、海軍と沿岸警備隊が共同することは今や一般的である。むしろ、海上警察との共同を積極的に考慮すべきであろう。
海軍が保有する装備には、海洋の環境や生態をモニタリングできるものが少なくない。水上艦や潜水艦の行動には海流や海底地形に関する情報が必要であるし、潜水艦を探知するためには海水温度分布や音波伝播状況を把握することが必須であり、海軍はそのような知識が豊富である。付随的に、海洋生態調査に役立つような情報も収集できる。海軍が、訓練や監視任務の機会を利用して、海水温や音波伝播状況、異常気象などに関する情報を積極的に収集し海洋環境や生物資源に関わる情報中枢に配布することもできるだろう。
(拡大画面:5KB) |
 |
“海を護る”概念と「管理の海洋世界」
海洋における環境の保護と平和の維持は、「管理の海洋世界」において“海を護る”という新しい安全保障の概念として認識されなければならない。“海を護る”ためには、海洋に関わる様々な力を総合することが必要である。複合型の脅威には力の総合で対処しなければならない。国家には、警察力、海軍力、資源管理力、環境保護力、科学技術力、海運力、外交力など、海洋に作用し得る様々な力があるはずだ。これらの力を“海を護る”ためのシステムとして統合し、海洋の「開発−環境−平和」の循環をモニターし必要な対応をすることが重要である。
(拡大画面:9KB) |
 |
かつてマハンは、国家が海洋を利用し得るすべての力をシーパワーと称した。それは、「海洋自由の海洋世界」に普遍する考えとなった。新しい「管理の海洋世界」において、シーパワーは、海洋を管理し得るすべての力、と定義されなければならないだろう。そこにおいて、海軍力の意義には、伝統的なシーコントロールと共に“海を護る”ための貢献が加わることになる。
“海洋を護る”安全保障は、国際協力が必須である。複合型脅威は国境を越えてすべての国に影響を及ぼすからだ。そこにおいて、地球規模、あるいは地域的な海洋の総合管理レジームの中に、海洋利用国家と沿岸国家に共通する認識としての海軍の意義・役割を位置づけることが必要となるだろう。それが、国際協力と予防的アプローチをもって、海洋の持続可能な利用と海洋を巡る紛争の平和的解決を図ることに繋がる。更にまた、危惧されている沿岸国家による「海洋分割化」や、沿岸国家による国家管轄水域に及ぼす管轄権の限りない増大“Creeping Jurisdiction”と伝統的な海洋利用国家による“Seapower”との紛争を収拾し得るかもしれない。
エピローグ:Ocean Peace Keeping 再考
1996年から2000年に掛けて、防衛研究所の研究員が中心となって、海洋の資源保護と安全保障環境の安定化を図るための海軍活動を、“Ocean Peace Keeping”、OPKと呼称し提言したことがある28。研究では、OPKの具体的な一例として、海軍力による海洋資源・環境保護のための共同監視活動が提示された。これは、海洋資源・環境保護のための地域的な取極等に基づいて派出された地域各国の海軍艦艇あるいは航空機が、それぞれの国家管轄水域を横断して資源・環境に関する取極の遵守状況をモニタリングするものである。例えば、対象となる海域で、いつ、どこの国の漁船が何隻操業していたか等をモニターすると共に、航行船舶による不怯投棄、汚染などの有無を調査し、併せて海象や赤潮発生等の情報を収集するといった活動である。収集情報は、関連する機関等に送付され、取り締まりは関係する各国によって為されることになる。各国の艦艇等が実質的にプレゼンスするところから、海賊やテロの未然防止にもなると考えられた。
国連海洋法条約に基づき膨大な国家管轄水域を宣言したものの、自国で管轄すべき海域の資源・環境を保護し得る十分な能力を有しているとはいえない国が多い。大洋を回遊する魚種や複数の国家管轄水域に跨って生息する魚種の管理、海流に乗って広範囲に拡散する海洋汚染の防止などは、国家管轄水域ごとに線引きしてできるものでもない。海洋資源・環境の保護には、安全保障協力の概念の適用が必要と考えられたのである。排他的経済水域等を宣言しているものの、OPKに参加させ得る艦船や航空機を保有していない国に対しては、保有する国が代って派出できる制度とすることも提唱された。
国際海洋年に当たった1998年、海洋問題世界委員会が、Ocean Our Futureと題する報告書を纏め国連総会に提出した29。この、0cean Our Futureの第1章「安全保障」には、OPK構想が紹介されている。OPK構想は、今こそ再考の要があろう。
安全保障戦略は、国際関係や軍事的脅威なとの見積もりと共に、地球環境メカニズムの常続的なモニタリングを通じて策定されるべきであろう。
27 |
Michael Pugh, Jeremy Ginifer and Eric Grove, Maritime Security and Peacekeeping (Manchester and New York: Manchester University Press,1994), pp. 10−12.を参照。 |
28 |
OPKについて詳しくは、拙稿「新たな安全保障の概念「海洋の安定化」」『波涛』(1997年3月。通巻133号)。 |
29 |
The Ocean・・・Our Future, Report of the Independent World Commission on the Oceans (Cambridge: Cambridge University Press,1998). |
|