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Session 4
総合検討会
Session 4-1
海洋における環境と平和の回転軸
Session 4-2
海洋の安全保障と国際協力−中国の視点−
Session 4-3
海の安全保障と国際協力
討議概要
 
Session 4-1
海洋における環境と平和の回転軸
秋元一峰
 
プロローグ:持続不可能な文明
 5000年前、メソポタミア文明が発祥して1000年ほど経った後、ユーフラテス川下流の都市国家ウルクのギルガメシュ王が、現在のレバノン辺りに遠征し森の神フンババを倒してレバノン杉を手に入れた。人類最初の楔形文字で書かれた『ギルガメッシュ叙事詩』である。それより以前、1000年の歴史の中でメソポタミア文明はチグリス、ユーフラテス川流域の森を伐採し尽くしていた1。メソポタミアの繁栄を維持するために必要な木材資源を獲得するため、ギルガメシュは長駆レバノンまで攻めたのである。レバノン杉はエジプト文明にも関係する。ナイル川流域から森が消滅し始めると、古代エジプト人は北方の地にあったレバノン杉を求めた。クフ王のピラミッドから発見された「太陽の船」はレバノン杉で作られていた。黄河流域でもやはり森林破壊の跡がみられるという。古代文明の発展と終焉は森の伐採と破壊と共にあったといえよう。
 歴史に登場する最初の海洋民族、古代フェニキア人は、レバノン杉で船を作っていた。彼らは、『ギルガメシュ叙事詩』とほぼ同じ時代からレバノン杉の船で地中海に乗り出し、紀元前1200年頃には、既にジブラルタル海峡を抜け、アフリカ西岸から喜望峰を回ってアラビア海に達していたという。
 乱伐により消滅の危機に瀕したレバノン杉は、今、レバノンの山中に過去の豊かな森の痕跡を僅かに残すだけである。森が破壊されると土壌侵蝕が始まり農地が荒廃する。山から森が消滅すると陸からの栄養源が断たれ沿岸の海もまた死滅する。
 やがて文明の中心はメソポタミアから東地中海に移動するが、メソポタミアやエジプト文明の影響を受けて既にこの地域は山も海も枯れていた2。このため、古代ギリシャは食料の自給ができず、食料輸入のために地中海にシーレーンを確保することが必要となった。紀元前480年のサラミスの海戦は、東地中海に安定した航路を確保したいアテネと大陸国家ペルシャの間で生じた歴史上最初の海上戦闘となった。
 凡そ440万年前、アフリカの大地に降りたった猿が人類への旅を開始する。人類は移動しつつ進化した。より豊かで安全な生活を手に入れるための人類の移動は海洋を舞台としても繰り広げられた。海を移動する民が交易によって経済的発展を遂げ、海洋国家が繁栄の道を辿る。しかし一方で、人類の移動は環境の破壊と戦争を引き起こしてきた。歴史上に見る文明の興廃は、環境と平和の破壊が人類社会を持続不可能な発展の袋小路に入り込ませることを示唆している。
 
現職 SOF海洋政策研究所参与、秋元海洋研究所所長
学歴 千葉工業大学卒
 海上自衛隊入隊。海上自衛隊幹部候補生学校卒。アメリカ海軍第7艦隊連絡幕僚、海上幕僚監部調査部情報班長、防衛部分析室長、第2航空群首席幕僚、防衛研究所主任研究官を歴任し、2000年退官(海将補)。海洋の総合管理や海洋の安全保障に関する分野で活躍中。
  
 
1 今、海に生じていること
流氷と沈黙の海
 南極のペンギンに異変が起きているという。氷上で生活するアデリーペンギンの個体数が減少し、海水部で生息するチンストラップペンギンが増えているとの調査結果かあるそうだ3。南極の氷の減少を意味するものだという。
 45億年前、地球に海が生まれた。5億年を掛けた海水の攪拌が波打ち際に生命を誕生させた。初期バクテリアの光合成によってオゾン層が形成され、地球が生命に適した環境を得ることになった。海表面にある植物プランクトンが二酸化炭素を光合成し、その植物プランクトンを動物プランクトンが食用する。それを小型魚類が食用し、それをまた大型魚類が食用する。海の二酸化炭素吸収量は陸上のすべての植物の吸収量に匹敵するという。それが地球の気候を安定させ海洋生物のバランスを維持しているのである。ところが近年、海のプランクトンに異変が生じ、気候と海の食物連鎖に影響を与えているという4。その例として、二酸化炭素を放出する円石藻の異常発生が指摘されている。藻類の異常発生や赤潮は、農業用肥料の流出などによる沿岸域からの栄養塩負荷の増大と、海水温度の上昇が主な原因と考えられている。栄養塩負荷の増大は海洋汚染に起因するものであり、海水温上昇は地球温暖化と密接に関連しているとみて間違いないだろう。なお、プランクトンについては未だ解明されてないところか多く、体系的な研究の必要性を訴える論調もある5。プランクトンは海洋環境メカニズムの基点であり、システマティックな研究が待たれる。
 地球温暖化を温室効果ガスとの関係から試算すると、350PPMある現在の地球の二酸化炭素量は2100年に700PPMとなり、その結果地球の温度は1〜4.5度C上昇するという6。過去100年間で、地球の平均気温は0.3〜0.6度Cほど上昇しており、それによって海面は10〜20センチ上昇している。地球温暖化がこのまま進むと、つまり、今後100年問で二酸化炭素量が700PPMまでになると、北極と南極の氷解が進み、海面は50センチほど上昇するという7。さらに深刻な事態はメタンハイドレードの大気への放出だと言われる。メタンハイドレードは、メタンが水の分子と結びついたものであり、500メートル以下の海底に10兆トンあると推定されている。ノルウエー沖に、3500億トンのメタンハイドレードが8000年ほど前に噴出した痕跡があるという。8000年前は、地球が温暖化した時期である。メタンハイドレードが大気中に大量に放出されると、地球温暖化は一気に加速されることになる。
 インド洋の島嶼国家モルジブ共和国は、この10年間で、1校しかなかった公立学校が50校になり、平均寿命が1.5倍に伸びるなど輝かしい成長を遂げているが、国土が消滅するかもしれないという途方もない苦悩を抱えている。モルジブ共和国は1200の島嶼から成り立っており、平均標高は1.5メートルである。このまま海面上昇が続くと、モルジブ共和国の島々は水没の危倶に瀕するという。モルジブ共和国にとって地球環境を安定化させることが「国防」なのである。国境を越えた環境破壊というグローバル・イシューが、国境を越えた安全保障上の脅威となっている。この様な危倶は南太平洋にもある。例えば、ツバルの平均標高はモルジブと同じく1.5メートルである。ツバル政府は全国民11000人のオーストラリアとニュージーランドヘの移住を求めている8。「環境難民」である。
 北大西洋グリーンランド沖から始まる深層海流は、3000メートルの深海を2000年ほど掛けて地球海洋を巡る。この流れによって平均気温15度Cが保たれている。今、北極の氷と塩分濃度の減少によって深層海流の落ち込みが弱まり、1000メートルまで浅くなっているとの観測がある9。深層海流の変化は予想もつかない気候変動を齎すことになるという。
 地球はその表面の71%を海洋によっておおわれている。単純に言えば、地球環境の71%は海洋が支配している。この星は地球と呼ぶよりは水球と呼ぶ方が相応しい。海水温上昇は地球温暖化との相乗作用の中で加速され、「流氷の海」となって海の生態系に大きな影響を及ぼす。海水温上昇も地球温暖化も大気と海洋の汚染が大きな原因であろう。汚染は乱獲と相俟って海洋資源を破壊する。後に述べるように、世界の主な漁場で漁業資源が減少している。乱獲と汚染がその主因である。水産庁が発表した『2002年度資源評価』によると、日本近海でイワシとサバが激減している。日本海側が特に顕著で、最盛期の1989年に年間60万トンの水揚げがあったものが、2001年は1400トンに落ち込んでいる。推定資源量は2300トンに過ぎない。太平洋側でも最盛期の100分の1以下となっている。既に枯渇しているのだ。原因は乱獲と海水温上昇などの環境変化であるとされる10
 環境破壊と乱獲が進めば、鳥の啼き声のしない『沈黙の春』よりも先に「沈黙の海」11を迎えることになるだろう。海洋環境の安定化と資源保護は、地球人類の安全保障にとって最大のテーマである。
 
カオスの海
 1890年、アルフレッド・T・マハンは『海上権力史論』12を著し、「国家の繁栄はその国のシーパワーによって齎される」と説いた。マハンの謂うシーパワーとは、造船術、航海術、国民の海洋気質など、国家が海洋を利用し得るすべての力である。つまるところ、生産地と市場を結ぶシーレーンとしての海洋を利用し得る力を指している。さらにマハンは、シーパワーの中核として、海洋をコントロール(シーコントロール、制海13)できる海軍力の必要性を強調している。
 さて、1498年、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ってインド洋航路を啓開すると、東洋の産物を求めてポルトガルがインドや南シナヘの進出を始めた。それより以前、1493年、ローマ法皇がスペインとポルトガルによる新発見地の領有争いを調整するための「法皇の大教書」を発し、それに基づき、1494年にトルデシリァス条約が結ばれ、西経46度37分の子午線の東側がポルトガル、西側がスペインの勢力範囲となっていた。スペインが大西洋を西に進んでアジアを目指す間、ポルトガルは喜望峰回りでアジアに達した。これがヴァスコ・ダ・ガマの大航海である。スペインによるマゼランの一行は1521年に香料の島モルッカ諸島に到達する。トルデシリァス条約による子午線を東半球に伸ばすと、インドネシアの上を通る。東洋における利権を巡ってスペインとポルトガルが対立し、両国によるシーパワーの攻防が始った。
 この頃の東南アジアには、言わば「小宇宙」的な国々が散在していた14。例えば、アユタヤやバレンバン、アチェなどに王を中心として同心円的に広がる支配圏があり、その領域は王の支配力の尽きるところで終わっていた。支配者の居る円の中心に重心があって、重力の及ばない先は混沌の世界となっていた15。その混沌の海洋世界に入り込んできたのがポルトガルであり、スペインであった。その後オランダがシーパワーを急速に増大させ、東インド会社を設立して香料貿易を独占するようになったが、やがてイギリスが海軍力によってインド洋にシーコントロールを確立し、本国からアジアまで続くシーレーンを築き上げた。マハンがシーパワーの意義を見出したのは、そのような歴史の流れの中からであった。ここに、伝統的海洋国家の海洋戦略の原点があり、海洋における平和の問題の起源がある16
 イギリスのシーパワーはアメリカに受け継がれた。第2次世界大戦と東西冷戦かあった。この間、海洋国家のシーパワーと超大国の海軍力が世界の海洋に行き渡っていた。
 冷戦が終わり、世界のあらゆる海に展開していたシーコントロール可能な海軍力はその作戦重心を一部の沿岸海域に移動させ、外洋に力の真空地帯が生じるようになった。一方、伝統的海洋国家によって独占状態にあった海運や漁業に様々な国や主体が参入するようになり、海洋世界にボーダーレス化が進むようになった。その結果、大戦と冷戦の間に封じ込められていた危険や脅威が新たな形で顕在化してきた。また、国連海洋法条約によって海洋利用の法的基本構造が変化し、その実行において、沿岸国家と伝統的な海洋利用国家との間で海洋自由と海洋管理に関わる意見の対立が表面化し始め、食料・エネルギー需要の世界的な増大と相俟って、シーレーンや漁業を巡る全く新しい形の安全保障上の不安定要因が生じている。海洋は再び混沌の状況を呈するようになった17
 今、海洋の安定的利用を脅かす、あるいは安全保障環境を不安定化する危険や脅威として次のものを挙げることができるだろう。
・国家統一や独立あるいは領有権等を巡る国家間の紛争
・宗教や民族的反目のある国家における国内紛争
・国境を越えたテロや工作活動
・海賊などの海上犯罪行為
・海洋資源の取得権あるいは国家管轄水域の画定を巡る国家間の対立
・「海洋自由」と「海洋管理」を巡る国家間の意見の相違
 
 国家統一や独立あるいは領有権を巡る国家間の紛争が武力紛争にエスカレートし、海洋利用を脅かすシナリオとしては、中台間、韓半島、印パ間の紛争、南沙諸島を巡る紛争などで様々なケースを想定できる。宗教や民族的反目のある国家における国内紛争としては、インドネシアやフィリピンなどで国内対立が武力紛争にエスカレートして、群島水域やハブ港が封鎖や破壊される事態が考えられる。海上におけるテロは、蓋然性の高いものとして最も感心を払わなければならない脅威である。1985年のパレスチナゲリラによるアキレ・ラウロ号ハイジャック以降暫く大きな事件はなかったが、2000年になってから、アデン港における米艦コールヘの爆破テロやフィリピンのゲリラによる欧州人観光客の監禁事件、タミル・タイガーズによる警備艦艇襲撃など、海上テロが目立つようになってきた。コンテナ船や原油タンカーのハイジャック、ハブ港の占拠や破壊工作、さらにはLNG船によるハブ港への突入などが発生すれば、世界の政治・経済に甚大な衝撃を与えるだろう。海賊などの海上犯罪がテロと結び付く図式も考えられる。海洋資源の取得権あるいは国家管轄水域の画定を巡る国家間の対立は、今後、資源・エネルギーを求めて様々な国家が海洋への進出に感心を深めていく中で、武力紛争へとエスカレートする大きな危険性を孕んでいる。
 さて、永い間海洋は領海と公海という単純な法秩序のもとで規制されてきた。広い公海で、海洋国家は「海洋自由」のもとに経済的な繁栄を得てきた。国連海洋法条約が発効し、沿岸国による主権的権利や管轄権が及ぶ排他的経済水域や大陸棚などが規定され、海洋には「海洋管理」の概念が導入された。国連海洋法条約の定める国家管轄水域は、持続可能な海洋利用のための資源に対する主権的権利と環境保護などに関わる管轄権を沿岸国に委託する水域である、と理解すべきものであるが、発展途上にある多くの沿岸国で、本来公海と同じく自由であるとされる国家管轄水域での航行に割限を課すような主張がなされるようになってきた。「海洋自由」と「海洋管理」、「海洋の平和的利用」と「海軍活動」を巡る沿岸国家と海洋利用国家の間の見解の相違は、将来安全保障上の大きな問題に発展する危険性を孕んでいる。沿岸国による主張が過剰になると、いわば「海洋の囲い込み」となって、海洋が国家管轄水域ごとに分割化されたような状況を呈し、国家と国際社会の経済発展を損なうものとなるだろう18。テロには、満たされた者に対する満たされない者による挑戦という側面がある。「海洋自由」と「海洋管理」を巡る対立にも、それとよく似た側面を見ることかできる19
 混沌の情況を呈している現在の海洋に存在する様々な脅威は、冷戦の時代のような抑止を中心とする戦略では封じ込めないものが多い。国家間の紛争を除いては、相手は非対称であり、エスカレーションや相互殺傷の危惧によって自制を促すことが難しいからである。海洋利用を巡る争いの原点に立ち返った対応が必要であり、差し迫った脅威の排除と共に、例えば、貧困対策や資源利用の衡平化、地球環境の保全などへの努力を通しての安全保障環境の安定化が不可欠であり、防衛に携わる者には、そのための意識改革が求められる。
 
海を護る
 地球生命システムを司る海洋環境の保護と、人類社会に繁栄を齎すための必要条件である海洋の平和の維持は、持続可能な発展のための基礎であり、持続可能な文明の要石である。海洋における環境の保護と平和の維持は、“海を護る”という新たな海洋の時代の新たな安全保障の概念として、また、二つは切り離す事のできない密接な相互関係にあることが、海洋を利用するすべての国家・主体に認識されなければならない。
 

参考文献
1
安田喜憲『環境考古学のすすめ』(丸善株式会社、2001年)65頁。
2
同上69頁。
3
ホブ・リース、東江一紀訳『モルジブが沈む日』(日本放送出版協会、2002年)67頁。
4
OECD環境局、環境省地球環境局監訳『OECD世界環境白書』(中央経済者、2002年)145頁。
5
千葉早苗「地球環境変動解明のためにプランクトンセンターの設立を」『Ship and Ocean Newsletter』(SOF、No.48、2002.8.5)。
6
Climate Change 1995: The Science of Climate Change, Contribution of Working Group 1 to the Intergovernmental Panel on Climate Change(Cambridge press, 1996).
7
同上
8
『朝日新聞』2002年8月6日(朝刊)。
9
NHK特集「海」(http://www.nhk.or.jp/top.html
10
11
レイチェル・カーソン、青樹繁一訳『沈黙の春』(新潮文庫、1974年)。
12
原文名称“The Influence of Sea Power upon History.”
13
シーコントロールとは「有事に排他的に海域を支配し得る力」の意味。なお、マハンは『海上権力史論』の中で「シーコントロール」という表現は用いていない。シーコントロールの言葉は後に米海軍で当てはめられたもの。日本語では「制海」と呼称される。
14
白石隆『海の帝国』(中公新書、2000年)では、これらを「まんだら」と呼称し、さらに「海のまんだら」と「陸のまんだら」に分けている。
15
詳しくは拙稿「ユーラシア海洋世界とシーレーン防衛」『波涛』(2001年3月。通巻153号)。
16
本稿では、国連による1992年のAgenda for Peaceに倣って、武力紛争に関わる安全保障の問題を「平和」の問題と呼称している。
17
詳しくは拙稿「ユーラシア海洋世界」。
18
詳しくは拙稿「海洋管理の時代における海軍」『アジア太平洋の安全保障』(日本国際問題研究所、1999年3月)。
19
詳しくは、高井晋・秋元一峰共著「海上防衛力の意義と新たな役割−オーシャンピース・キーピングとの関連で−」『防衛研究所紀要』第1巻第1号(1998年6月)116−118頁。







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