3. 排他的経済水域における沿岸国による執行
さて海洋法条約が導入した海洋環境保護に関する新たな枠組みでもっとも重要なものは沿岸国による執行の制度であると思われます。すでに触れましたように、海洋法条約は排他的経済水域について海洋環境保護に関する沿岸国の「管轄権」を認めております。ただしそれは排他的経済水域における生物資源の探査開発に関する沿岸国の「主権的権利」(56条1項(a))とも、また人工島や海洋構築物に関する沿岸国の「排他的管轄権」(60条)とも異なります。排他的経済水域は従来は公海であり、公海を航行する船舶による海洋汚染行為についてはもっぱら旗国の管轄権が排他的であったわけで、これまでは沿岸国としてはせいぜい汚染行為の証拠写真をとったり水質検査をしたりして汚染行為の事実を旗国に通報し、旗国の国内法令による措置に委ねる他はなかったのであります。そうした法的な枠組みの中でも、油記録簿の設置を義務づけ寄港した港でそれをチエックする体制を整えたり、あるいはとくに港湾における廃油の陸上処理施設の設置と船舶設備の規格統一によって、通常航行に付随する排出の規制を実効的なものにするための国際協力の体制、更には船舶の堪航性の寄港国による検査など、いわゆる寄港地のコントロール(port-state control)が調えられ、それなりに船舶起因汚染の防止が図られてきております。しかし実際に排出違反か行われた場合には、領海であっても有害通航となるような汚染行為でない限り、沿岸国としてはせいぜい任意に最寄りの港に立ち入らせることを事実上強制して、いわば寄港地国としてのコントロール(port state control)を行使して証拠を確保する以外にはなかったわけですから、それすらできない公海における旗国通報は実効性を欠くものでありました。沿岸国の不当な航行への介入を排除することによって国際航行の利益を保護するために、旗国への責任の集中が図られていたわけです。海洋法条約でも汚染行為か行われた海域のいかんを問わず、自国船舶からの海洋環境の汚染を防止・軽減するための旗国の責任は維持されております(211条2項、217条)。とくに排他的経済水域における外国船舶の航行には公海において認められる航行の自由の規定が準用されており(58条)、沿岸国が排他的経済水域において海洋汚染の防止・軽減のために外国船舶の航行に介入することにはなお慎重な姿勢が貫かれております。ただ領海を含め排他的経済水域における外国船舶による汚染行為が海洋環境一般に及ぼす影響、あるいは沿岸の秩序および排他的経済水域の生物資源に及ぼす影響が深刻化したことをうけて、海洋条約は新たに沿岸国が海洋環境の保護のために国内法令の立法管轄権を排他的経済水域に拡大することを認めるとともに、一定の場合にそれら法令に基づいて執行措置をとることを認めたのであります。それが沿岸国による執行の制度であります。
沿岸国による執行の制度については、しかしそれが沿岸国による不当な航行介入とならないことを確保するために、様々な制約を保障措置として規定しております(第12部第7節)。第一は、排他的経済水域については国際基準と適合しこれを実施するための沿岸国法令への違反についてのみ沿岸国による執行を認めるに止めており、沿岸国の国内法令が独自に導入する上乗せ基準を適用してはならないとされております(211条5項)。もっとも領海における違反についての沿岸国の立法管轄はこれより広く、無害通航に関する沿岸国法令制定権に関する制限に服するに止まります(21条1項(f)、2項)。第二に法令違反の罰則の適用上、体罰を禁止し、金銭罰のみを科することをみとめることにより(230条)、船舶のその後の運航が事実上不可能になることを回避しております。第三にこれと関連して、担保金の寄託による即時釈放(prompt release)の制度が設けられ(220条7項)、沿岸国による執行の航行の継続への介入が最小限に止める工夫がなされております。第四に、領海における違反の場合を除いて、旗国による手続の優先性が定められ(228条1項)、排他的経済水域における汚染行為の取り締まりの第1次的責任を船舶の旗国に委ねてであります。ただしこの手続の優先性は、例えば排他的経済水域において外国船舶が行った汚染行為により沿岸国に著しい損害が生じている場合や、当該外国船舶が繰り返して義務に違反している場合には適用されません。いずれにしてもこうした制限の枠内で、沿岸国に外国船舶に対して自国法令を適用し執行する権限が与えられるようになったわけであります。
ただこの沿岸国による執行の権限について、海洋法条約は、これらの保障措置とは別に、さらに沿岸国がとりうる措置について段階的な規定を詳細に規定しております。まず違反が沿岸国の領海または排他的経済水域において行われた場合で、違反船舶が任意に当該沿岸国の港に任意に止まっている場合には、沿岸国は違反について処罰のための手続を開始することができるとされております。この場合には、沿岸国が航行介入することはないので、船舶の航行利益の確保は先に述べた保障措置によって十分に確保されますから、比較的単純に規定がなされております。ただ「任意にとどまる」といっても違反船舶に最寄りの港への入港を要請することによって、事実上手続を強制するということはなおありうると思います。次に沿岸国の領海を通航中に違反を行った外国船舶がなお領海を航行中である場合には、違反を行ったと信ずるに足りる明白な理由がある場合には、たとえ無害通航中であったとしても、船舶書類などの物理的な検査を行うことが認められます。ただし書類の不実記載、記載の不備、文書の不存在など特別の理由がない限り、それ以上の物理的検査を行うことはできません。そしてそれら物理検査の結果を含めて証拠によって正当化されるときにはじめて、船舶の抑留を含む手続を開始できるとされております。
次に排他的経済水域を通航中に違反を行った外国船舶が、自国沿岸の領海または排他的経済水域を航行中である場合には、直ちに物理的検査ができるのではなく、まず船舶の識別や直前または次の寄港地などに関する情報の提供を要請することができるに止まります。こうして排他的経済水域において外国船舶に公海におけると同様の航行の自由が認められていることとのバランスがとられているわけです。当該船舶が情報の提供を拒否し、あるいは提供された情報が実際の状況と明らかに異なる場合でも、物理的検査に進むためには、海洋環境に著しい汚染を発生させあるいは発生させるおそれのある実質的な排出が生じたことが必要とされております。つまり単に沿岸国法令の違反があったというだけでは、物理的検査はできません。さらに海洋環境に著しい汚染が発生したとかそのおそれがある実質的な排出が生じた場合に、物理的検査によって違反があったことが確認された場合であっても、船舶の抑留を含めて処罰のための手続を開始することがすぐにできるわけではありません。手続を開始するためには、違反によって海洋環境に著しい汚染が発生しただけでなく、それによって沿岸国の沿岸または関係利益、排他的経済水域の資源に著しい損害が発生しあるいは発生させるおそれのある排出が生じたことが必要とされております。つまり排他的経済水域について沿岸国が手続を開始できるのは、そうした損害か生じた場合あるいは生じさせるような重大な排出違反が行われた場合に限られます。つまりこの場合、違反によって海洋環境に著しい汚染を生じさせる実質的な排出があった場合と、更にそれを超えて沿岸国に固有の利益に対して著しい損害を発生させるような重大な排出違反があった場合とが区別され、後者についてのみ、沿岸国がその法令を適用・執行することが認められるに止められており、その場合には旗国による手続の優先性の規定も適用されません。逆にみれば、排他的経済水域の海洋環境に著しい汚染を生じさせる場合に沿岸国が物理的検査を行う権限を与えられるのは、国際基準の遵守について旗国が持つ管轄権の行使を実効化するためのものであるということができます。つまり排他的経済水域における沿岸国による執行には、国際基準を遵守させるための代理処罰的な意味はないのであります。
ところで排他的経済水域について沿岸国が制定する法令は、国際基準に適合しこれを実施する法令に限られておりますが、この国際基準が何を意味するのかについて海洋法条約は具体的な指示をしておりません。その意味で洋法条約は、一種のアンブレラに過ぎません。一応はIMOが採択する条約によって設定される基準ということになるわけですが、船舶の旗国にしても沿岸国にしても、当該条約の当事国でない場合もあるわけで、そうした場合にそれら条約の当事国でない国に対して、それら基準に適合する沿岸国法令をなぜ適用することができるのかという問題が生じることになります。
海洋法条約には沿岸国の領海通航中に違反を行った船舶が排他的経済水域を航行中である場合についての規定が欠落していることは、つとに指摘されているところでありますが、これについて沿岸国がいかなる措置をとりうるかについては、違反の発生した場所に着目して220条2項に寄せて解釈するか、船舶の現在の位置に着目して220条3項以下寄せて解釈するか、解釈が分かれております。沿岸国からみればすでに保障措置や国内法令の基準化によって沿岸国の航行への不当な介入は回避されているのであるから違反の発生場所が決定的に重要である、また旗国手続の優先性も領海内での違反には適用されませんからそれとの平仄も合うということになります。しかし船舶の側から見れば、領海内で違反を行った船舶と現に排他的経済水域を航行中の容疑船舶との間の同一性が確保される保証がないのであれば、こうした場合に沿岸国の執行を認めることは航行への不当な介入を招くおそれがあるから、このような場合は一般の追跡権行使以外には認めるべきではないということになります。領海において違反を行った外国船舶が公海を航行中であるのと同じであるという理由です。先に述べたように海洋法条約は、排他的経済水域で違反を行った船舶が排他的経済水域を通航中の場合においても段階的な措置をとりうるとしているところから見れば、この場合はこれより沿岸に被害が発生するおそれが強い場合であるから、当然220条2項によるようにも見えます。様々な制約を伴いなからも海洋法条約が沿岸国の執行を認めたということは、それだけ国際航行の利益が縮減されたということでもあり、とくに著しい海洋環境への汚染に関しては、違反船舶と容疑船舶の同一性が確保される限りで、違反場所に着目する措置をとることが、沿岸国に認められるようになっていくのかもしれません。排他的経済水域経済水域通航中であっても、それが220条5項で、沿岸利益や生物資源に著しい損害を与えるような規模の違反が生じたのであれば、航跡などを辿ることによって船舶の同一性は確保される場合が多いでしょう。また実務上の処理が排他的経済水域を通航中の船舶に対して最寄りの沿岸国の港に立ち寄るごとを事実上強制し、これを違反船舶が任意に沿岸国の港湾にとどまる場合における沿岸国法令の適用・執行の場合(220条1項)に持ち込んでいくという措置がとられるのであれば、この解釈の争いは殆ど無意味になるでしょう。
いずれにしても沿岸国の執行に関する規定は、殆どが、沿岸国に権限を付与しているだけで沿岸国に執行を義務づけるものではありません。また沿岸国による執行がなされない場合でも、旗国が自国船舶について海洋環境のための規制を有効に及ぼす義務が解除されるわけではありません。海洋環境の保護を促進するためには確かに沿岸国の管轄権を強化することが必要であり、すでにお話したような義務的航行路指定の制度や排他的経済水域における沿岸国による執行に関する前広の解釈が有効ではあります。しかし同時に、寄港国が船舶の入港によって経済利益をうることができるために、一般に船舶の航行への不当な介入を抑制し国際基準を重視する、その意味でvessel friendlyであるのに対して、沿岸国はもっぱら不利益を蒙る被害者的な立場に立って広く執行の管轄権を認めようとする傾向があるといわれます。そうした沿岸国の執行措置の拡大解釈をとどめて国際航行の利益を維持するためには、旗国が適正にその義務を果たしていくことが必要であり、とくに便宜置籍船舶などについても、その運航が実質的に自国民によって支配されている場合には、当該船舶に対する属人的な結合を根拠に、船舶起因汚染を防止し軽減するための管轄権の行使を強化することを、国際協力の措置として確立していく必要があるように思います。
4. 日本法の対応
わが国は1996年に海洋法条約を批准するに際して、「排他的経済水域および大陸棚に関する法律」(以下、排他的経済水域法と略称いたします)を定め、また「海洋汚染および海上災害の防止に関する法律」(以下、海洋汚染防止法と略称いたします)を改正いたしました。とりわけ排他的経済水域法はその第1条1項において、海洋法条約第五部に規定する「主権的権利およびその他の権利」を行使する水域として排他的経済水域を設定すると規定し、また3条1項で排他的経済水域において適用するわが国法令として「海洋環境の保護および保全」に関する法令をあげております。これをうけて、海洋汚染防止法が適用されることとなりますが、排他的経済水域についてはそれが国際基準と合致する範囲でのみ適用可能であることから、同3項で「法令の適用に関しては、当該法令が適用される水域がわが国の領域外であること、その他当該水域における特別の事情を考慮して必要と認められる範囲内において、政令で、当該法令の適用関係の整理または調整のための必要な事項を定めることができる」ものと規定し、さらに第4条で、「この法律に規定する事項に関して条約に別段の定めがあるときは、その定めるところによる」としております。つまり同法令の適用関係については、政令により適用関係を調整するとともに、条約および条約解釈によって沿岸国としての管轄権の行使が認められる枠のなかで規律することとして、海洋法の今後の発展をも柔軟に取り込みうるようにしております。逆に言えば、排他的経済水域法でその詳細を規定することによってわが国の海洋環境保護に関する海洋法条約の解釈の立場を明確に提示しておりません。そこでまたわが国海洋汚染防止法の適用についても明確ではありません。例えば航行中の船舶について沿岸国として執行をする場合に、違反の結果として海洋環境が侵害された場合と、わが国沿岸の関係利益あるいは生物資源に著しい損害を発生させた場合との違い、それに応じて通航中の船舶の抑留を含む手続を開始できるかどうかが違ってくるわけですが、この違いについて何を基準に判断するかの問題、あるいはまた旗国と沿岸国との管轄権が競合する場合の旗国管轄権の優先性に関する判断、および手続的な調整のあり方の問題が生じてきます。これらはいずれも沿岸国による執行が、旗国管轄を補完して海洋環境保護という国際社会の法益を実現するものという側面を強調するか、沿岸国利益の侵害に対する措置としての側面に寄せて解釈するかに応じて、実際の法令実施のあり方に大きな違いが生じさせかねない問題です。この背景には、排他的経済水域そのものが公海でも領海でもない特別の機能的水域として規定されたことから、そこにおける管轄権を公海・領海のいずれに近寄せて解釈するかという立場の違いがあるわけですが、海洋法条約はそのどちらかに有利な推定をおいているわけでもなく、そこから、このような排他的経済水域における沿岸国による執行についてもなお解釈の余地を多く残すことになっているわけです。わが国は一方で海運国として、他方で沿岸国として、わが国法令の一貫性ある実施を通じてバランスある国家実行を示して、海洋法条約のあるべき解釈とその発展の方向を提示していく必要があることになります。
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