Session 3
海洋秩序の法的・政策的枠組の形成と実行
Session 3-1 |
海上防衛と国家の主権および管轄権−中国の見方− |
Session 3-2 |
海洋環境保護と沿岸国の管轄権 −船舶起因汚染の防止と国際協力− |
Session 3-3 |
郡島水域における安全保障と環境、および国家の主権と管轄権 |
討議概要 |
Session 3-1
海上防衛と国家の主権および管轄権
−中国の見方−
Chen Qimao
中国は黄海、東シナ海、南シナ海という三つの海に面する沿海国家である。約370,000平方キロメートルの領海、約3,000,000平方キロメートルの排他的経済水域(EEZ)および18,000キロメートルの海岸線を持ち、6,000以上の島を抱える中国は、陸上大国であると同時に海洋大国でもある。
ここ数十年、中国の経済および対外貿易は急激に発展した。現在、中国は世界第6位の経済規模を持ち、物資の輸出入の90%以上を海上輸送に依存している。中国は1993年以降、石油輸入国に転じている。2000年に中国が輸入した6070万トンの石油の半分以上が中東からの輸入であった。中国が輸入する石油は今後10年以内に、年間1億トンに達するとの見方も存在する[1]。当然ながら、国際海上交通路(SLOCS:Sea Lines Of Communication)は中国にとってますます重要になってくる。
歴史的経緯や、20世紀後半に持ち上がった主権の帰属および海洋の境界に関する管轄権の紛争から、現在中国は近隣諸国との間に海洋の主権および管轄権の問題を抱えている。具体的には、以下のような紛争が存在する。日本との間に存在する、尖閣諸島(東シナ海)の領有権を巡る紛争、およびこれに関連する海洋管轄権の問題。東南アジア諸国との間に存在する、南沙諸島(南シナ海)の領有権を巡る紛争、およびこれに関連する海洋管轄権の問題。日本との間に存在する、東シナ海における大陸棚の境界の問題。北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)および韓国との間に存在する、黄海における大陸棚の境界の問題。米国との間に存在する、排他的経済水域における軍事行動および準軍事行動の問題。これらの紛争にどう対処して行くかは、中国の主権や国益の問題、中国と近隣諸国との外交上の問題などに留まらず、アジア太平洋地域全体の平和と安定と繁栄に関わる問題でもある。
現職 上海環太平洋戦略国際問題研究所所長、上海国際関係学会会長
学歴 上海交通大学卒
カリフォルニア大学バークレー校、プリンストン大学、ブルキングス研究所などで政治・安全保障について研究。1995−1997年アメリカ平和研究所の上級研究員。「中米関係における台湾」「外国と中国の関係」「アジア財政危機下におけるアジア太平洋の情勢」など、アジア太平洋地域の国際戦略問題や政治・安全保障問題に関する著作多数。
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継続中の紛争
中国と各国の間に存在する紛争の概要を以下に示す。
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日本との間に存在する尖閣諸島の領有権を巡る紛争およびこれに関連する海洋管轄権の問題 尖閣諸島(Diaoyudao Islands)は、台湾の北東約120海里、沖縄から約200海里に位置する5つの小さな無人島と3つの岩から構成されている。中国の主張は以下の通りである。これらの島々は中国が領有する台湾に属し[2]、古来より中国の一部として譲渡できない存在であったが、日清戦争の後1895年に台湾と伴に日本に譲渡された。第二次世界大戦後、カイロ宣言およびポツダム宣言に従って、日本は中国から獲得した領土を返還した。当然のこととして、尖閣諸島も台湾とともに中国に返還されるべきであった。北京と台北の見解および姿勢は、この点については一致している。一方、日本は尖閣諸島は日本の領土であると主張している。日本の主張によれば、これらの小群島は1984年まで「どの国にも属していない土地」であった。琉球の漁民によって発見され、日本政府の決定によって1985年に沖縄県に組み込まれた。
第二次世界大戦以降、中国と日本の間に存在する領土問題はこの一件のみである。1970年代以降、この議論は激化と沈静化を繰り返してきた。1970年には「baodiao」(尖閣諸島を守る)運動が香港、台湾、および各国の華僑の間で噴出した。当時の中国は「文化大革命」の渦中にあり、政府は尖閣諸島を巡る中国の領有権を強い調子で主張する声明を発したが、当時、大陸にいた一般の中国人は「文革」による困難と苦しみで手一杯で、この問題はさほど関心を集めなかった。しかしその頃、世界中の中国人社会では、「baodiao」運動は大きな盛り上がりを見せていたのである。日本領土の目印となる灯台の建設を画策するなど、日本の一部の右翼活動家の煽動が引き金となって1990年、1997年、1998年と紛争が激化し、中国人の間で「baodiao」運動が再燃化した。のちに、圧力を受けた日本政府が運動を制止し、右翼活動を制限する対策を講じたため事態は沈静化した。しかし今日に至るまで、尖閣諸島の領有権を巡る問題は両国の間に刺さった棘として残されたままである。
さらに、尖閣諸島に付随して主張できる海洋の権利についても、双方で意見の食い違いが見られる。中国の主張では、尖閣諸島は小さな無人島で、そこに独自に経済的生活を維持することは不可能であり、したがって大陸棚の領有を主張することはできないとしている。一方、日本は、尖閣諸島は大陸棚の領有の根拠になると主張しており、東シナ海の大陸棚への足がかりとしてこれらを用いる構えである。これらの島々の領有権が認められれば、陸から200海里に及ぶ11700平方海里のアジア大陸棚の領有権を獲得することになる[3]。 |
(2) |
東南アジア諸国との間に存在する南沙諸島の領有権を巡る紛争およびこれに付随する海洋管轄権の問題 南沙諸島(Spratly Islands)は400以上の島、砂州、暗礁、浅瀬、環礁、岩礁などから構成されている。うち33箇所が海面上に姿を現し、0.5平方キロメートル以上の面積を持つ島が7つある。これらの島々によって構成される海域は800,000平方キロメートルに及び南シナ海の38%を占める。
中国の主張は以下の通りである。明の時代(1368−1644)から、南沙諸島は中国の領土であった。当時これらの島々はJon県(現在の海南省)の管轄下にあったが、19世紀末にフランス、20世紀初頭に日本によって相次いで占領された。しかし、第二次世界大戦の終結後、カイロ宣言およびポツダム宣言に基づいて、これらの島々は中国に返還された。1946年に中国政府は海軍艦隊を派遣して、これらの島々を引き継いだ。以来、今日に至るまで、南沙諸島最大の島であるTaiping島は台湾政府の管轄下にある。したがって、中国の立場としては当然、南沙諸島は中国の主権下にあるということになる。今のところ、台湾海峡を挟んだ両者はこの問題に関して共通の立場をとっている。独立派の台湾民進党でさえ、この姿勢を変更する勇気は持ち合わせていないようである。
1974年まで、南沙諸島に対する中国の主権は国際社会に広く受け入れられていた。1950年代、1960年代、そして1970年代の初頭まで、ベトナムは南沙諸島における中国の主権を公に認めていた[4]。ところが1975年に入って突然、南沙諸島の主権が大問題に発展した。1975年5月にベトナム外相が[Troung Sa Islands」(南沙諸島のベトナム称)は古代よりベトナムの領地であった、と宣言したのである。そして1977年になると、ベトナムは同国の領海が南沙諸島を含むことを明確に宣言した[5]。のちにフィリピン、マレーシア、そしてブルネイが、「発見」「地理的距離」「国防」などを理由に挙げて、相次いで南沙諸島のさまざまな部分の領有を宣言した。こうした結果、今日では南沙諸島を巡る紛争は中国、中国台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイの5ヶ国6当事者を含む問題に発展してしまっている。紛争は南沙諸島の主権に留まらず、これらか浮かぶ南シナ海南部海域の境界の問題も内包している。
紛争の原因ははっきりしている。これらの島々の海底に莫大な量のエネルギー資源が眠っていると、1970年代以来、広く信じられているからである。南沙諸島および周辺海域を巡るそのような確信が、関係国の関心を引くのは当然のことであろう。1994年になって「国連海洋法条約」(UNCLOS:UN Convention on the Law of the Sea)が発効した。この条約に基づいて、全ての沿岸国家に対して200海里の排他的経済水域および200海里の大陸棚の領有が認められた。その結果、ASEAN諸国の多くが同条約に基づいて領有権および海洋管轄権を主張した。これらの国々の要求が中国の領士主張とぶつかり合って、紛争をさらに複雑化させている。 |
(3) |
日本との間に存在する東シナ海における大陸棚の境界の問題 東シナ海は約300,000平方キロメートルをカバーする海域である。日本の沿岸に沿った沖縄トラフを除けば深度は200m以下の浅い海である。この海域では、中国と日本の間の距離はどの点でも400マイルを下回っている。大陸棚の境界に関して、中国は「東シナ海大陸棚は中国の領土の地理的な延長である」という自然延長論を主張している[6]。日本の領土と明確に認められている島々と中国本土の間に等距離線を描くと、アジア大陸棚のうち200mの等深度線よりも陸側にある部分9,000平方海里が、前述の等距離線の日本側に取り残されてしまう[7]。このように、中国の主張する線と、日本の主張する線の間には大きな重複領域が存在する。また、日本と韓国の主張の間にも大きな重複領域が存在するが、日韓両国は1974年に共同開発領域を設定している。一方中国は、自国の有する権利に対する侵害であるとして、共同開発の合意を非難している。中国は「東シナ海の大陸棚のこれらの領域を他国がどのように分割するべきかの問題については、中国および関係諸国が話し合いを通じて解決するべきであると考えるのが合理的である」と主張している[8]。
東シナ海の大陸棚は石油および天然ガスの埋蔵量が有望と報告されていて、紛争の大きな原因の一つになっている。幸いにも中国、日本共にこれまでオフショア石油開発は控えるように努めてきた。中国は、中国と日本の間の等距離線の自国側でのみ探査活動を限定してきた。一方日本は、問題が解決するまでは紛争海域での石油探査を許可しないとの声明を発している。 |
(4) |
中国と南北朝鮮との間に存在する黄海における大陸棚の境界の問題 約400,000平方キロメートルの海域を持つ黄海は、東側を韓国、西側および北側を中国に囲まれた閉鎖海域である。中国は、領土の地理的な延長として黄海の大陸棚を捉える原則を主張しており、黄海における介入のほとんどは、この原則に従って行っている。ただし、朝鮮湾(黄海の北側)については、中国と北朝鮮の境界線として中間線の採用に賛成している。南北朝鮮の間では、海底の境界線として中間線の原則を採用している。1977年に、北朝鮮は排他的経済水域を「海上の中間線」に基づいて決定した。韓国は、海上の境界が中国と共有する大陸棚の境界と見なした上で、中間線の考えに基づいて一方的に4箇所の海底油田水域を決定した。朝鮮湾の場合、沈泥線に沿って分割した場合は、同海域のほぼ全てが北朝鮮のものとなる。一方、等距離線を採用した場合には、同海域のほとんどが中国のものとなる。
東シナ海の状況と同じく、黄海の紛争も石油資源に関係している。ただし、黄海における紛争は、他のケースと比べて比較的簡単に解決可能であろう。海洋に領土が無く、中国と南北朝鮮の間の海の地理的環境が似通っているためである。さらに、中国は南北両方の朝鮮との間に良好な外交関係を築いてきたことも問題の解決に寄与するはずである。むしろ朝鮮が南北に分断されていることが、問題の解決を妨げているのである。 |
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米国との間に存在する排他的経済水域における軍事行動および準軍事行動の問題 排他的経済水域(EEZ)は領海とも公海とも異なる特殊な海域である。UNCLOSによれば、沿岸国は天然資源の調査および利用を行う際の主権的権利を有する。また、海洋の科学的調査、人工島、設備および構造物の設置および利用、海洋環境の保護に関する管轄権は沿岸国が有すると定められている[9]。さらに、UNLCOSの規定によれば、排他的経済水域内では自由航行権、上空の通過権、および権利を行使する自由が全ての国家に対して与えられている。ただし「いずれの国も沿岸国の権利および義務に妥当な考慮を払うものとし、またこの部の規定に反しない限り、この条約及び国際法の他の規則に従って沿岸国が制定する法令を遵守する」必要がある[10]。 問題は、沿岸諸国の承諾なしに行われる排他的経済水域における軍事行動および準軍事行動が合法的か否かである。米国は他国の沿海で諜報活動やスパイ活動を頻繁に行っている。ある報告書によれば、米国は中国周辺で年間400回以上の偵察飛行を行っている。平均して1日に1回以上の頻度である。中国はこうした行動をUNCLOSへの違反であって、中国の管轄権を侵害していると認識しているが、一方米国は、排他的経済水域は「国際海域」に属し、従って排他的経済水域内において他国が偵察任務を行うことは全く「合法」であると主張している。こうした紛争の火種が元になって将来一気に緊張が高まり、危機的状況または準危機的状況に陥る可能性がある。そう言う意味で、2001年4月1日のEP−3Eの事件は危険な瞬間であった。
スパイ機EP−3Eは国際法に抵触し、中国機を墜落させ、結果として中国パイロットの死亡につながった。しかも中国政府の事前の承諾なしに海南島上空に侵入したとして、中国政府は米国を非難した。米国側は中国の非難を否定し、次のように主張した。接触の責任は中国パイロット側にあり、接触後極めて危険な緊急事態に陥ったEP−3Eは、Lingshui空港に着陸する以外に選択の余地がなかった。事件後しばらくの間、両国の国民感情、特に軍関係者は互いに鋭く対立した。幸運にも両国の首脳が自制心を発揮し、理性的に対処した結果、両国関係がさらに悪化する事態は回避された。しかし両国関係が完全に修復するまでには長い時間を要した。実際、関係が元通りの状態にまで回復したのは9月11日の同時多発テロ事件の後であった。
この事故に関して、誰が責められるべきかを決めるのは容易ではなさそうである。中国側にとって重要なのは、排他的経済水域の中でスパイ活動を含む軍事行動または準軍事行動を行うことが合法的なのかどうかをはっきりさせることである。この問題が解決されない限り、新たな接触事故が発生する危険は払拭されない。実際、2001年4月1日の空中接触事件の前後にも、黄海、東シナ海、および南シナ海において中米両国の軍艦および航空機の間にはかなり危険な小競り合いが連続している。最も最近の事件としては、米国の測量船Bowditchが東シナ海の中国の排他的経済水域に侵入した。同船は中国沿岸から52海里まで接近して、中国側の警告を無視して長時間の偵察活動を行った。中国側から見れば、これは海洋管轄権の重大な違反行為であった。 |
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