Session 2-2
海上起因による汚染からの海洋環境保護
Mohd Nizam Basiron
概要
陸上活動および海上活動によって、海洋環境の悪化が進行している。海洋汚染の原因のうち、より大きな割合を占めるのは陸上活動である。しかし、重油の流出事故など海上活動に起因するものは一般大衆の「目に見える」形で現れがちである。野生動物が重油にまみれてもがく様子は、確実に大衆の関心を呼び、感情的な反発を招くことになる。原油や重油、化学物質の流出や投棄に加え、船舶の定期メンテナンス、港湾汚染、油田開発、洋上投棄、浚渫(しゅんせつ)なども海洋汚染に拍車をかける海上活動に数えることができる。さらに、船から放出されるバラスト水によって運ばれて来る外来種の生物の問題も大きな注目を集めている。しかし陸上活動と比較すれば、海上活動の規制は進んでいると言える。「国際海事機関」(IMO:International Maritme Organization)は多岐におよぶ海洋条約を定めており、海上活動に起因する汚染を抑制し、実際に汚染が起きた場合の補償を行っている。また、石油ガス産業は汚染防止のために厳しい自主規制を行っていることが知られている。こうした努力にも関わらず、エリカ号(1999)およびジェシカ号(2001)の重油流出事故に見られるように海上活動に起因する海洋汚染は後を絶たない。さらに近年では、海上汚染の原因としての海賊およびテロリズム行為という、全く新たな次元の問題が持ち上がっている。
はじめに
海上での事故、特に原油の流出やそれによる環境への影響はマスコミに格好の素材を提供している。こうした傾向は、海上輸送が海洋環境におよぼす危険性に対する世界的な関心の高さを示している。重油まみれで、もがく野生動物の映像は、原油や重油による汚染が海洋環境に与える影響を象徴している。グローバル経済の発達と共に海上輸送も重要性を増しているが、世界各国の経済を支える原油の移動もこの中に含まれている。1994年を例に取ると、東南アジアの主要シーレーンを通過した日本の対外貿易額は2600億ドルに達した〔1〕。船舶によって運ばれる油は毎年65億バーレルに達する〔2〕。当然ながら、このような大容量の油の移動はリスクを伴う。事故に絡んでこれまでに約120,000トンの油が海上に流出している事実が、これを裏付けている。さらに、タンクの掃除やバラスト水の放出など、タンカーの通常運行に関連して480,000トンの油が海中に放出されている〔3〕。IMOのような組織や各国政府は、環境保護と海上輸送という効率的な物資の移動手段の確保という相反する二者間の微妙な舵取りに苦慮している。
現職 マレーシア海洋研究所研究フェロー
学歴 キャンベラ大学応用科学科卒
世界自然保護基金の保護政策開発官から、1993年にMIMAの沿岸・海洋環境センターに入所。専門研究分野は海洋環境汚染。アジェンダ21第17章の実行や陸土起因汚染からの海洋環境保護について研究中。マレーシア政府や地方自治体の研究にも参加。「マレーシアにおけるアジェンダ21の実践」「マラッカ海峡の海洋汚染管理」など論文多数。
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しかし、問題は一般に考えられている以上に複雑である。海上活動の結果として生じる汚染には、原油や重油以外にも数多くの原因が存在する。バラスト水の放出によってもたらされる外来種の問題や、化学薬品の流出、核物質など極めて危険性の大きい貨物の海上輸送などにも関心が高まっている。さらに、経済活動と環境保護の問題、国際法に規定される各国の役割の問題、自由航行権、船舶の設計の問題、乗組員の訓練および能力の向上など、さまざまな角度から問題を捉える必要がある。本論文では、海上活動に起因する汚染から海洋環境を保護する上での問題点について考察し、さらに、こうした問題に対する取り組みの事例などを紹介する。海上輸送や海上汚染に関連して最近新たに浮上した問題点についても紹介する。
海上に起因する海洋環境の汚染−原因および結果
海上に起因する汚染の最も分かりやすい側面は、周囲に及ぼす影響である。油まみれになった海鳥や野生動物、重油に覆われた海面や海岸線、崩壊し沈没してゆくタンカーなどは、海上汚染を象徴するお馴染みの映像である。しかし、海運事故が発生したのち、テレビや新聞のヘッドラインニュースで我々が目にするような結果に結びつくまでには、じつは多くの要因が介在している。報告書「Safer Ships and Cleaner Seas(より安全な船舶とよりきれいな海について)」はそのメカニズムについて、多数の関係者や要因が絡み合う、複雑な性格の問題であると論じている。同報告書には、船舶から排出される汚染を防止する上で考慮すべき項目が列挙されている。これには人為的要素、海運産業内の様々な関係者の役割(旗国や入港国の関係者を含む)、適切な廃棄物処理施設の整備などが含まれている。また、これらと同様に大切な要素として同報告書には、船舶から排出される汚染を軽減させる道筋が可能性として示されている。旗国や入港国による規制の適正化、乗組員の安全意識の向上、船舶から排出される廃棄物の減少などか挙げられる〔4〕。この報告書は英連邦内の読者に向けたものであったが、推奨項目には海運業界全体に適用可能な汎用性があり、異なる状況下でも十分に参考になりうる内容である。
人為的ミスは、海上輸送に伴う海洋汚染の主要な原因として多くの研究者が指摘している。国際海事機関(IMO)は、全世界の海洋汚染の9割が人為的ミスに原因があると結論づけている。この中で、こうした人為的ミスが知識、訓練、作業内容、意志の疎通、精神的・肉体的疲労等と密接に関係していることが論じられている〔5〕。さらに経済性や利潤追求の問題が加わり、事態を複雑化させている。市場で激しい競争にさらされる船主は、どうしても安全や環境保護を犠牲にしがちである〔6〕。人為的ミスが招いた大事故の一つにエクソン・バルディーズ号の座礁事故(1989年)がある。事故の教訓から、IMOは「船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約」Standards of Training, Certification and Watchkeeping Convention(STCW条約)に合格した乗組員のみを採用するよう全ての船舶に義務づけた。STCW条約は訓練内容、文化、言語的背景の異なる43もの国から集まる乗組員を対象に、乗組員資格の標準化に取り組んでおり、フィリピンなど主要な供給国においてサービスを提供している。
運航中に発生する廃棄物を海に投棄する慣行も、海洋汚染の一つの要因となっている。油汚染を例に取ると、タンクの洗浄やバラスト水の排出によって、事故による流出量を上回る量の油が海に放出されている。さらに、船の運航に伴って日常的に発生するゴミや生活雑排水などの廃棄物も問題となる。制度的には、こうした廃棄物は「1973年の船舶による汚染の防止のための国際条約に関する1978年の議定書」International Convention for the Prevention of Pollution from Ships 1973(MARPOL 73/78条約)によって規制されている。一方、現実問題としてMARPOL 73/78条約が効力を発揮するかどうかは、この協定が旗国や入港国の国内法にどう盛り込まれているか、また、そうした法律がきちんと適用されているかどうかにかかっている。さらに、船主および乗組員のモラルにも大きく依存している。このことは国内法の適用外の地域−特に公海上−で特に重要になる。船舶から発生する汚染の防止にMARPOL 73/78が有効であったかどうかについては今後、総合的なアセスメントが必要であろう。しかし、世界の総トン数の94%以上かMARPOL 73/78の規制対象になっているという事実は、海洋汚染の防止に対する同協定の貢献の大きさを示していると言ってよいであろう〔7〕。
これらの他にも海上活動による汚染源は存在する。たとえば小型漁船が多い国では、ゴミの洋上投棄や雑排水に加えてエンジンオイルによる汚染が指摘されている〔8〕。小型漁船の性格ゆえに、こうした汚染源を制限することは、さらに困難である。油田開発や掘削工事、油の自然な浸みだし等も海洋汚染の原因に挙げられる。ただし、船舶の運航中の排出や事故による流出と比較すれは、油田等から放出される量は比較的に少量である〔9〕。
陸上で生じた廃棄物の海中投棄も問題である。一般に、この種の汚染にはさまざまな種類の廃棄物が含まれる。たとえば工場や家庭から出た廃棄物、浚渫による泥等、放射性廃棄物、そして海上での廃棄物焼却(1991年に禁止)に伴う灰などが含まれる。さらには軍隊も、洋上を指定の投棄場所としている場合がある。1970年代に洋上に投棄された廃棄物の総量は1100万トンであった。この値は1990年代には460〜600万トンまで減少した。ちなみに大半は日本および韓国によるものであった〔10〕。多種多様な投棄物が海洋環境に及ぼす影響が特定しづらいため、海洋汚染を防止する観点からこうした行動は、油汚染の場合とは全く別の意味で難しい問題を提起している。
海洋汚染の結果、海洋生物や生態系が壊滅的打撃を被る可能性がある。汚染源が陸上か海上かに関わらず、珊瑚礁やマングローブなどの生態系は汚染(特に流出油)に対して極めて脆弱である。過去に、生態系的にとって重要な幾つかの地域で油流出事故が起きている。ガラパゴス諸島の沖合でジェシカ号が座礁した事件は記憶に新しい〔11〕。その他、環境的に微妙な地域での原油流出事故として悪名高き事例としては、プリンス・ウィリアム海峡で座礁したエクソン・バルディーズ号や、シェトランド諸島で座礁したブレア号を挙げることができる。
必ずしも報道されるとは限らない海洋汚染のもう一つの側面として、沿岸で生活する人々への影響が挙げられる。マラッカ海峡を例に取ると、仮にこの海域で油流出事故が発生した場合、海峡で生計を立てているマレーシアの3万人の漁民、およびその魚を栄養源とする人々にとって壊滅的打撃となるであろう。また、海上に起因する海洋汚染が及ぼす社会的影響として観光業や養殖業も忘れることができない。
汚染源が海上にある海洋汚染への対応−国際的側面
原因が海上にある海洋の汚染から海洋環境を保護するための取組は、国際海事機関IMOを筆頭に、国連環境計画(United Nations Environment Programme)、そして最近重要性を増している国連開発計画(United Nations Development Programme)などの国際組織の役割に依存してきた。国連機関の活動は数多くの民間組織や、国際タンカー船主汚染防止連盟(ITOPF:International Tanker Owners Pollution Federation Limited)のような業界団体の支援の上に成り立っている。ITOPFは「船舶に原因となって発生する汚染に際した効果的な対応を行うための客観的な技術アドバイス、専門技術、および情報」を提供している〔12〕。こうした組織は、海洋汚染の可能性を最小化するプログラムを共同で作成しているほか、それが発生した場合に後遺症を最小に抑えるための各種プログラムも作成している。
海洋汚染の問題を解決する国際的取り組みは、海に起因する海洋汚染を防止し、リスクを最小にするための国際的手段となるべき協定、条約、行動計画、地域プログラム、覚書きなどを提供し、中心的役割を担っている。こうした手段のうち主要なものを以下に紹介する。
(i)1982年国連海洋法条約
海を管理するための枠組みを各国に提供している。枠組みには海洋環境の保護も含まれている。
(ii)MARPOL 73/78条約
船舶から排出される汚染を包括的に防止し、油(Annex I)、ばら積みの有害液体物質(Annex II)、有害物質(Annex III)、汚水(Annex IV)、ゴミ(Annex V)、大気汚染(Annex VI)などについて記載されている。
(iii)1972年廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染を防止するための条約に関する議定書および1996年の議定書(ロンドン条約)
ロンドン条約は陸上廃棄物(産業廃棄物、汚水、放射性廃棄物)の海上投棄を制限している。同協定は加入国の主権海域における産業廃棄物や放射性廃棄物の海上投棄を明確に禁じており、産業廃棄物や汚泥の海上焼却を禁止する際にも貢献した。
(iv)油による汚染に係る準備、対応及び協力に関する国際条約(OPRC条約)
油の流出による汚染の防止を目的として、油漏れ事故が発生した場合の適切な対応に関する広報活動を行うと同時に、実際に油が流出した場合には国際的な協力を呼びかける運動を行っている。現時点では発効には至っていないが、2000年には危険物質および有毒物質に関する議定書がOPRCに付け加えられた。〔13〕
(v)1969年油による汚染損害についての民事責任に関する国際条約(CLC条約)および1971年油による汚染損害の補償のための国際基金の設立に関する国際条約(FC条約)
CLC条約およびFC条約は、油の流出で影響を受ける当事者に対して補償の道を開くものである。具体的には、油汚染による経済的被害および所有物の被害、並びに油汚染の後始末にかかった費用の埋め合わせが補償の対象となっている。1992年には補償の限度額が引き上げられ、結果としてタンカー船主の責任能力が向上した〔14〕。
大雑把に言えば、これらの機関は海洋汚染を3つの段階に分類した上で、海上活動の結果として生じた海洋汚染への対処方法を各国に提供している。ここで3つの段階とは事故発生の前、最中、後を指している。実際に、こうした諸機関は海上汚染の減少や縮小に貢献しているであろう。しかしその一方で、こうした協定の実施面での問題点を指摘する報告書が国連事務総長から持続可能な開発委員会(Commission on Sustainable Development)に宛てられている。それによれば、「発展途上国の多くは、こうした国際協定を有効に機能させる能力が十分ではない」〔15〕。
海上起因の海洋汚染への対応−国内的側面
各国は、国際レベルの活動を国内活動で補うことが肝要である。これには国際条約を国内法に反映させたり、締結された国際条約を批准したりすること等が含まれる。海上活動による海洋の汚染を解決するために、国際条約に批准したり、批准した条約を国内法に反映したりする以外にも、以下のような基本方針に沿って国内的な努力を行うことができる。
(i)連続的かつ定常的に海域の監視を行うことにより、汚染事故を防止し、かつ発見できるようにする。
(ii)監視情報を効力のある法規制に結びつけ、違反者を逮捕、起訴できるようにする。
(iii)油流出の防止および対応に関して万全の備えを維持する〔16〕。
こうした国内活動の成否は、どれだけの数の団体や個人が汚染防止の作業に参加できるかにかかっている。多くの発展途上国ではそうした資産の確保が困難な上に、世論も汚染の防止活動に対して消極的である。一方、国際条約やその他の文書は、海洋汚染を防止するために各国の協力を奨励している。これは、同じ海域を共有する国同士で二国間条約の合意が交わされたり、日本などの寄付でマラッカ海峡に沿って油流出防止装置が設置されたりするなど、油流出の防止および対応の分野で実際に行なわれている〔17〕。一方、沿海国側は、たとえばマラッカ海峡やその他の海峡のように、国際航路として用いられている海域については、国連海洋法条約の第43条の精神および「汚染者負担の原則」に則り、海域の使用者がより大きな責任を負うべきだと主張している〔18〕。この議論は現在も続いているが、まだ予備会談や研究の段階である。
国際機関の推奨する対策よりも、さらに厳格な対策を採用している国もある。米国では油濁法(OPA:Oil Pollution Act,1990)が公布されて、タンカーの設計などにさらに厳しい規制が導入され、油汚染が発生した場合に、従来よりも大きな責任を船主や運航会社に科すことが可能になった。こうした動きに釣られるように、責任追及の国際水準もCLC条約およびFC条約を通して引き上げられることとなった。
海上起因の海洋汚染に対する国内の取り組みを議論するには、あらゆる汚染の防止という大きな観点、枠組みの中で問題を捉えてゆく必要がある。そのような見地から、海洋汚染の原因としては陸上活動に起因するものの方が海上活動に起因するものよりも大きな割合を占めるという事実に留意しておくことが大切である。海洋汚染の70%は陸上活動に原因がある。しかも発生源が多岐に分散しており、農業用水の排水や沈殿物など汚染源の特定が難しいため、本質的に対処が困難である。さらに、陸上活動に起因する汚染に対処するには長期的かつ持続的なプログラム作りが不可欠である。しかも、下水や固形廃棄物の処理は大きな投資を必要とする。
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Kenny, H.J. 1996. An Analysis of Possible Threats to Shipping in Key Southeast Asian Sea Lanes. Centre for Naval Analyses Occasional Paper. Centre for Naval Analyses, Alexandria, Virginia. |
2 |
Imho, Kim. Ten Years after the Enactment of the Oil Pollution Act of 1990: a success or failure. Marine Policy 26 (2002), 197 - 207. |
3 |
United Nations 1993. Agenda 21: Programme of Action for Sustainable Development. United Nations, New York; Baird, S. 1993. Energy Fact Sheet: Oil Spills. Originally published by Energy Educators of Ontario. Referred to at http://www.iclei.org/efacts/oilspill.htm. |
4 |
See Safer Ships, Cleaner Seas. Report of the Lord Donaldsons Inquiry into the Prevention of Pollution from Merchant Vessels. 1994. Her Majestys Stationery Office, London. |
5 |
Imho, Kim. Ten Years after the Enactment of the Oil Pollution Act of 1990: a success or failure. Marine Policy 26 (2002), 197 - 207 |
6 |
Ibid; Safer Ships, Cleaner Seas. Report of the Lord Donaldsons Inquiry into the Prevention of Pollution from Merchant Vessels. 1994. Her Majestys Stationery Office, London. |
7 |
Yearbook of International Cooperation on Environment and Development: MARPOL 73/78. |
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8 |
Sciortino, J & Ravikumar R.1999. Fishery Harbour Manual on the Prevention of Pollution. BOBP/MAG/22. Bay of Bengal Programme, Madras. See also Economic Planning Unit. 1993. Malaysia: National Conservation strategy. Volume 2: Administration Economic Planning Unit, Kuala Lumpur. |
9 |
Ocean Planet: Oil Pillution. |
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11 |
Oil spill off Galapagos Islands threatens rare species. - January 22, 2000 |
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13 |
Yearbook of International Cooperation on Environment and Development: MARPOL 73/78. |
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14 |
CRS Ocean and Coastal Resources Briefing Book. |
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15 |
Economic and Social Council. 2002. Implementing Agenda 21. Report of the Secretary General to the Commission on Sustainable Development. United Nations, New York. |
16 |
Basiron, M.N. Managing Marine Pollution in the Straits of Malacca. Tropical Asia 6 (1996). 22 - 26 |
17 |
Akio Ono. 1997. Japans Contribution to Safety and Pollution in the Straits of Malacca in B.A. Hamzah (Ed) The Straits of Malacca: International Co-operation in Trade, Funding and Navigational Safety. Maritime Institute of Malaysia, Kuala Lumpur. |
18 |
Article 43 of UNCLOS states encourages user States and coastal states to cooperate in ensuring navigational safety in straits used for international navigation and in the prevention, reduction and control of pollution from ships in such areas. |
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