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Session 1-3
海上からの工作員の侵入
Seo-Hang Lee
 
I. 緒言−国防上の深刻な脅威としてのスパイ船の侵入
 日本の海上保安庁は今年9月、東シナ海においていわゆる「不審船」の引き上げを行った。この事件は、海上からのスパイの潜入という重大問題を改めて浮き彫りにした。引き上げの結果、2001年12月に日本の巡視船との銃撃戦の末に沈没した重武装船は、北朝鮮のスパイ船であったことが遂に判明した。サルベージの前後に行われた調査の結果、同船はスパイ船であると結論づけられた〔1〕
 
 海からスパイを潜入させることは、海事法または船舶法に照らし合わせて不法行為である。さらに一般的に、海からのあらゆる潜入行為は不法行為である〔2〕。こうした行為に対して適切に対処するには、陸上の情報源からの情報、国内外の行政諸機関の連携などが大変重要である。
 
 一国の領海にスパイ船が侵入し、直接的な武力に訴えることは希なため、初期段階では警察権を有する国は「未確認船または不審船」として取り扱うことになる。したがって一般的に、初期段階では警察が対応にあたることになる。ただし、こうしたスパイ船に対して強行な捜査活動を敢行した結果、交戦状態となり、危機的な状況にエスカレートする可能性は除外できない。安全保障、国防的見地からスパイ行為は国家に対する直接的な脅威であって、警察機構だけでは対応しきれない状況も出現しうる。本論文ではこうした問題点をふまえた上で、海上からの侵入者への対抗策について、実例を挙げながら考察する。
 
II. 海岸からのスパイ船の侵入
 浮かぶのに必要な水深さえあれば、船はどこででも活動可能である。つまり、地球上の70%余りが活動域になることを意味している。しかも世界人口の過半数か海岸線から150km以内の地域に住んでいることを考慮すると、意味合いはさらに増幅される。地上戦力や、前線に投入されたり上空を通過したりする航空戦力は、他国の領土や領空に「足跡」を残すが、船舶の場合はこのような事はない。上空通過や地上施設に関する制約のため、状況によって船舶による作戦遂行以外は不可能な場合もある。
 
 各国間の関係が完全には正常化しておらず、世界の他地域と比較して安全保障面で不安定なため、海岸からのスパイの潜入は北東アジアでは極めて頻繁に行われている。現状では韓国と日本が、海岸からのスパイ潜入の脅威にさらされている。
 
現職 韓国外交通商部外交・国家安全保障研究所教授
学歴 ソウル国立大学卒、ケント州立大学卒
 カナダ・ダルハウジー大学ロースクール研究員。「東アジアにおける海上交通路の安全保障」「北東アジアにおける地域安全保障と協力」など、海洋政策や軍備管理に関する論文や著作多数。
  
 
 1996年9月18日には韓国東海岸の江陵(Kangnung)で、北朝鮮のSangO級沿岸潜水艦が座礁しているのが発見された。またこれに引き続き、座礁した潜水艦から上陸した武装工作員と韓国軍との間で銃撃戦が繰り広げられ、双方に死傷者が出る結果となった。1998年、韓国では先の事件と同種の潜入事件が頻発した。さらに6月22日には、東海岸の束草(Sokcho)の沖合で漁業網に引っかかり航行不能に陥った潜水艦を韓国海軍が拿捕した。北朝鮮のYugo級小型潜水艇であったが、韓国海軍の艦船が軍港へ曳航中に沈没した。のちに同船を再浮上させたところ、乗組員と工作員と見られる9名の水死体が船内より発見された。12月17日には、韓国の麗水(Yeosu)の沖合約8kmの地点を不審な船舶が航行しているのを同国警備隊が発見、北朝鮮の半潜水艇であることが判明した。拘束しようとした韓国の海空合同部隊との間で戦闘状態になった同船は逃走を試みたものの、対馬の南西80kmの地点で撃沈された。
 
 一方、日本では2件の領海侵犯事件が1999年3月と2001年12月に発生している。最初の事件では、佐渡島と能登半島の間の日本の領海で船籍不明船2隻が発見された。1998年に頻発した北朝鮮船による韓国の領海侵犯事件と何らかの関係があったものと推測されている〔3〕。不審船を追跡した日本の海上保安庁は警告射撃を行ったが、最終的に見失った。2回目の侵犯事件は奄美大島西の海域で発生した。漁船に偽装した未確認船が、日本の排他的経済水域(EEZ)の内側で発見され、海上保安庁との銃撃戦の末沈没した。15人前後と推測される乗組員の全員が死亡したものと思われる。前述の通り、船体は9月に引き上げられ、北朝鮮の工作船と推測されている。
 
 韓国、日本両国で発生している領海侵犯事件は、北朝鮮の諜報活動を裏付ける証拠として国際的な注目を集めている。どちらの事件でも、用いられた船舶は北朝鮮で建造されたものであることが判明している。報告によれば、北朝鮮は1990年代に侵犯船建造計画を発足させた。潜行可能な高速潜入艇に加え、1,000トン級の潜入用潜水艦、5〜8メートルの深さまで潜行可能なダイバー運搬用2人乗りミニ潜水艦、「ステルス」パトロール艇なども開発している。レーダー吸収塗装が施された小片で表面を覆われた「ステルス」パトロール艇は乗員30名程度、全長38メートル、最大速力50ノットと考えられており、57mmおよび37mm銃器を装備している〔4〕。1998年に韓国で発生した事件の際に用いられ潜入艇は、韓国の領海近くまで接近する「母船」によって、作戦海域に運ばれる。こうした母船には、漁船に偽装した50〜100トンの船舶か、貨物船を装ったさらに大型の船が用いられる。沿岸から25〜50マイル沖合の地点で、母船は夜陰にまぎれて潜入艇を発進させる。情報筋によれば、通常の潜入作戦は6〜8時間で完了する。まず母船から潜入艇を発進させる。次いで潜入、上陸、そして最終的に潜入艇を母船に回収、格納するという段取りになっている。上陸作戦では、潜入艇を岸から100〜200メートルまで接近させ、2人の補助員が艇を離れて泳いで上陸する。工作員の回収が任務の場合は、潜入者を補助して艇に帰還する。逆に工作員を潜入させる場合は、補助員は海岸の安全を確保したのち工作員に対して合図を送る。この合図をきっかけに、工作員は潜入艇から岸へ泳ぎ渡る。補助員は工作員の内陸への出発を手助けしたのち、海岸に残った痕跡を消して潜入艇へ帰投する〔5〕
 
 こうした「不審船」によって工作員を潜入させる北朝鮮の意図とは、いったい何だろうか。通常、「不審船」の定義には密輸船、密航船や密入国船、スパイ船などが該当する。スパイ船の場合、第3国(場合によっては複数国)の領海に意図的に潜入する目的は、諜報活動や工作活動を行う工作員を目的の国に送り込んだり、相手国内で調達した資金を回収したり、現地の住民を拉致したりしていることが考えられる〔6〕
 
III. スパイ船の侵入への対抗策
 洋上の安全に対する脅威や、海洋環境破壊をもたらす違法行為−特にスパイ船による領海潜入−は、海上警察力や海上防衛力の増強だけでは適切に対処しきれない場合がある(ここで言う海上防衛力は洋上からの武力侵攻を想定している)。平時においては、海上防衛力を充実させることを通して海の安全と秩序を維持し、自由な利用を保証する必要がある。さらには、こうした能力を十分に発揮できるように、多国間協定を締結する必要がある。
 
 こうした見地から、領海に潜入するスパイ船については、一部の主要国の対処法に学ぶことができる。米国では、洋上における不法行為の取締りは基本的に沿岸警備隊の所轄であるが、必要に応じて海軍も参加している。中南米から密輸される麻薬の摘発や、乗船検査を行う際に米国沿岸警備隊と米国海軍が連携するケースが近年になって増加している。たとえば米国海軍と米国沿岸警備隊は、中南米からの麻薬密輸組織を摘発するために合同特捜班を組織している。また、イラクに対する国連の制裁措置を支援する目的で、ペルシャ湾およびアドリア海で実施された海上パトロールには、米国海軍の艦船と米国沿岸警備隊の警備艇が共同で参加している。1998年9月、海軍作戦本部(chief of naval operations)と米国沿岸警備隊司令部(commandant of the US Coast Guard)は「連合艦隊(National Fleet)」構想に合意した。この合意には計画策定、訓練、調達の各方面で海軍と沿岸警備隊が連携することを通じて総合能力を向上させる目的がある。
 
 英国では海軍が領海の警備を一手に引き受けており、軍事、警察、援助(人道援助および市民活動)の3つの役割を担っている。英国海軍が取り扱う警察行動には、海上封鎖、漁業の監視、海賊行為やテロ行為への対処などが含まれる。
 
 韓国の警察行動は海洋警察庁(National Maritime Policy Agency)の所轄であるが、潜入船が北朝鮮海軍籍であることが判明した場合には、対応は韓国海軍に引き継がれる。このように、12マイル領海の監視を強化し、他国のスパイ活動−特に漁船に扮した北朝鮮のスパイ船による活動−を防止、抑止することが、韓国海軍の重要な任務の一つとなっている。
 
 日本では、領海侵犯は海上保安庁が所轄している。ただし1999年の不審船事件では、戦後はじめて日本の軍隊が相手側に向けて発砲(威嚇射撃のみ)を行い、同国の海上防衛のあり方について再考を促すきっかけとなった。事件当時の日本では、海上保安行動を行う際の武器使用の要件緩和、海上保安庁と海上自衛隊との協力体制の整備および連携の強化、海上保安庁の巡視艇の高速化、「防衛出動」名目による海上自衛隊の出動などの諸問題がクローズアップされた。現時点では、領海を侵犯する不審船の対応は依然、海上保安庁の管轄となっているが、自力で対処することが極めて難しいまたは不可能と判断された場合には、自衛隊が海上保安活動を行うこととなった。
 
 不審船が第3国の領海に逃げ込んだ場合を考えると、行政各方面の国内的な連携に加え、国際協力が極めて重要になる。北東アジアには、複数の国に隣接している海域が多く、ひとつの国に不審船が逃げ込んだ場合、多くの国の安全保障に影響を与える可能性がある。したがって、スパイ船による侵犯を受けた場合にどのように対処するかについて、関係する各国間で互いに照らし合わせて整合性を調整しておくことが急務となっている。1999年の不審船事件を受けて韓日で締結された相互協力協定は、このような背景によるものである。この協定により、両国の防衛責任者の問に情報交換用のホットラインが設けられている。
 
 さらに、海洋法およびその適用が極めて複雑であるという北東アジアの特殊事情を考慮すると、スパイ船の侵入などの海上犯罪行為を減らし、秩序を維持するには地域レベルの国際協力が不可欠である。周知の通り、領海、EEZおよび大陸棚については国連海洋法条約に詳細に記述されており、領海内における主権、EEZおよひ大陸棚の天然資源に対する主権的権利、EEZの環境保護に関する管轄権を沿岸国に対して認めている。ほとんどの沿岸諸国がEEZを確立した結果、ほぼ全ての領域がいずれかの国の管理下に入ることとなったスパイ船潜入事件の大半は、沿岸国が主権、主権的権利、または管轄権を主張する海域で発生している。したがって、特定の海域の主権、主権的権利、および管轄権に関する各国間の主張の隔たりが海洋の安全保障に大きな影響を与えることになる。
 
 主権国間の諸問題を国際協力によって解決して行く上で、単に、周辺国の海上保安に影響を及ぼすような法的枠組みとして国連海洋法条約を捉えてしまうと、問題の解決がなおさら難しくなってしまうことも考えられる。各国か自国の領海に対して強行に主権の保護を求めこれに固執したとすれば、各国が協力して共通の脅威に対処する道は完全に閉さされてしまうであろう。
 
IV. 結言
 スパイ船による領海侵犯は、海上で行われる不法活動のうち国防上の重大な脅威となるものの一つである。安全保障の環境が比較的不安定で、かつ国交が完全に正常化していない国がある北東アジアでは、スパイの潜入活動は日常的に行われている。
 潜入するスパイ船の主要な任務は、他国(場合によっては複数国)の領海に潜入して目的の国に工作員を潜入させ、諜報活動やスパイ活動を行ったり、破壊活動を行ったり、その国で調達させた資金を回収したり、国民を拉致することにある。
 近代的措置の不足、時代遅れまたは不適切な法律、管轄官庁の海上における行政執行能力の欠如などが各国で問題となっている。そのため、スパイ船の領海潜入への対処には困難が伴うことが予想される近代的な海上保安組織や情報収集能力を持つ先進諸国でさえ、活動が拡大している沿岸海域の警察行動には困難を感じている。
 スパイ船の潜入を阻止するには、海上の治安と秩序を維持するのに相応しい海上防衛力を整備し、海洋の公正な利用を保証する必要がある。また、2国間協定や多国問協定を通じて、こうした能力を有効に機能させる必要がある。
 

2002年11月8〜9日の両日、東京で開催された「地球未来への企画:“海を護る”」での講演原稿。本論文で述べられている内容は著者の私見であって、IFANSを代表するものではない。
1
ジャパンタイムズ2002年11月5日1面。
2
海賊行為、海上テロ、麻薬の密輸、密航、違法漁業、海洋汚染行為など、洋上におけるその他の不法行為。
3
東アジア戦略概観(防衛研究所,2000年),p.113
4
Joseph S.Bermudez, Jr., "Details emerge of new DPRK infiltration craft" Janes' s Defense Weekly 31(6 january 1999), p.14
5
同上
6
International Herald Tribune 2002年10月14日付−第3面







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