Session 3-2
海洋環境保護と沿岸国の管轄権
−船舶起因汚染の防止と国際協力−
奥脇直也
1.はじめに
船舶起因汚染の深刻化、とりわけ大型タンカーの事故による油の流出によって沿岸国に深刻な損害が発生したり、あるいは大型船舶からの油の排出が海洋の自浄能力を超えるようになったのを受けて、海洋環境保護は20世紀後半以来、海洋法における非常に大きな問題を提起しつづけてきております。最近では、さらに核物質や化学物質など本質的に危険あるいは有害な物質を運搬する船舶についても問題が深刻化しております。これら船舶による工業原料、資源エネルギー物資の海上輸送は、国家経済の基幹に関わるものであり、これまで以上にそれら輸送船舶の国際航行の利益が保護される必要があり、沿岸国がむやみに外国船舶の航行に介入することは避けなければなりません。しかし同時に海洋環境の保護にとって、またとくに沿岸国の安全にとって、それら輸送船舶の航行の安全が最大限に確保されることも必要不可欠であります。そこで国際社会は、これまでも国際海事機構(IMO)を通じて、船舶の構造、設計、設備、配乗などについての基準や、油排出基準の設定などの国際基準を設け、また油記録簿の設置の義務化、陸上処理施設の整備、船舶航行報告制度、船舶の堪航性に関する寄港国規制(port-state control)など様々な仕組みを作って、国際基準の実効確保に努め、また各種の予防措置を基準化してきております。また事故が生じた場合についても油汚染民事損害に関するCLC条約、Fund条約のほか、危険・有害物質に関するHNS条約、それら環境損害に関連した船舶のarrestに関する条約が結ばれるなど、条約による基準の調整が進んできております。
ところで海洋法は、国連海洋法条約の発効を期に新たな段階にはいったといわれます。従来の包括的自由の海としての公海と排他的な主権に服する海域としての領海という二元的な海域秩序では、漁業資源の保存および海洋環境保護の実効がおぼつかないということから、沿岸200海里について排他的経済水域という特別(suigeneric)な機能的な水域制度を設けて、沿岸国の規制権限を強化しております。すなわち漁業資源については沿岸国の主権的権利を認め、また海洋環境保護について沿岸国の管轄権を認めたのであります。これは公海における旗国主義排他性、すなわち公海の秩序維持はもっぱら船舶が所属する国がその国内法を通じて行うという制度では、自国から遠くはなれた海域で行われる法令違反行為を実効的に取り締まることが困難であり、あるいはそれを期待できないという現状を踏まえて、新たに認められた制度であります。つまりより直接に利害関係をもつ沿岸国に規制の権限を委ねる方が、漁業保存および海洋環境保護の実効をあげることかてきるという判断があったわけです。しかし他方で、とくに海洋環境保護について沿岸国の規制権限を広く認めることは、船舶の国際航行の利益と直接に衝突する可能性があります。海洋法条約でもその間の調整が完全に行われているわけではなく、ある意味ではその調整の大枠が作られたにとどまり、その具体的な内容は、今後の沿岸国の規制権限の行使の実行を通じて発展的に画定されていくという部分も多く残されております。
現職 東京大学大学院法学政治学研究科教授
学歴 東京大学法学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。
東京工業大学、立教大学を経て現職。専攻は国際法、海洋法、領域法など。「国家管轄権」「国際法キーワード」「現代国際法の指標」など著書多数。
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本日の報告では、そうした観点から、いくつかの問題を取り上げながら、領海および排他的経済水域における海洋環境保護に関する沿岸国の規制権限の範囲、その意義などについて検討をしてみたいと思います。
2. 領海における海洋汚染防止法令の適用
まず領海でありますが、領海において外国船舶は無害通航の権利を持っており、その通航が沿岸国の平和・安全・秩序を害しない限り、沿岸国は外国船舶の通航を認めなければなりません。これは船舶の航行を国際的に繋げていくために伝統的に認められている制度です。海洋法条約19条2項は新たに領海通航中の外国船舶がそこに列挙される特定の行為を行った場合には、当然にその通航を有害とみなす規定をおいておりますが、その中には「この条約に違反する故意かつ重大な汚染行為」ということが規定されております。何をもって「故意」あるいは「重大」と認定するかは沿岸国法制のあり方によっても違ってくるでしょうけれども、とりあえずは沿岸国による外国船舶の通航の有害性についての認定を客観化しているといえるだろうと思います。もっともこの列挙は、限定的なものではなくあくまで「みなし規定」であって、個別の場合において船舶の通航が沿岸国にとって有害であることを沿岸国が立証できるのであれば、沿岸国はその通航の有害性を主張して外国船舶に対して領域外への退去を要求したり、拿捕して国内法令によって処罰することが可能であります。
これとは別に、沿岸国は無害通航に関する法令を特定の事項について制定することが認められており、沿岸国領海を通航中の船舶はこれら法令を遵守する義務を負っておりますが、その中に「沿岸国の環境の保全」「汚染の防止」に関する法令があげられております。ただこれら法令に違反したことで当然に通航が「有害」になるわけではありません。一般には法令違反が有害通航とみなされる行為に当たる場合や沿岸国がその有害性を立証できる場合を除いて、法令違反は直ちに通航を有害にするわけではないとされており、通航が有害とされないような場合には、従来は、沿岸国は外国船舶の通航に介入することは許されず、せいぜい当該船舶の旗国に通報することを通じて、旗国国内法令による規制に委ねる以外にはなかったわけです。こうして航行利益と沿岸国利益の調整がなされてきました。後に述べるように、この点で海洋法条約は新たに沿岸国による執行の制度を設けて、航行利益との微妙なバランスを図りつつも、沿岸国の海洋環境保護のために沿岸国法令を適用する余地を広げております。
なお通航の無害性の基準については、もっぱら外国船舶の行為・態様に着目した規制が認められるにとどまり、軍艦であるとか原子力推進船であるといった船舶の種類や、ケミカル・タンカーや原油タンカー、プルトニウム輸送船といったような積荷に着目した規制はできないとされております。もちろんそれら船舶の通航の態様が、個別の場合において有害であることを立証できれば話は別であります。この点は日本のプルトニウム輸送船について問題となったことがありましたが、日本が国際協定などで定められた予防措置をとっている限り、沿岸国は、本来は排他的経済水域はもちろん、その領海を通航することも拒否することはできないのであります。逆に日本が非核三原則のもとで、外国の核兵器積載艦船の領海通航を有害通航として拒否することも、海洋法上は、なかなか難しい面を持っているといわざるを得ません。
しかしこれでは沿岸国の不安は解消できません。そこで海洋法条約は船舶の航行の安全を確保するために、新たに沿岸国による航路帯の指定、分離通航方式の設定をみとめ、とくにタンカー、原子力船、核物質等危険物質の運搬船については、国際組織の勧告など一定の条件のもとで、「航路帯のみ」を通航するよう要求できるものとしました。もっともこれらに該当する船舶が航路帯以外を通航することが当然にその通航の無害性を失わせるかというと一般にはそのようには考えられていないと思います。国際海峡についても航路帯あるいは分離通航帯を設ける権限が認められております(41条)。しかし国際海峡の場合は、権限ある国際機関によって採択されることが必要とされ、それだけ沿岸国の裁量は制限されております。ただ通過通航中のすべての船舶がこの航路帯および分離通行帯を尊重することを要求されております(41条7項)。ただそれら航路帯以外の水域を通航しても通過通航権が否定されるわけではないように思われます。
こうした規定ぶりは不合理のようにみえますが、結局は、海洋法は船舶の安全運航の問題を、主として船舶運航者の合理的な精神、good seamanshipに依然としてゆだねられているのであろうと思います。それだけ国際航行の利益に沿岸国が干渉することを排除しているわけです。国際海峡のような狭い海域では沿岸国にとってはこれは大変に酷なように見えますが、それだけただvessel reporting systemや航行支援設備を整えて、安全な運航を確保する沿岸国の責任が強化されているともいえ、また沿岸国に財政的あるいは技術的能力がない場合には、自国船舶が当該海峡を常時通航するような国は、沿岸国と協力して自国船舶の安全な航行を確保する必要があることになります。もっとも最近では、国際海峡に限らず、領海あるいは領海を越える水域についても、義務的な航路指定の制度(mandatory ship routing)を認めるべきてあるとする提案もなされるようになってきております。それぞれの海域の船舶通航の輻輳度や地理的特性によってはこうした措置が必要な場合もあるでしょうけれども、そうした措置の導入が国際航行の利益を過度に損なうことのないようにするためには、沿岸国が一方的に航路指定をするのではなく、権限ある国際機関の審査をうける制度を確立する必要があると思います。ただ義務的な航路指定に従わない船舶の通航を拒否する権限を沿岸国に認めることが実際的かどうかということにはなお疑問があります。
もう一つ、最近の特異な例として、海洋法裁判所に提訴されたMOXプラント事件があります。この事件では、イキリスがイギリス領シェラフィールドに一方的に核燃料再処理施設の建設を決定したのに対して、アイルランドはその建設と船舶による核燃料物質の搬入・搬出を差し止めるための暫定措置を海洋法裁判所に求めました。アイルランドの主張は、イギリスの領海あるいはそれを越える海域をも含めて、そうした危険物を運搬する船舶の運航の差し止めを求めるものでありました。海洋法条約は290条で、海洋法裁判所が権利の保全、あるいは海洋環境に重大な損害が及ぶことを回避するために緊急の必要がある場合には、暫定措置を命じる権原を与えられておりますが、この事件では緊急性の欠如を理由として裁判所は船舶による運送を差し止める命令は出しませんでした。ただ裁判所は両国が協力して協議を行って問題を解決するように指示しております。アイルランドの暫定措置要求の特殊な点は、第1にアイルランドが自国の領海の通航を差し止めるのではなく、イギリス領海あるいはそれを超える海域を含めて、イギリスの船舶による核物質運搬を差し止めようとしたことです。これはアイリッシュ海が半閉鎖海であるという特殊な地理的事情に由来するものであり、アイリッシュ海の海域全体を一体として捉えてその海洋環保護を目的としたためであります。こうした請求はこれまでに国際的になされたことのない事例であります。第2は、アイルランドの請求そのものはイギリス船舶によるMOXプラントヘの運搬を特定して差し止めを求めているものでありましたが、論理的には、海域の如何に関わらず、アイリッシュ海の海洋環境を重大に侵害するおそれのある積荷を運搬する船舶の通航を一般的に禁止すること、つまりイギリスとの関係ではイギリス領海において、MOXプラントと無関係の船舶であっても危険物を運搬するものである場合には、その通航禁止をイギリスに強制するという意味も含んでいるということです、半閉鎖海ですから、他の国の危険物積載船舶が入ってくることは想定されておりませんが。いずれにしても特定の海域について海洋環境保護のための特殊な通航レジームを創設しようとする独自の国際協力の形態を提起するものであったともいえます。アイルランドとイギリスとの間のMOX Plantに関する紛争は、現在OSPAR条約(北東大西洋海洋環境保護条約、1992年)上の情報の開示を巡る紛争として仲裁裁判に係属中であります。
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